『先生はえらい』(『内田樹による内田樹』(内田樹著)より)覚え書

 なぜおじさんたちは高架下の居酒屋を好むのか

・おじさんたちがしているのは「コンテンツ」のやりとりではない。

 内田樹が何度も指摘しているように「コミュニケーションは『コンテンツ』を理解できなくても成立する」。というのも、コミュニケーションには「メッセージ」の次元と、「メタ・メッセージの次元」があり、「メタ・メッセージの次元」で何かを伝えることがしばしば人間のコミュニケーションの目的になっているからである。

 内田樹があげている赤ちゃんに話しかける母親の例を考えてみると、すぐにわかるように、そこでやりとりされているのは「コンテンツ」ではない。そうではなくて、母親は、「あなたに向かって語りかけているのよ」ということを伝えたいのである。

 高架下で飲むおじさんたちがしているのもおそらくこの「メタ・メッセージ」のやりとりだということになる。ではそれはどんなメタ・メッセージだというのか???

・鍵は電車の音
 普段から「コミュニケーションの基本は『わからない』である」ということを熟知しているおじさんたち。しかしそんなおじさんたちでも、全くの静かな場所では、自分の思っていることをうまく伝えられない。なぜだろうか?

 高架下の居酒屋の情景を考えてみよう。高架下の居酒屋で重要なのは、電車の音、他の酔客の話し声、など、とにかくうるさいことである。そして、こうした騒音によって話が遮られる時、あるコミュニケーションがおじさんたちの間に生じる。それは、言うまでもなく、「今の瞬間に話したことが誰にも聞き取れなかった」という事実が伝わるというわけだ。だから、その瞬間に笑いが起きたり、話を一旦中断して、相手にお酌したりすることができる。

 このことが意味しているのは、普段おじさんたちが話している時、通常通りの会話では、「それが伝わっているのか、伝わっていないのか、それさえもわからない」という状態が日常化しているということだ。だから、「どんなメッセージであれ」何かのメッセージが伝わる状態はおじさんたちにとって、とてもほっとする瞬間なのである。

 ここまでくれば、おじさんたちが伝えたい「メタ・メッセージ」とは何か。それも明かになる。それは「相手への思いやり」である。話が途切れたことをうまく利用して、その瞬間に相手にお酌すること、それによって、相手を労うことだ。そして、そのためには、電車の音が来る瞬間まで、お互いに「わからない」話を延々とする必要があるのである。

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