マガジンのカバー画像

天職への道

5
朧月涼風が天職に出会うまでの道、天職に出会ってからの道を綴っていきます。
運営しているクリエイター

記事一覧

天職への道⑤/人生の目的【解決編】

訪問販売の会社を僅か3か月で退職してしまった。 私はすぐに転職はせず、パワハラのきっかけとなった運転の未熟さを克服するために、ちょうど募集していたお中元配達のアルバイトを始めた。 夏の猛暑の中の配達はかなりきつかったが、約1ヶ月間のバイトで運転スキルをかなりアップさせることができたのではないかと我ながら感じる手ごたえだった。 お中元のアルバイトが終了したら、モデルの仕事もやってみた。モデルと言うと聞こえはいいが、ほとんどがエキストラ 笑 一度だけCMに出たことがあるのだが

天職への道④/迷走するフリーター【後編】

掛け持ちしていた3つのバイトをコンビニの深夜バイトだけに絞り、 なんとなく正社員向けの求人紙を手に取り、眺め始めていた。 バイトの限界を身にしみていた私は、正社員にようやく目が向き始めたのである。 その時、25歳であった。 大学に行って新卒で入社し3年目に入っている時期 、社会人としての経験や視野も広がって自身も持ち始めている頃だと思う。 同世代の人間たちと比べたら、かなり遅れをとってしまっていた。 月収100万円の仕事バイトで30万円前後を稼ぐことができていた私は、正

天職への道③/迷走するフリーター【全編】

魔都新宿を飛び出した私は知人のお世話で、 今でいうシェアハウスに住むことにした。 大志を抱いた19歳の若者は、フリーターとして新たな一歩を踏み出した。 私がフリーターを始めた年は1988年。 余談だが… 今では定着している「フリーター」という言葉は、当時まだなかったと思う。 「フリーアルバイター」という言葉が聞かれ始めたばかりで、 「フリーター」という言葉が広辞苑に記載されたのが1991年である。 現在の求人媒体はネットが主流となっているが、当時は紙媒体しかなかった。現

天職への道②/16歳で人生に絶望、そして遺書を書いた【後編】

私と父の確執が激しくなってきた頃、 母は日中自転車で5分のところにある工場に勤務し、工場での勤務を終えて帰宅すると休む間もなく夕飯の支度を済ませ、夜は近所の割烹料理店で給仕のアルバイトを23時まで働いて家族5人を養ってくれた。 時々…夜の仕事の帰りに 母が買ってきてくれたお土産の餃子を二人で食べる時間は、 つかの間の幸せの時でした。 灯された生きる希望 高校2年になり進路相談の際、家庭の事情から進学を諦めていることを担任に告げると、担任は「新聞奨学生」という制度を使えば、

天職への道①/16歳で人生に絶望、そして遺書を書いた【前編】

天職に出会い、天職をもって生きていくことが、人生において、”やりがい” や ”生きがい” になっていると私は実感している。 それは、『幸福』に近づく道であるとも信じている 。だからといって、誰しもが直ぐに天職に出会えるわけでもない… 「食うためには、働かなければならいんだよ」 という言葉を子供の頃、両親から何度も聞かされた。 この言葉は、成長するにつれて自分の中でどんどん違和感として大きく膨らんでいった。 世界的なパンミックとなった昨今、特に思うのである。 多くの人々が