散歩道|11

[みんなと私たち]

「何か、あれはたまたま鏡合わせっぽかっただけであって、実際はただ単にお互い、日々過ごしているだけなのだなと、思うよね」

「私たちと同じような、人が」

「そういうと語弊があるけれど。まあ同じような人間ではあるんだけど」

「それでもいいんじゃないの? そもそもどうして……鏡合わせなんだっけ」

「いつからか分からないけど、気づいたら。それこそ、ここに引っ越してから一年くらい、ずっとかな」

「そういうことになっていたというわけ?」

「ええまあ」

「そういうことにした理由が、なにかある気もするのだけど……」

 たしかに言われてみたら、所以はあったんだろうか。あなたが勝手に言い出したとかではなくて、行きがかり上、そういうことになっていたような。鏡合わせの人たちがいて、見るともなく見ていると。

「ほら、すいた電車の座席なんかを見ているとそうだけど、世間にはそういうところがあるし、近くに似た人が集まって、どうするわけでもないけれど、そこにいて」 

 それが、個人情報とか、その人の名前とか、肌触りがリアルになると、どうもあやしくなってくる……。しかしそれは、誰においてもそうで想像はすぐに色あせてしまう。

 太助さんとしては、あの部屋が週に幾度も、こちら側から見える窓の小さな物干しに布団が干されているところを見ていて、うちはこんなに小まめに干さないし、そもそもあの規模感の小さいベランダもないから、どうも、あなたが随分熱心に話すけれど、そこまで似ていないのではという感触もあった。

 あなたは窓の向こうの対岸の部屋をちらと見るけれど、ドアは開く気配はないし、窓辺には物音もせず、何か動く気配はない。たしかに時折、同じ時間にキッチン煮立ってたりするから、同調を感じていた。干される服や布団、後ろ姿の雰囲気などを観察するともなく観察していて、いつしか設定を練り上げていたんだろうか。世代や性質だけじゃなくて、きっと家賃や環境なんかも、近いところを選んでいるのだし。

 気づくと太助さんはこたつに入って横になり、寝息をたてている。眠ることもコミュニケーションのひとつなのだと、あなたはふと感じる。本当だろうか。

[ダンス&ソウル]

 トーキング・ドラムという楽器がある。それって何なのか、タップすると話しているように音で話してくれるドラムなんだろうか。膝などにはさまれ、両手でゆっくりゆっくりタップされる。小柄でやさしく、ただ、話すくらいの声量で様々な色のリズムを出し続けている、そういう楽器なんだろうか。

 あなたと太助さんが話している一方で、対岸の二人は、似たように対岸のことをいぶかしみながら、過ごしていた。

 安藤は淡々と、エレベーター通いを続けている。けれどあの日に聞いた爆音が気になっていたので、もっと大きな音でエレベーターの音を感じたくなって、録音をはじめた。職場の昼休みにレコーダーを持って、エレベーターで流れる音や、すくない人が立てるささやかな喧騒、空気感なんかをレコーディングして、それをヘッドホンで爆音で聴くのが楽しくなってきている。そこから、何かを作ろうとしているのだろうか。

 その音は時に、渡辺と過ごす部屋でも流されたりしていて、けっこう音がでかい。渡辺はどうしたのだと感じるのだけど、こう何か、自分の作品をつくるようにかれが前向きになっていることは、いいのかもしれない。しかしノイズが過ぎる。

