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掌編小説 神サマの好物


「ソレ、ワッショイ、ワッショイ」
 神輿がかけ声とともに境内を出ていくのを見送ると、井川はようやくホッとした。
 今秋復活させた龍神神社の祭礼もどうやら滞りなく進んでいる。
 社殿が火災に遭い、以後半世紀ほども行われなかった祭だから、復活となると何かと手間もかかる。祭の実行委員長でもある村長の井川はこの3ヶ月というもの準備に忙殺されていた。
「ごくろうさん」
 社殿の横、本部のテントの椅子にやれやれと腰をおろすと、宮司の斉田がねぎらってくれた。
 龍神神社はふだんは無人で、となり町にある太田神社の宮司の斉田に祝詞を上げてもらった。祭の手順や儀式、作法の記録も火災で失われていたから、斉田に教えを請い、村の年寄りたちと記憶をつなぎ合わせてようやく形にした。
「にぎわいも上々じゃないか」
 斉田は狭い参道にぎっしりと並んだ露店と境内を歩く参拝客を眺めて機嫌がよかった。
 いつもはひっそりとした境内も、スピーカーからお囃子が流れ、拝殿前では柏手を打ったり鈴を鳴らす音が絶え間ない。宣伝につとめたかいがあって祭の復活が知れわたり、地元だけではなく都会からやってきた観光客の姿もあった。
「そもそもこの土地は太田川の下流にできた三角州だった。暴れ川だったから龍神様を祀ったんだな。洪水や渇水をおこさず、豊作をもたらすよう、昔は若い女の生け贄を捧げていたらしい。それくらい神威が強かった」
 そう斉田は説明したが、昔は神様のためだった祭も、今ははっきり言って村の活性化、村おこしのための復活である。
 お客様は神サマというけれど、あれはホントだね、と会計係の岡田がホクホク顔で報告してきた。
 村の婦人部が提供した太田米のおむすび弁当や名水茶などは昼には早々に売り切れ、境内に設けた特産品コーナーには味噌や餅、とれたて野菜をもとめる客で列ができている。
「今や龍神様のかわりにお客様が村のにぎわいと繁盛をもたらしてくれるって寸法ですな」
 まあ、それ相応のイベントをやらなければ、人も金も集まらないけどなと、井川は疲れて凝った肩をもみながらつぶやいた。
 何ごともギブアンドテイク。龍神でもお客でも、どんな神さまだって喜ばせなければ御利益をもたらしてはくれない。
「新聞記者も来てますな」
 岡田は報道の腕章をつけた中年の男を目で示した。
 あちこちで祭が行われる季節、こんな取材ばかりつづいたのか、記者は2、3ショットを撮っただけでカメラをしまってしまった。
 石垣に腰をおろし、退屈そうに大あくびをした様子をみて、記者が食いつくような話をしてやってくださいよ、と岡田はひじで井川をつっついた。
「神社の伝説とかその生け贄の話とかおもしろく誇張してね、来年の宣伝のためにもちょっとでも紙面に大きく取り上げてもらわないと」
 井川と神主が苦笑して腰をあげ、太田日報さんですね、取材ですか、と声をかけて記者に近づいたときだった。
「えっ、何だって!」
 テントの中で神輿の先導係とトランシーバーで連絡を取りあっていた青年部長の寺尾がただならぬ声を上げた。
 寺尾は青くなった顔で井川たちをふり返ると、震える声で言った。
「今、神輿を囲んだ人垣のなかに、トラックが突っこんできたって言うんです」
 記者は耳ざとくその声を聞きつけたらしく、パッと立ち上がるなり、飛びつくように訊き返してきた。
「何か事故ですか?」
 これが記者魂というものか、さっきまでの退屈そうな態度が別人のように一変していた。神主がどんな話をしても彼をこれほど喜ばせることはなかっただろう。特ダネの期待に胸をふくらませ、目をギラつかせる記者はまるで供物を前に舌なめずりする龍神のようだった。
 これで祭はデカデカと明日の新聞に載ってしまうだろう。
 血の気が引いた井川の頭にとっさに一つの単語が浮かんだ。
「生け贄…」
 それもすぐに忘れて井川は斉田と同時に現場へと駆けだしていった。
 



 

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