【Youtube】挑戦したいのにできない理由
ここ3年くらい、ずっとYouTubeに挑戦したい気持ちがあるのに、うじうじしている自分がいる。
このnoteは、やりたいと思いついた瞬間に始められたのに。
そもそも、最近noteを始めるまで、他のクリエイターさんの記事もほとんど読んだことがなかった。SNSは苦手だし、noteが何かも分かっていなかった。
たまたまネットサーフィンしていてはあちゅうさんの記事を読んで、その記事がおもしろくて、私も書いてみよう!とピンときてから、すぐにアプリをインストールし、他の人の記事も何件か読んでみて、よく考えぬままに自分の記事をテキトーに書き殴って投稿。
本当に、いきおいって大事。でもそもそも自分は、そんな風にフットワークの軽い人間だったはずなのだ。
実は、YouTube用に動画も作ってみたことがある。
ネットへの顔出しに拒否反応があったので、手元だけ写した。
私は数学教師なので、入試レベルで少し工夫のいる連立方程式の解法の解説動画。
夜中、こっそりiMovieで編集している間は、ワクワクしてすごく楽しかった。
ピアノが得意なので、動画の最初と最後には、チャイムの音を弾いたものをいれた。
しかし出来上がった作品を視聴して愕然とする。
ダサい。めちゃダサい。
こんなもの世に出せないよーと震えた。誰かにいじめられるかも。
動画自体にもがっかりしたけれど、睡眠を削って5時間も動画作りに費やしてこんなダサい作品を作った自分にもがっかりした。
それから3年弱は経ったかな。まだYouTubeへの未練は消えていない。単純に、家事をしながら聞き流せるYouTubeが好き。好きだからやってみたい、と思うのは私にとっては自然な流れ。
私がぼんやりしている間に、知らない数学の先生が私がやりたかった内容でYouTuberになっていたり、高校の同級生も自分の得意分野でYouTubeを始めてみるみるうちにチャンネル登録者数を獲得していっている。
最近noteをやってみて、なぜYouTubeに挑戦できないのかが、やっとわかった。
私は低評価をつけられることが怖いのだ。睡眠を削って、一生懸命作った作品を認めてもらえなかったらどうしよう。ダサいと笑われたらどうしよう。
一方でnoteには低評価の機能がない。なんて平和な世界なんだ。大好き。だからさくっと始められたんだ。動画作りが面倒だから、という理由ではなかったのだ。
更に、noteを始めてみて、無名の私の作品なんて誰も見やしないんだから、残念ながら低評価さえされないだろうなということもわかった。再生回数、3とかになりそう。身内しか再生しないパターン。
もし私が友達から「YouTubeを始めたいけど、ダサい作品しか作れないし、低評価が怖くて、うじうじしている。」と相談されたら、こう答えるだろう。
ダサくてもいいじゃん。低評価が怖いなら、評価できないように設定すれば?やりたいことがあるのに、挑戦しないほうがダサいかも。
前述の、高校の同級生にも相談したらこう返された。
気になるならやってみて♡
それですっかりやる気になったと思ったら、田舎の母に電話して相談してしまい、
タダで授業を配信するなんてプライドはないの?
となぜか怒られた。ノリノリで応援してくれると思ったのに。
お母さんとは住む場所も世代も違うから、価値観が違って当たり前やん。私のやりたいようにやる!
と、30代中旬の女が10代のころのようなセリフを吐いた。そこまで言ったのにまだやれていない。笑
誰か。すっと私の背中を押してくれまいか。あとひといきなんだよ。