散歩道|7

[テーブルを囲む三人]

 さて、夜中に、あるテーブルを囲んでいる。あなたが歩く斜めの道のその先に、すこし道幅より広いくらいの細い建物があって、その中頃の階がバーになっている。きしんだような床に、小さいテーブル。テーブルを囲むソファと椅子にすわって、3人の人たちが酒をゆっくりと飲んでいる。3人とは、あなたと、安藤のようなひとと、もうひとり……八子さんのところにいた、Yだろうか、かたちは分からない。分かるとしたら、3人がそれぞれお互いに、暮らしの話をしている。それぞれのグループを代表してそれぞれの実情を話している。ある種の精神的な集まりであり、ほんとうは行われていないことだった。あなたがいつも見る夢のなかの街、とかではないと思う。どういう間柄かはよく分からないけれど、どうもその日にたまたま一人でやってきて、はじめてだけれど何となくテーブルを囲んでいるみたいだった。世の中というのは、人たちの幻想で組まれていることでもあるから、予期せぬ出会いもあるのだろう。

 そこでは3人がそれぞれに、二人で過ごすための二人間の契約のこと、暮らしの中のいざこざだったり、不可思議さや繊細さ、何だったりを、ぽつり、ぽつりと話している。ビートの効いた音楽が爆音で流れていて、声はよくきこえない。面白かったことやよかったことというのは、あまりでてこない。どうしてだろうか? 自慢みたいになってしまうのが、気になってしまうからだろうか。何か、問題があってそれを考えることが皆の課題になっているらしかった。話の種をとして頭のなかみをすこし開いて、よその程よい出来事や関係性を拾ってきて、持ち寄る。

 あなたはあまりネガティブな話題ばかりなのに違和感をおぼえて、最近あったことを話してみた。グリルで魚を焼いて、味噌汁をつくって、食べた話。魚はサバのようなもので青魚で、味噌汁の具は、白菜と麩だった。それはまあ、そこそこ話は続くのだけれど、とくに面白いというわけではない。ただ、これがおいしかった。この組み合わせが、からだによいみたい。そもそも味噌汁をつくることはほとんどない。でも味噌汁については、興味深い文献がある。味噌というものがあまりに旨いから、もうどれだけ適当につくっても、きっとうまい……。「そうですか」「たしかに、おいしいよね」そうした、そぼそぼとした発話で時間はしんしんと過ぎていって、爆音がすべてを流していく。そう、雑談というものがあまり盛り上がらない人たちだったから、何かテーマがはっきりするまで、なかなか静かなテーブルだった。

 しかしテーブルというものも、この店には一つしかなくて、ごく小さなそのテーブルのほかはカウンターだけだったから、音楽が鳴り響いているほかは、なかなか声のすくない店内だった。

 太助さんはその間、一人で夜を過ごしていた。過ごしていても、すこし持て余す気分がしていて、人々に連絡をとったり、何かものをつくったりしていた。ものというのは、毛糸を編んだり、写真などを組み合わせてアルバムのようにしたり、その傍らですきなミュージシャンの映像を眺めたりしている。それはそれで、悪いものじゃない。

 あたまの中に、どうもモヤモヤしているものがあった。こう魚などをたべたときに、アニサキスが入っていたんじゃないかというような感覚。つまりこう、ゆるやかに暮らしているのだけれど、そのゆるやかで不自由のない生活が、どうも、何も決まっていないんじゃないかという、ささやかな不安、不良債権。悩み? 債権がつもっていくことで、どうも、いやな波動が積もっていく。そのさなかにもらった連絡や、スマートフォンで眺める人の動向などは、どうも、いつものように笑顔で楽しめる気分にはなれなかった。

 とはいえ、どうするのがよいのだろう。

「わかんないね」

「わかんないのよ」

「今なにしてるの」

「ゆっくりと編み物をしてみているだけ。でもなにもかたちにはならない、不器用だから。あとはラジオきいてる」

「いっていい?」

 そうして太助さんの周囲の人たちは集まり、二人の部屋で、人たちは酒をはじめている。しかめっ面をした男や、すんとした目つきの女優などが、気づいたらいすわって、酒を囲んでわあわあと喋り始めている。とたんに賑やかになってしまう。

[見つけたい音が見あたらない]

