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「キャラをつくっている」とは

高2の時、まるで万引きでもしたかのように「キャラ、作ってるでしょ」と言われることが多かったことを2021年12月6日に思い出したことを思い出した(思い出し二重構造)ので、ここでは、キャラを作っているとはどういう状態でなぜ悪いことのようにされているのかについて考えていく。


「ふざけている」状態との違い

「キャラを作っている」状態とはどういうことかを理解するために「ふざけている」状態と比較していく。
「ふざけている」状態は例えば先生と生徒のような役割と振る舞いに型があるような状況では悪とされている。一方、「キャラを作っている」状態は、友達や恋人同士などの明確な役割がなく平等で振る舞いに型が無い状況、すなわち「本当の自分」をある程度さらすことが逆に暗黙のルールになっている状況では悪とされている。この二つの状態の境界は何か?それは

「本当の自分」を偽っているかどうか

だ。「ふざけている」とは、相手をからかったり何かおかしな言動や行動をしているという状態に過ぎず、別に「本当の自分」を偽っているとか、そういう次元の話じゃない。しかし「キャラを作っている」とは、相手からした自分のイメージというものにより強く意識が向いており、それをコントロールしてやろうという戦略性を感じさせるものである。つまり「本当の自分」を偽っているのである。「ふざけている」人は、「ふざけている」ことがバレても問題ないが、「キャラを作っている」人は「キャラを作っている」ことがバレると困る、バレないようにしているのである。「キャラを作っている」のがバレたとき、場合によっては気持ち悪さや不信感を感じるのだろう。

ただしここで重要なのは、「本当の自分」とは在るとも言えるし無いとも言える不確定な代物だということだ。「本当の自分」は、存ると信じれば在るし無いと信じれば無いという感じでいいだろう。恋心のようなものに似ている。また、もし「本当の自分」が存在するとしてもそんなものは数年、刺激的な体験さえあれば数か月数週間で変わり得るものであり、今この瞬間の「本当の自分」に固執する意味は大して無いのである。固執してしまう場合、今を過大評価しているのではないだろうか。今とは時間という無限に続く線の中のたった一つの点でしかない




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