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神は許す

信仰深い家庭で育った私は
生まれた時から
神様という存在が当たり前だった


複数ある神棚には
いつも食べ物がお供えされていて
子供の頃はいつも「下さ〜い!」と
神棚に言ってお菓子を貰って食べていたw


ご飯を炊いても
一番最初に
神棚にお供えするのが普通で
炊飯器の中にはいつも
神棚から下ろしてカチカチになってるご飯が
コロコロ転がっていた


そんな環境から数十年離れて
久しぶり実家に帰って
変わらない実家の習慣を疑問に思った


神様を優先して毎朝ご飯を炊くので
食べ切れず余って
自分達が食べるのはいつもレンチンご飯


たまには炊き立てのご飯食べなよ。と…


それに老夫婦2人だけの生活なのに
お供えする為に一度に炊く量が多過ぎで
それを指摘すると


その日たまたま来ていた
親戚の叔父さんが言った
「そんなこと言ってると神様が怒るぞ」


そうだったそうだった…
私の中にはこの呪縛がずっとあった


「お護り頂いている」という感覚と
「見張られている」という呪縛があった


自分が居た世界から目覚めていく度に
その呪縛に気づいて
その概念をおかしく感じるようになった


神様ってそんなに器の小さい存在なの?!


バチ当たりとか
これをしないと怒られるってのは
完全に人間意識の概念


神様は人間の誤ちを許すはず


その叔父さんも
自分家の小型犬が何か間違ったことをしても
バチを当てたりしないはず


神様とか信仰という文化も
長い年月を経て
いつしか形を変え
今は履き違えた解釈する人も多い気がする


自分の本質である神も同じ


私の本質は私を許す


本質とは大いなる無限の宇宙と
繋がっている存在であって


自分の中の神
Om


そこからズレた状態
エゴに引っ張られている状態で生きていると
本質に戻す為の軌道修正が起こる


それをエゴ目線で見ると
“ バチが当たった! ”
“ 悪い方へ向かってる ”になるのかもしれない


逃げていいことと
逃げずに向き合う必要があること


自分の人生に必要な教えと
必要のない呪縛


軌道修正や強制終了は
本質、魂で見ると
“ 戻してくれてありがとう ”となるはず


本質に戻ることを嫌がるエゴは
戻ろうとする時
激しく暴れて抵抗する


暴れてる時は
それにすら抵抗せずいれば
勝手にいなくなっていく


そして真ん中に戻った時
いつも聞こえて来る


“ それをダメだとしてたのは

自分(のエゴ)だよ〜”


短気も
社会不適合人間も
大きな失敗も
誤ちも


神は許す


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