 その頃渡辺は、日課の波が寄せては返すライブの動画を見つめていた。たまに毛の長い小動物が、ほとほとと歩く動画を見つめている。交互に繰り返し、画面ごしであるけれど、そうやって、自然な動きが淀みなく続いているのを眺めるのが好きだった。ほてほてと自宅で過ごし、あるいは時にオフィスまで行って夜まで作業をして、そのあと外からほてほてと歩いて、スーパーに寄って、野菜や肉などをひかえめに買って、帰ってくる。そうして料理をするでもなく、それまで作業に使っていたパソコンを開いて、あの動画を見つめている。ゆらりゆらりと揺れる波間の様を、ただ見つめている。

 ここで魚が行き交ったり、古の釣り人が釣竿を投げ込むところで、どうも懐かしいものを感じている。

 それって、何かみているだけじゃなくて、今この環境でもできることなんじゃないだろうか。どうにかして小さな水辺があって、竿とか風があったらよくて、そこに陽がさんさんとさしたり、泳ぐ魚がゆらめいていたり。それが日々過ごす中にあったら、もっと快適なんだろう。

 それがどうしたら実現できるのか、部屋の中をうろうろしながら、考えてみている。たとえばキッチンなら、できるかもしれない。小さな風呂桶のような水槽を用意して、浜辺をつくる。水の中には水草や貝などを集め、そう一匹のタコなどに、住んでもらう。時に風や陽光にあてたり、釣り人の役を私がやって、ウキを水面に投げる……それって、ちょっといい水槽を買ってどうにかしたら、そうなるんじゃないだろうか。メンテナンスも大変そうだけど、と迷う。

 そう思い描きながら渡辺はほてほてと歩いて、歩きながら屋中の物品をそれとなく見つめていて、その中には八子さんのオブジェもあったりする。

 そうするうち、あのCDを流したいと思い至る。最近よく流している、男性のシンガー。英語の歌詞にたまに聞き取れるワードもいい、様々なコーラスやバックバンド、モジュラーシンセ、変な楽器などが混じって鳴らされる音。そのなかでしんしんと響く声からは、どうも、音とか音楽とか、それ意外の何か、響きを録っているんじゃないかと感じられる。それは何だろう、マイクとその周囲にある空気とか、あ、それか時間だろうか。

 そんなCDに入った時間をなんとなく流しておきたいと思うのだけれど、プレイヤーには入っていない。プレイヤーというのは長年使っている小さなラジカセで、小さなサイドテーブルから流れる音は部屋にうまく響いて、耳に馴染んだ。テーブルの手近なところに、最近きいているCDのジャケットが何枚か置いてあり、最近きいたCDが挟まっている。それはそのジャケットに関係なく、ふと聞きたいものをケースから出してきて聞いて、また同じジャケットにだらしなく重ねておくものだから、すぐに聞きたいものを取り出すのは困難だった。一枚のジャケットに挟まった20枚くらいの束を一枚ずつめくっていくが、どうも聞きたいアルバムは見当たらない。

 日頃そうやって探しているものだから、盤面の絵柄もそれとなく覚えていて、めくっていると、いつだか別のときに探していたのがでてくるから、ひとまずそれを流すことにする。流していると、悪くない。妙齢のロックミュージシャンが、若いオーケストラと一緒に新しい曲をやったライブの録音。瞑想的な感じで、たまに軽快で、部屋の気配が明るく色づくようだった。しかし、心の中に、当初探していたアルバムの音は鳴り続けている。あれが聞きたかったな、あれが聞きたいのはどうしてだろう、あの声の感じなのか、モジュラーシンセの音質なのか、空気感か……。どこかにあるはずなのに、どうしたって出てこなくて……

 [インプロビゼーション]

外では雪が降り出した。ハラハラと、冷たい空気の流れをなにかがなぞっていると思ったら、雪みたいだ。

 店で飲んでいた3人は、いつしか、店で流れる音楽にききいっている。サックスの即興演奏で、ドラムやウッドベース、エレキギターが隙間を縫うように何か色々な音をだしている。旋律がひたすら重ねられて、時間が重ねられていく。音によって時間が作られていくような気がする。