「もう少しボリューム下げてもいいんじゃないの?」

「でもこれくらいじゃないと、よさは分からないかなと」

「人のこう、呼吸とか足音とか、咳払いとか、そういう小さな音まで、こう大きくすると面白いのだけど、日常的に流すにはちょっとやりすぎだと思う」

「でも日常っていうのも、おれはよく分からないから。日常って何」

「こうやって何となく過ごすことかなあ」

「それはどうなの。それまでの取り決めなのじゃないの」

「それまでの?」

「だから、一緒にいるじゃない。そのなかで、こう過ごすと、こう時間が経って、気持ちいい。とか、ちょうどいい。とか」

「積み重ねて、あとから振り返ってみるとそうなってるねってことだね」

「だから、一旦日常はおいといて、おれたちが気持ちよかったらいいんじゃないの」

「でもわたしは、うるさすぎて気持ちよくない……正直、不快」

 空気が少しかわる。

「むしろ静かな音楽みたいに思っていたけど、そんなことはないの」

「静かな音楽は好きだけれど、これはただの街の雑音じゃないの」

「雑音!」

「大きい声ださないでよ。……でもBGMだとしても、落ち着かないよ」

「それを大きくするのが面白いっていうか。静かな音楽だって爆音ならうるさいじゃない」

「でもどうしたって街の音だし、わたしは思い入れがあるわけじゃないし」

「そこに流れている音楽がよかったんだ」

「じゃあ音楽そのものを流せばいいじゃない」

 エレベーターのよさを渡辺は分かってくれない。分かってほしいとは考えていないが、ここまで歩み寄るそぶりもないのが、どうも腑に落ちない。もう少し共感を示してくれても、いいんじゃないだろうか。そうだあの、こないだバーで出会った人とかなら、分かってくれるだろう。

 やはり安藤はあの日のバーにいたのだろうか。その頭は左右で異なる長さをしていて、片方がイガグリ頭で、もう片方は長めのボブだから、あなたと太助さんが認識していたのは、どちらも間違いではない。あなたに至っては、闇深い飲み屋での会話だったから、きっと、記憶はおぼろげになっている。第一、相手の目や顔は明るい昼間でもあまり見ていないし、あまりちゃんと覚えていない。

 しかしそんなこと、安藤にとってはどうでもいいことだ。彼が一心にエレベーターの録音をアーカイブし、一方で渡辺は、また波の動画にふけっている。

 エレベーターは上下動を繰り返し、音楽を流し続け、その谷間で左手に構えたレコーダーも揺れ。波間は律動を繰り返し、空気や音の揺れに対して繊細に揺れて、行き来している。お互いの揺れ具合は皮膚に伝播して、乗客の指先や口元などが、ごくわずかに、波長を合わせて振動している。彼らそれぞれの視線もそうで、わずかな揺れに合わせてぶれながら、そのものを見つめようとして、動く感じがする。それは渡辺の見る波といっしょで波の頂点は次の波に移り、隣の波と合流して静かな音を立てて。エレベーターもその揺れを音と共に降りる乗客に渡して、何か乗客の破片は床に残る。熱量などを、床と靴とで交換している。いつしか、お互いの心音を合わせてリンクしている。時間は過ぎていって留まることはなくて、エレベーター自体も時に合わせて、劣化し、時間を重ねていく。

 安藤としてはそのように思えて、渡辺のふける細波というのは、どうも本当のところよさが分からないのだけど、互いに惹かれる音や映像をやって過ごす時間を、何か、いい時間だと感じている。キッチンの換気扇の下でくゆらすタバコにも情熱が灯る。そんな一方で、渡辺はそんなことは微塵にも感じず、ただただ波間に魅入られて、時間はゆったりとスライドするように2時、3時と過ぎていく。

 渡辺にとって波間とは、どうしてもいつか過ごした日々を思い出すから、心地いいというところもあった。あの頃はどうも日々熱いものがあった。私たちはバンドみたいだった。広大な海を前にして、発泡酒を飲んで、雑草を紙で巻いてくゆらせてはキメていた。時には波にずぶ濡れになりながらも、ただただ楽しい。そんな時間もあった。それはああ、波を思えばしぜんと再生されるし、今ここにそのソウルが続いているような気がしていた。

 箱庭を見つめるのが、好きなのかもしれない。

 

[日常の宴]

