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間質性肺炎の病歴③

【医療センターで③=2020年~2024年1月】
 終末も近いと思う現在までを③として締めようとスタートしました。しかし在宅となった最近の病苦には格別に思うものがあり、④として記そうとします。いずれにしても発症から終末へ進行する期間で、記すべき・記したいことが多く、まとまりない文になりそうです。
 そして、この期にはこれまでで一番辛かった日がありました。1975年に一緒になってくれた妻が、2023年の春分のころに逝ってしまったのです。
 
 2020年5月下旬にK病院T先生の紹介状とともに県立総合医療センター、Y科長先生に初診いただく。全検査をやり直しで呼吸機能、X線透視はもちろんX線CTおよび血液検査でお昼をまわった。大変な気管支内視鏡の検査は翌週火曜日(火曜日が検査dayとのこと)にセット。紹介状に添付の検査データディスクは私のものである と返却されたので、帰宅後にCT像をみてみる。T先生からの説明とおり、肺下部には明らかな病変が広がる。残念ながら私の肺は、部分的にX線が透過しにくい肉厚な構造体に変化してX線が透過しにくく白い像を造っている。内視鏡検査は楽であったが、麻酔が強かったのか妻運転で帰宅後は眠り呆けた(心臓カテ時の入院宿泊と勘違いしておりました。泊りではなかったです)。

2020年CT

 抗繊維化薬オフェブの服用しか療法が無いので、服薬耐性チェックともいうべき入院となった。ほぼ1年間、2021年夏まで高価なオフェブを服用したが、下痢と副作用の代表;胃部出血 が胃カメラでも認められ中止となった。以後、進行チェックのために通院することが必要なことは理解できるが、医療と縁が切れそうな感もあり残念ではあった。このころ肺の容量は期待値?の半量程と情けない。
 野良や野山に不満ながらもなんとか身体を動かせたのは2021年だけであったといえる。貧乏性ゆえ、ブログにはせっせと田畑労働のことが記してある。ただ2022年の田植えまでは息子や妻とできたが、田植え機へ苗箱の苗をセットするのも大儀な身体となった。簡単な水回りはよいとしても、この年の秋の穫り入れ以降は町内のM君に作業委託した。あわせて田植え機、コンバイン、臼摺機や乾燥機などなどを売却、パイプハウスも壊して完全に米作りを止めた。休み休みでもと畑作業を続けるが、鍬を畝に置き動かさずに一服することが多くなった。
 体調チェックを兼ねた散策を好んだが、平地の歩行でもわずかな上り勾配を負担に思うようになってしまった。大好きな作家のひとり梶井基次郎が云う人間水準器のことがよくわかった(冬の日)。最後のお務めになるのか、21,22,23年と3年間は田舎の神社総代を務めることは請けた。
 2022年の秋、妻にⅣ期の末期膵臓癌がみつかった。夏に母親のコロナをもらったようで、体調がよくないとこぼしていたのだが、まさかであった。こんな私でも横に居れば大丈夫だろうと、主治医と相談してM先生による在宅看護とした。ただ年が明け2月ころから妻の病勢が改まり、不幸なことに私の体調も悪化したので時々の看護が難儀に思うこともあった。夜間のトイレに付きそうに私はハァハァとなってしまった。残念だが、夜間は娘が添い寝してくれることとした。告げられた余命どおり、2023年の春分過ぎに、洗濯物を取り込みに目を離した僅かな合間に、彼岸へと旅立ってしまった。定年に続き市議会で答弁する特別職に就いてくれ、頼りない私の分をカバーして八面六臂のすさまじさであった。友人とのメールでは元気な妻を剛妻・賢妻と言っておれたのに・・・合唱団指導も続けていたから、〇〇ちゃん・〇〇子先生と慕われ、羨ましかったほどに私には勿体ない妻であった。

 その妻の仕上げも済まぬうちに、4月6日から2週間の酸素リハビリ入院となりあわただしい春だった。病室では小指に嵌めた妻のリングを眺める。小指のリングは今もそのままで妻の想いでもある。身勝手で薄情者の私は、この妻に看取ってもらえれば幸せこの上なし と思い込んでいたので、落胆も激しく余計に元気がなくなった。退院と同時にテイジンさんが電動酸素濃縮器;ハイサンソi と酸素ボンベを準備してくれた。酸素チューブに繋がる生活となった。
 欲張りな私、酸素ボンベを背負えば畑作くらい と思ったが、大間違い。
テイジンからリュックタイプのボンベキャリアを別に購入したものの、負った重さだけで動きが制約される。4月下旬に耕耘機で起こした畑に畝を立てたのだが、もぉ、購入した夏野菜の苗を植えるだけで終わってしまった。
市の図書館、近くのスーパーそして神社用務でリュック背負い軽トラで出かけるくらいの生活となった。歩行が無ければ軽トラ移動は楽であり、外の空気を求め、もちろん月1度の通院にも軽トラを運転したものである。しかし11月の酸素リハビリ入院ではさらなる病の進行を示される。年明けの元旦祭と焚き上げ神事では宮世話役に行事の進行を頼んで、上座に座らせてもらうだけの総代であった。そして、1月下旬の定期診断で主治医G先生も匙をお投げになる・・・次の段階を考えるべきでしょう となった。そこで、妻もお世話いただいたM先生の在宅医療を選択した。
 が、現在も迷っております。画は今朝がたのNo.1燕の巣で、5羽が元気です。








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