「この音は、どうしてこんなにいいんだろう」

「いいですよね、何でしょうね。こないだいった友人のライブなんですが、スマートフォンでふと録音していて」

 それを店主のスマートフォンからスピーカーにつなげて、流している音。ライブの終わった後に、店主のそばの座席でずっとスケッチブックを広げて、なにか描いていた人の声を聞くと、こんなんなりましたという。真中に黒く大きな円形が描かれて、その周りを線や紋様のような繊細なかたちが廻っていて、だいたい黒っぽい画面になっていたという。四人の出す音の感じなのだろう。それと、何やら濃厚な人と人の関係性などもそこに入っている。楽しそうに音を重ねて四人で遊んでいるようなのだけど、黒いペンだけで重ねていくと、どうも闇深いものに見えてきてしまう。けれどそういう遊びは闇から生まれるものだから、それも自然なことに感じられる。

 あなたには、ふわふわと響く、ギターの旋律がどうも耳に残る。ふわ、ふわと響いて、その後だんだんと刻むような音色がしている。どうも、聞き覚えがある。知り合いの彼じゃないだろうか。

 「あれは何か、ギターを弾かずにギターの音を出してましたね 紐で何か弦をさわったり、その紐を弦につけたまま、ギターの箱を叩いたりしていて」

 「かれはいつか、会った時、酒をのんでいて、世の中でこれまでに鳴った音の全て、全く同じ音というのは絶対に生まれていないと言っていた。人が感覚することは全て、同じということはないから」

 ギタリストの話したことをこう、声に出して話にしてみることで、そのニュアンスが削がれてしまうことが、話をしながら、気になった。彼はいつでも、あさっての方向を見つめながら話をしていて、しかし話の大事なときになると目を真っ直ぐに合わせてくるから、なかなか、話の流れをはぐらかしにくい。はぐらかすべきではないと思いながらも、あまりにストレートに核心に向かうようなことを言い出すから、すこし待ってくれ寄り道がしたい、という気になってしまう。だからあなたは右利きだから、すきあらば目線を左へ、左へと逸らしてしまう。そういうやりとりを思い出している間にも、どうも聞き覚えのあるギターの旋律がしてくる。彼の、音の色だな。ほかの音に合わせて彼が呼吸を調節していて、そのリズムや響き方が、身に覚えのある感じになっている。そこに大振りの、サックスの音が響く。響き出したら止まない速さで。

 それであなたは高揚して音楽の話なんかをするけれど、安藤はエレベーターのことや、一人で過ごす渡辺はどうしているのかなと考えていて、あまり話題にのってこない。もう一人はちょっと寝そうになっていて、あなたは、店主と音楽の話をつづけることにした。どうして、あの音楽を流していたんだろう。これも、誰かが考えている思想のようなもので、その思想を流すことがまた思想なのだろうか。思想というのが、だんだんと曖昧に感じられる。

 そこには、思想なんてない。いや、あるのだろうか。雪はだんだんと質量を増していて、積もっていくようだった。対岸の部屋で渡辺はそれをちらちらと眺めながら、まだCDのことを考えながら、変わらぬ浜辺の映像を見続けている。いや、同じ波の表情なんて決してないから、同じようでいて、一瞬一瞬が細かく変化している。いっときいっときが新しくて、かれこれ1時間くらいはもう、そこから目を離せないでいるのだった。でもそろそろ、眠くなってきていた。

[インプロビゼーション]

 ほんとうは3人は会うことはなかったはずだった。実は夢みたいな挿話で、ほんとうはそれぞれ淡々と、ふだんの夜を過ごしてただけのはずだった。けれどもこうして、実際に酒を囲んで過ごしている。過ごしているものの、それぞれ、特に交わって盛り上がる話題なんかは生まれていなかった。それでも気まずいわけではなくて、ただ淡々と、杯を重ねている。あなたとしては、そこの安藤と思われる人が、安藤だと確証はもてないけれど、どうもそうじゃないかと思っていた。

 ただ、近所に住んでいるということは話の中ででてきていた。だからといって、いつもあなたの部屋を見ているかもしれないとは、言い出しにくかった。けれど言外に、どうもそうしたフィーリングを感じてはいた。でも、Y……とされている人には全く関係のない話だし、そもそも、それがYであるかどうかは、今のところまだ分からなかった。けれど成り行きで、そのように、バーに過ごしていた。