 そうした気持ちなどの揺れは、連動なんてないと喝破されたあなたと太助さんの住まいにも、本当はうっすらと伝播している。そう、カーテンの微細なゆれからあなたは、何かを早合点していて、その揺れの楽しみを太助さんにささやいたりしている。太助さんは曖昧にうなずいてああねえと言うものの、あなたの声色がどうも聞き取れる周波数にないものだから、きっと大したことを言ってないのだと思って、淡々と里芋やじゃがいもの皮を剥いて、それを煮て、牛肉や蒟蒻、ネギなどを入れて、芋煮をつくっている。里芋は、こないだの宴会にきた太助さんの知人がおみやげに置いていったもので、新鮮で身がしっかりしている。

 結局のところ隣人同士どこか似ている。けれど人からして皆どこか似ているんだろう、そのレンジを広くしたら。でもひとまわりして、この隣人同士はどうも似ている部類にはいるようだ。

 そうしたことを遠方で、八子さんが感じていたりする。結局は、長年の相方であるYが合流して二人で、隣り合った二室の部屋で過ごしていた。

 二人は「日常ってなんだろうな」と言っては、八子さんが発信し、それをYがアシストしていて、日々を繰り返しているのだった。そこは、あなたがこの間通信したときと同じ、海外のとある街の一角のアパート。天井が高く広々としていて、窓の外の電線では猿が行き交い、生っぽい喧騒が常にしている。彼らが生まれ育った閑静な場所とは異なる環境で、彼らなりの隣人や顔馴染みもできたりして、そこそこ面白おかしく過ごせていたから、日常を考える暇もすくなかった。けれど合間、合間にふつふつと、二人の台所にメモが大量に重なり、言葉が積もり積もっていった。台所では料理もよくした。簡単な煮物が多かった。

 八子さんの眉は、日差しが強いせいか、年齢を重ねたせいか、名前を意識したのか、以前より下がり気味で八の字に近づいていくようだった。その雰囲気はベンチレーションとなり、世の中と二人の日常の風通しをよくしていた。

「わっしょわっしょ」

 近くの路上で子どもたちが叫んでいる。

「わわっしょわわっしょー」

 近所の施設に通っている少年少女たちで、ひまになるとよく行列を作って、踊り念仏のようなことをしている。ときに歩いている八子さんも巻き込まれて一緒に踊らされることがある。ノリがいいのが身上なため、しぜんと踊りに入るし、雰囲気も面白く感じていた。狂気ではなくて、どこかおどけたダンスて、日々の鬱憤を散らす機能なのだと彼ら自身が自覚しながら行っていることに共感をもった。

「わしょわーい」

 子どもの声がつづく。そのフィーリングは、いつかあなたが見た作品の続きみたいでもあった。

 するとあなたの部屋と、対岸の部屋にある八子さんのオブジェがほのかに発光する。片隅で、タヌキの下腹部がじんわりとオレンジ色の光を放っている。本当だろうか。とはいえ、どちらの部屋も寝る手前だったからスマートフォンの充電の光などと混ざって、誰も気づいていなかった。でも、スマートフォンの充電の明かりが反射しただけかもしれない。

 八子さんは眉を揺らしながらパソコンに向かい、新しい何かを書き始めている。メモ書きを見ながら、スケッチみたいに何かを構築しようとしているみたいだ。

[散歩道(2)]

 でもやっぱり、あなたはまた散歩をしている。仕事、仕事といっているけれど、それは何か考えたり考えたことを寝かせて発酵させたり、頭のなかを整理するのが求められる物事だった。あたたかくなってきた宵に、歩いていると身体が温まってきて、冬のコートを脱いでそのままに歩いている。だんだんとペースが定まって、リズムが生まれる。風の感じも、やわらかくなってきていて、どうも鳥や猫なんかもやわらかく過ごしているように感じられて、徐々に前向きな気分が生まれてくる。ステップもふんでみたり、するのだろうか。頭のなかでコロコロという音も、小気味よくなっていく。

