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自分が本当にやりたいことを見つけたい

自分の好きなことはなんだろう。
人生の目標は何か。
何のために生きてるのか。
ネガティブ期に考えがちな質問たち。
生まれながらにこれらに答えられる人がいないらしいから、自分自身で見つけていくしかないんだな。
私もこれらに対する揺るぎない回答はなく、そのために書く練習を始めた。

インターネットのおかげであらゆる情報にアクセスしやすい一方で、inputが多くなりがち。新たしいことを知るのが楽しいし、自分が何に向いてるのか、それから何が見いだせるか、などなど。自分の求めてる答えはきっとどこかにはあって、それに出会えてないだけ。だからトライアンドエラーを繰り返して、試行錯誤しながら考えていくしかない。

アウトプットのために始めたnote。
仕事効率化のために始めた、ブラインドタッチも、今こうやって文字打ってる間も、私を鍛えてくれている。まさに一石二鳥ってやつか。

私は書くことが好き。中学時代は日記書いてた。その時期は家庭環境は落ち着かず、付き合った彼氏も束縛が激しくて、心は常日頃悲鳴あげていたと思う。実際あの日記は大人になってから見返したとき、負の感情ばかりで即捨た。でもあの日記があったからこそ、心のバランスを保てたのかもしれない。今も仕事やプライベートでモヤモヤがどうも収まらないときは、見開きA3のノートに気が済むまで書きなぐり、感情の整理する事がある。自分が何にモヤモヤしてたのか、何が引っかかってたのか、これは頭で考えるだけでは上手くまとまらない。自分の荒ぶった感情が邪魔をするのか、単純に溢れんばかりの情報が飛び交いすぎてて、処理が追いつかないだけなのか、わからないんだけど。とにかく書く!起承転結や正しい日本語など、そんなの一切無視して、思いのまま書く、それだけで自分の感情が言語化される感覚。だから自分は怒っていたのか。初めて自分の感情やその原因に気がつく。
きっとこの中に自分がなにを大事にしたいのか、自分の指針みたいなものが隠されいる気がする。
まあ、それは一旦置いといて、モヤモヤした気持ちが収まらなくて、寝られないという経験は誰もしたことがあると思う。
普段の自分は寝ようと思って1分以内に寝てしまうことが多い。それはいいのか悪いのかいいとして、そんな自分でも、いらいらいしてたりすると、どうあがいても眠れない。そういうとき、頭の中の全てを出し切ると気持ちだけじゃなくて、脳みそまでキレイに余計なものが除去された感覚になり、やっと眠れるようになる。
書くことで自分と対話し、誰よりも自分の良き理解者になれるといしかわゆきさんの本に書かれていた。どうしても人に相談するときは、関係性にもよるが、言葉を選んだり、謎の忖度したり、人の目を気にしたりしてしまう。

たとえ好かれたいとか気に入られたいと、そんなんじゃなくても、無意識のうちに人の評価を気にする生き物なんだと。32年間生きてきて、自分もその意見には賛成である。職場は女ばかりかつ、年上に囲まれていることもあるのか、人の表情や仕草、声のトーンから、いろんなことがわかるようになった。そのわずかな情報から、その人は信頼できる人なのか、そうでないのか。不思議だけど、分かる。

もう変わったのだけど、今思えば、前の上司は本当に苦手だった。自分が異動してしばらくしたころ、私が対応した案件でひどく責められた。あなたのせいで〜とかなり怖い顔で言われた。私は自分を責めそうになったが、他の人が私の対応が間違えておらず、状況から妥当な判断と、その後主張してくれた。社会人5年目の自分は、上司=部下を守る存在だと思っていたし、そうあるべきだと信じていた。だが、そのときに突きつけられた上司像は私の期待しているようなものはではなかった。裏切られた気分だったけど、その前からそのような予感はしていた。

たとえば、ロッカーですれ違うときの自分への挨拶への返事と他の人への返事は違う。人によって対応変える人はいくらでもいるし、そういうひとなんだなあくらいには思っていた。ただ、あるとき愛想よく挨拶していた相手の事を悪く言っていることがあり、この人は信頼できない!と自分のどこかで感じていたんだろうな。

こういう人間関係は社会人になると、避けられないものだと思うし、そんななかでもうまく振る舞うことができている方だと思う。
自分のコーピング方法を大事にしながら、心身ともにバランス取れたい状態でいたいなと思うし、みんなにも悩んだり嫌なことがあったりしたときは、心をすり減らすんじゃなくて、書くことで自分の感情を可視化し、そのときを乗り越えてほしい。

上司の話をあげたけど、同僚でも、彼でも家族のことでも、悩んだり、頭抱えたりしたときは、この方法で乗り越えてきた。

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