 酔いにまかせて全部確認したい気持ちもあったけれど、ここで秘密を解いてしまっては、どうも今後の暮らしに不安が残る。あなたは、そろそろおいとまして、一人で部屋でゆっくり過ごしたいと思っていたが、雪も何だかすごいし、ここで出てしまうと、誰か一緒に立つ可能性もあって、それで、もしも対岸の住人ということが分かったら、味気ない。それよりも正体がわからぬままに、近所に住んでいるらしい人のままでいてほしかった。

 何を言っているかわからないかもしれないが、そのままの方が、あなたは新しい景色を見続けられる気がしていた。同じエレベーターでも、出入りするたびに何となく空気の違い、微細な景色の異なりを楽しむことができるけれど、そこに見知った人が過ごしているとなると、楽しみ方も変わってしまうし、無遠慮に笑うこともできやしない。などと考えるうちに、だんだんと頭の中が溶けていくような感じに、あほになってきている。

 太助さんだったら、細かいことは気にせずに単刀直入に聞くのだろう。何をそうくどくどと悩んでいるのか。ところであなたは、あの対岸の部屋の住人なのですかと。かの女もそういう場面では繊細になりがちだったけれど、第三者としてこの場にきたら、それはそう聞くのだろう。

 でも、悩んでいるのがまた心地いいということもある。

 ところで太助さんはどうしているかというと、人知れず宴会を続けていた。鹿爪らしい表情をした人を中心に、酒を囲み、そこのテレビに無音で流れているモノクロの映画を熱心に見入って、意見を述べている。このシーンでは彼はこう語る。ここで転ぶ。そう、そこで、子供たちのジャンプ。マットレスに乗っかって騒ぎ立てて、扇風機に向かって大声を放つ。無我夢中に叫び続ける。

 映画の場面を思い返すように、画面を見ながら語っている人の、コメンテーターみたいに繰り返す発言に対しえんえんと頷きながら、みんなすこし眠くなり始めている。雪はしんしんと降り積もっていくみたいだ。

 気づくと大衆を尻目に、太助さんはこたつで寝息を立てている。

[反復する電子音]

 雪の降る街のバーではまだ音楽は鳴り続けていてうるさいのだけれど、だんだんとそれが一つループし続けるエレベーターミュージックのように感じられてくる。エレベーターミュージックとは、エレベーターで流れてくる、えんえんと流れているようなアンビエントミュージックなのだと思う。そうなのだろうか。

「いいや、アンビエントとして作られたのではないのだけど、結果的にアンビエントになっているんじゃないかな。ジャンルとしてのアンビエントミュージックではなくて、つまり環境として空間になじむように生まれているから、そのようになっている。そしてエレベーターという空間に合わせて設計されているから、あの開閉の感じとか、でた後のホールの雰囲気とかが音にも入り込むようで、私たちは音を聞いたときにエレベーターやスーパーマーケットにいる記憶を思い起こす。しかしこう爆音で聞くと、解像度があがって、悪くない」

 急にとうとうと、安藤のような男が話し出した。かれもまたエレベーターを愛好しているのは、あなたは何となく知っていた。前に書かれた文章などで。そうしてあなたもエレベーターやスーパーマーケットの音楽は、嫌いじゃない。

「とても、細やかな音づくりがされている。ゆったりゆったりと、声の響きを気にしながら話している人みたい。あれは、どういった時代から始まっているんでしょうか。やっぱりスーパーマーケットとかが盛んになりだした時代?  あとなんかシンセサイザーとかが流通し出したころなのか。人が心地よく過ごすための音づくりというのか、こんなにうるさくても心のひだに入り込むような、やわらかさがある」

 ついにYのような人が話し始めたので、帰りにくくなってくる。いや、むしろ帰るチャンスなんだろうか。でもスムースジャズみたいな、生の管楽器のような音も絡んできて、面白くなってきている。これは一体、どういうことなのだろう。ラウンジミュージックとでもいうのだろうか。今この音と濃いめのお酒がとてもいい。気づくと店主は、カウンターにうつぶせになって寝始めている。薄暗く狭い店内の壁には無数のメニューがフォントのような手書きで貼られている。この酒とこの酒を混ぜてこう飲む。これはストレートで、あるいはロックで。ほどよくソーダで割って。あいだにあいた窓から、私鉄の電車の線路がみえて、まだ夜中だから何も走っていない。あの隙間にあるジン、勝手に飲んじゃおうか……


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