 すると後ろからランナーがかけてくる、と思ったら、それは俗っぽい何かだった。ペタペタペタペタ、奇妙な音と、激しい呼吸と、ジャラジャラと金属音が交わって速いペースでやってくるから、刹那、変質者かと思ったら、そこまで特異ではない。けれど、どうも人智をこえたような、そうでもないような見た目をしている。これは、ひょっとしたら俗っぽい「思想」なんだろうか。だいたい人の一回り大きいくらいなような感じで、けたたましく歩いていく。ずいぶんと横に大きくて、歩きにくそうだった。

 あの、思想というのは一体何なんだろう。二人暮らしが鏡写しみたいにいることが思想のようだと感じていたけれど、こういうのも思想なのだった。

 金属音の方が遠くまで響くから、そのままジャラジャラと小さくなるまで言いながら、歩道を真っ直ぐにぬけていく。あなたのことを振り返ったりとか、何か気にするような感じはない。自分が思想を頼りにすることはあったとしても、思想が自分をかえりみるようなことはないだろう。妙に腑に落ちた。この場合の腑というのは、臓器というより、何か、中空におかれた麩のようだった。味噌汁なんかに入っている、ふわふわしたものだ。ジャラジャラという響きは段々と遠のいていって、聞こえなくなっていく。すると、

DIVE, DIVE, DIVE, DIVE and DIVE

 そう向かいの壁面に描いてある。リズミカルな、だいぶこなれた文字面で、前にあった金釘文字よりも、何だか大人になったみたいで、正直にいうと面白くない。どうもフレッシュさが感じられなくて、イメージが頭に入ってこない。さいごの方に「and」とあるのは、それらの語が一連のメッセージであることを強調しているのかもしれない。しかし文法を意識すると説明的になってしまい、ダイブする意味合いを小さくしてしまっている、感じがする。

 けれど結果、ダイブというワードをあらためて考えることになる。どこにダイブするのだろうか、たとえばこの道の下にまた異なる路上……暗渠みたいなものがあるからそこへ行け、という直接的な説話かもしれない。もしくは、より歩き方にドライブをかけて、真っ直ぐその先にいけということ。歩くという行為の先にどんどん潜っていけと。それかより話を広げて、色々もっとちゃんとやれということだろうか。けれどあなたは、その文字を描いた者に、もっとちゃんとやれと言いたい。

 できることならそうやって何かに飛び込んで、知らないところへ行った方がいい。けれどなかなかそうならないのは、どうしてなのだろう。というか、この文字ばかり見つけるのはどうしてなのか、他の文字はないんだろうか。「エビチリ」とか何か。これはあなたに向けて誰かが練習しているのだろうか。八子さんだと考えたこともあったけれど、どうもそういうわけではなさそうだ。彼の手つきは鮮やかで言葉のセンスも切れがいい、やるならば一発で仕上げて、下手な練習のそぶりなどは残さないだろう。描くならもっと小気味いいものになるはず。

 と思っていると、対岸の道を、二人づれが私と同じ方向に向かって歩いているのが見える。二人はそんなことを知らずに淡々と歩いている。お互いに何となく華奢で、一人は坊主頭で、いや坊主頭かと思ったら右半分だけで、左半分の方は長めの、あなたくらいの長さの長髪だ。それでもう一人の方は小柄でほてほてとしている。女性の方は巻き毛っぽいロングヘアーに黒っぽいワンピースを着ていて、それは大きめでオーバーサイズというのか、だぶだぶしている感じがあって、それがほてほてした感じとなっている。

 ここであなたはいつものようにベンチに腰掛けて、コンビニエンスストアで買ったビールなどをあけて、眺めている。半ば影になっている二人は前を向いて淡々と、何かを言い合いながらあちらの方へ歩いていく。何を話しているのだろうか。

