GWの話と、『マイ・インターン』感想


GW中に病んだ話

世間は浮かれていたGW。私はひとり布団にくるまっていた。
自尊心が傷つけられる出来事があり、これ以上は無理だと関係を断ち切って逃げた。
ここで逃げずに対話を続ける人間が強い人と呼ばれるのだろうなとわかってはいたが逃げるしかなかった。
間違っていない、私のことを尊重しようとしない人とは付き合わないと決めているのだから。それなのに私はその選択肢を取るときいつも苦しくなる。
私は間違っているのではないだろうか。
関係を断ち切ることで誰かに迷惑がかからないだろうか。
人に迷惑をかけないために尊厳を踏みにじられても我慢しろと言われるのなら、それはその空気が間違っているはずなのに、私は空気を気にせずにはいられない。
頭の中でいろいろな感情が渦巻いて眠れなかった。泣くことすらできない夜が続いた。
こういう夜はいつもYouTubeのショート動画を見続ける。考える隙を与えないのがいい。本や映画は余韻がありすぎて、その間に考えてしまうし、そもそも元気がないときは新しい物語なんて呑み込めないし、主人公と自分を比べてしまいがちだ。

ショート動画を見ている間に来てほしくもない朝が来て、私は死んだ魚のような目で映画館に向かった。
こういうときはなにも考えずにポップコーンを食べるに限る。ちょうど、『ティファニーで朝食を』を上映していたので、それにした。病んでるときは好きな映画でない方がいい、悪い思い出がついてしまう。
『ティファニーで朝食を』は王道のラブストーリーって感じ。フェミニズムを学んでいる私にとってはつっこみたい部分もたくさんあるが、まあ昔の映画なのでこれはこれで。

映画が終わってそのまま本屋に行った。
私は病んでいるとき本屋を徘徊してしまう。
誰かと対話したいのかもしれない。本には解決策が載っているとでも思っているのかもしれない。たくさん本を買った。読み終わったらnoteに書くかも。

『マイ・インターン』

眠れない夜の時間つぶしに『マイ・インターン』を見た。YouTubeショートを見ていたときよりは、少し元気になっていた。少なくとも知らない話を咀嚼できるくらいの精神的な体力があった。

インスタで紹介されている映画をノートにリストアップしているのだが、そこに「癒される、元気になるらしい」とメモしていたのがこの映画だった。『プラダを着た悪魔』も好きなので、アン・ハサウェイは間違いないだろうと勝手に思った。実際、間違いなかった。

働く女性の映画が好きだ。でも、女性が働くときいつもぶつかる壁がある。
仕事か、家族か。働き方を変えるべきかどうか。
女性にありがちな悩みに真摯に向き合う映画だった。
ジュールズ(アン・ハサウェイ)は家事育児を夫に任せて毎日朝早くから夜遅くまで働いている。この映画を見ながらいくつかの感想を抱いた。

①「男=働く/女=家」に囚われない、それぞれの家族の形があっていいとこの映画は伝えているのかも
②ジュールズは、昔言われていたような「男らしい働き方(長時間労働で家族より仕事優先)」をしている。夫だってワンオペ育児に不満を抱いている。男女を逆にしただけで問題はまるで変わっていない。女性がまるで「男性」のようになることは良い解決策なのか?
③でも彼女に「女らしく家にいろ」なんて言えないよなぁ。

私はフェミニズムを学んでいるのでついその視点で見てしまう。「The personal is political(個人的なことは政治的なこと)」だ。働く人が男性だろうが女性だろうが、プライベートな時間を犠牲にしなければ成功できない社会そのものを見直した方がいい。そう思ってしまう。

彼女は最終的に仕事を選ぶ。夫も話し合いを経て納得して彼女を応援する。「あなたらしさを失わないでほしい」と夫は言う。夫にとっていきいきと働いている彼女が「ジュールズらしい」のだろう。
結局のところ、社会がどうであれ、家族の在り方は常に話し合わなければならないのだ。向き合って、自分の悩みを話す大切さをジュールズはインターンでやってきたベンから学んだらしい。

彼女のように一生をささげる仕事に就きたい。
彼女はいきいきと輝いていた。

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