子と美

男の子、女の子なんていう言葉は昔からある。だけれど今は最近、言葉がもつ意味が多すぎるな。口にするのも、はばかれはしないけれど、何か一息おいてしまう。

赤子というのは、美しいものだ。美しいという言葉は、どうしても支配的なニュアンスがある。つまり誰かの「価値づけ」というか、誰かが指標をきめてその中でものごとを話している感じがある。

美しいといったのは、ほんとうにそうだからと思うのだけれど、やはりそこに人間の価値基準みたいなものが含まれているんだろう。

さてどうして美しいなどといったのか、というと、男の子の赤子がいるのだけれど、目鼻立ちとかが美しいのではなくてかわいいのだけれど、二人の人がつづけて、この子が女の子である夢をみていた。

ひとつは私の夢。大きな家でパーティをしていて、その子は0歳だったはずが夢のなかでは2歳半くらいになっていて、当然のように女の子だった、それで色々な話をした。何だったかは覚えていないけれど、リズミカルで、素敵な会話をしていた感じがする。
もう一つは、親族がみた夢。私が「実は隠していたのですが……この子があまりにも美しくなってしまって……もう言おうと思って。この子は本当は女の子なんです」そういうのだけれどふくふくと育った赤子は普段通りでどちらかというと愛嬌のある男の子の顔のままをしている。

男の子の顔、とよく言われるのだけれど、その違いがわたしにはよく分からない。

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