「エレベーターのよさを、もっと分かってくれると思ってた」

「いや、もっと好きじゃないかなって思ってたけど、あれ、落ち着かないよね……。すぐに、人が入ってくるし」

「今日は、多かった」

 どうやら二人は、片方が好んで通っているエレベーターにいってきて、その居心地を楽しんできたらしい。楽しんでいたかは分からないが。

「でも、あなたが好きなら好きで、まあいいんじゃないかなあ。人に迷惑とかかけなかったら」

「人から迷惑をこうむることはあるよね。急に入ってきて、何か嫌味を言われたりするとか。とくに、何か階を誤ったとか、ものを忘れたとかですぐに戻られたりすると」

「でもそれは、あなたが何か不自然な感じがしたんじゃないの。だって、ずっとそこに立ってるなんて」

「立ってるくらい、いいじゃないか」

「でもそこは、ふつうの人にとっては佇む場所じゃなくて、ただの移動手段なの」

「ふつうって何だよ」

「怒んないでよ……」

 そうしたやりとりは、歩きながら交わされたから、ベンチにたたずんでいたあなたの耳には入ってこなかった。それに小柄な二人の小さな声だから、よほど耳をたてていないと気づかれないだろう。

 歩いていたのは対岸の住人だったのだけど、あなたはそこまでは思いが及ばなかった。エレベーターが落ち着かなかったのも、きっと二人だったから、狭かったんだろう。あなたはビールを飲み干すと、また歩いて、文字などを横目にみながら、そのまま歩いて、帰る。

 ところで、あなたが歩いていて「引っ越したんじゃないか」とふと感じたあの二階の部屋は、たしかに引っ越していた。あるとき明るい時にまた歩いていて、部屋をみると、もう誰がいる気配もないし、窓から見えるものは何もない。もしかしたら角度から見えない一角だけで二人と猫が過ごしているのではないかと考えたけれど、そうする理由というのが思いつかない。あるとしたら、きっと表から見えたくないのだけど、窓にカーテンをつけたくはないという偏屈なこだわりでそうしている。けれども、猫も外をみたりしていないし、きっともうどこかへ行ったのか。この家は一軒家なのか、小さな中庭を囲んだ集合住宅なのか分かりにくく、その部屋は一階と続いているのか、単独で間貸ししているのかよく分からなかったのだけれど、次にまた誰かを迎えるのだろうか。

[不器用なジェスチャー]

 アパートの外廊下の一番おくまでいって、ドアを開けると、また3つの部屋が並んでいて、真ん中の居間がある。もうコタツは片づけられていて、太助さんはソファに横向きに横になっていて、目を開いている。いつものように寝ているかと思ったら、寝ていない。寝ていないから、本を開いて、それを眺めたりして、たまにスマートフォンなんかを見つめたりして、たんたんとしている。それでメガネをしていてこちらの方をふりむいて、あなたの目をしんと見つめる。口を結んで、背筋をのばして、手をあげている。髪はストレートで長く、前髪は真っ直ぐになっている。背は割と高いほうで骨格がしっかりしている。それでその手がなにかを示しているのだけれど、それが何なのかは分からないけれど、手を直角におりまげて、どうも何かを示していて、その手、指が向いているのが、どうも遠くの方で、あれはあれなのだろう。隣人の部屋を示している。

 対岸は、ちょうど部屋に灯りがついたところで、その表の物干しにズボンがあるから、どうも、そのズボンが取り込まれようとしているみたいだ。この太助さんのジェスチャーは、何だろう。同じように表に干しているズボンを取り込むように、あなたに示しているのだろうか。あるいは、その取り込むところをみたら、きっと彼らが会った人たちなのか、どうなのか、分かるだろうという合図なのか。不器用なジェスチャーには解釈にあたり特有のズレがあって、それが太助さんらしさだとあなたは思う。

 あなたとしては、そうやって意識的に動くことが、どうも壊れかけの隣人観を完全に壊してしまうんじゃないかというのが、気にかかる。あくまで思想のうえでの存在なわけだから、これまで通りであれば、そんな観念を気にして意識的に動くのはおかしい。そんな気持ちがあったけど、あなたの言い分によって、太助さんがルールを意識しはじめているのは、仕方がないことだ。

 ただ何となく、隣人のほうをさしてみた、ちょうど帰ってきて、帰ってくるといつもアクションがある。表に干している布団や衣服をとりこむのだ。そこに彼らの生っぽい動きがあって面白いよね。太助さんとしては、それを示すくらいの意図だった。だからどうしてあなたがそうため息をつくのか、よく分からない。けれど何か、思考があるのだろう。

[近い隣人、遠い隣人]

 あなたのついたため息は、哀愁のようなものなのか。彼らもあの二階部屋みたいに、不意にいなくなるのかもしれない。結局誰だったかなんて、分からない方がいいんじゃないか。でも縁はあるのかな、思っただけでも、何かのつながりになっていくのだろう。そんなため息。

 あなたとしては、太助さんの隣人観がわからなくなってきた。どうしてそう、全くの他人のように、関係ない出来事みたいに、あの隣人のことを言うのか。どうもあなたと、細かいずれがある。いやそれも普通じゃないかなと思う一方で、異なりが気にかかってきた。

「あの二人を面白く考えるのは、お互いにとっていいことだと思うのだけど」

「でもちゃんと会ったわけじゃないし、会ったのかも分からない人を勝手にどうこう言い続けるのも、変じゃない?」

「不要なほどにあちらを見てしまって、そりゃよろしくないかもしれない」

「本当に無関係だったら、私たちが意欲を持てば持つほど、煩わしくなっちゃうんじゃないかな。ひょっとしたらそのまま引っ越しちゃったりして……」

「それは困る」

「まあ住人として、よくはないよね。全然」

「困るけれども、互いに見つめあって、結果よくなると考えても、いいんじゃないかな」

「よくなるのか」

「多分」

「分からないけど、たとえばあたしが、対岸の一人に会ったら、何か変わるかもしれない。でもどうやって会うの」

「こう徘徊とかをしていて、偶然を装って出会う」

「それは、いや」

「雨の降る日に蝙蝠傘で顔を半分隠して、あの建物の軒先に立って、出会うんだよ」

「『こんにちは。その傘、私も持ってます』って?」

「そうそう」

 あなたがそう言いながら示したのは、手元がカエルのキャラクターになっている傘で、レトロな緑色の感じがかわいいから、玄関の飾りみたいにそこに置いてある。飾りみたいに、まったく活用されることはない。いつか杖として扱うこともあるかもしれない。でも、今話している想像によると、先方の二人もそのようにキャラ化している傘なんかをもっていて、それを小道具に使おうというのだ。

「10分くらいで飽きると思う。なんかあやしいし」

 一方で、まだ陽の明るい国にいる八子さんとYは、窓辺から外を眺めている。電線には猿や大きめの鳥なんかが、かわるがわる歩いていて、その下から、街のざわめきというか喧騒がしている。窓の幅は八子さんと同じくらいあるのだけど、それより縦の幅が広くて、ずいぶんと外光がさしこむし、開放感がある。

 Yは、市場で買ってきたブドウをつまんでいる。丹念に洗って、一粒一粒、皮のついたまま食べては皮を口から出す。たまに種があって、それも一緒に出す。ショートカットで、髪質は硬めで、何か少年のようだ。見ていると、八子さんは、子どもの頃にいった田舎の家のことを思い出してしまう。その子は、たしか、遠い親類で、どうしてか一緒の部屋で過ごしていた。手元には分厚い漫画雑誌が2冊だけあって、それを繰り返し読んでは、何かを待っていた。そんなときに、どうも皿にのったブドウがあって、同じようにブドウを食べていたような気がするのだった。

「このブドウ、おいしくない」

 Yがそういう。何か事務をしているときは敬語なのだけど、オフになると大体、親密というか雑な話し方になる。今自分はオフのような感じもするけど、ここに過ごすことで新しい何かをしようとしているので、中間的なところだった。

 八子さんとしては正直なところ、まだ、ここにいることへの迷いがあった。来てみたし、ここで新鮮な景色が見えることで私の脳や腸の動きは快活になっている。それはいいけれど、ここはいるだけで動きがあって面白いから、いいようにごまかされてはいないか、ひょっとするとただのバカンスとした方がいいんじゃないかと感じている。

 YはYで絵日記を描きはじめている。それは、黒いインクだけで描かれていて、だんだんとカオスの様相になりつつある。日記の中では、電線の猿は世界の中心を歩んでいるように見えた。真ん中にまっすぐ縦に線がはいっていて、その上をただ一人、まるで宇宙から降臨したような神のようなアングルで、足元からの視界で描かれている。その周りを取り囲むのは、電波。電波はどうも、何かわかりやすい電波マークのかたちをして、縦横無尽に歩んでいる。周囲をかけめぐって、地上に歩む鳩に伝播(電波だけに)し、鳩たちは歩いたり大きく翼を広げて飛び立ったりと、わりと自由に過ごしている。その、猿の歩む電線のしたには、少年がいる。少年というか、乳幼児くらいのサイズで、ただ立ち尽くしている、けれど、もう全て何もかも見透かしたかのような、澄んだ、奥行きのとても深い瞳をしている。限りなく透明感のある湖みたいだった。その湖には、湖だけれど海の家が並んでいて、人たちが過ごしている。それでその上には限りなく広い、空。空には飛行機雲が線をひいたかのような鮮やかさで二本、たってきているのだけど、それは何か不吉なサインを暗示している。パイロットの顔色は、あおざめている。高度やスピード、空気のせいなのかもしれない。

 まあ、猿としてもそう急にシンボリックに扱われても仕方がないから、へんぽんと歩いていて、ときにお尻を掻いたりしたりしている。その下には、タコや青魚がへんぽんとしていて、世界のオバチャンたちが青魚を三枚におろしたり、ネコに与える切り身を用意したりしている……。

 そうした図像が、Yの手元に呼び込まれている。八子さんとしては、とくに気にならない。Yとしても、わざわざ見せなくてもいいよねと感じている。

[見つめる前に飛びなさい]

 

 八子さんとYの二人の前にも、ある種の壁がたくさんある。たとえばその街角に「ダイブ」とカタカナで書かれていたりする。それはいつだか金釘文字で描かれていた図柄だけど、見慣れた言葉だから懐かしくもあった。カタカナを練習していたんだろうか。描き慣れぬ人のタッチに共感もおぼえた。しかし、ダイブ。そんなことを言葉にする時点で、おまえはダイブできてないんじゃないか。そんなことを、八子さんも、Yも、感じていた。

 けれどこう、この場に過ごすのが当たり前になると、どうもダイブというのは印象的で、ああ、ダイブしきれてないところがあるよな。そうとくに、この二人のコミュニケーションのなかみだったり、あとYの描く紋様のことにも、わたしは踏み込んではいないなどと、ストイックな八子さんは、感じたりしている。

「この絵は、何を描いているのですか」

「見たままだよ。つまり……混沌としていて。リズミカルで、ごちゃごちゃと、ハイスピードで流れる会話みたいなことかな。即興のセッションみたいな? Aがこうした、Bがこう応えた。Aがこう返した、Cが急に入ってきた……。それを何となく描いてみようと、思って」

「音楽みたいですね」

「音楽?」

 先ほど説明されていたYの脳内のイメージ……猿と電波、空と湖面、タコと青魚とネコ……といった図像は、ペンは黒いの一本だけだし、描き出されると結局、彼らがやりとりをしている流れだけが、絵に残っている。かの女は手遊びにそんなことをするのだけど、頭のなかで誰かと誰かのセッションが起きているのだろうか。それとも、今こうして過ごす日々をどこか鳥瞰的にみていて、そんな景色になるのだろうか。両方かもしれない。そうした景色を考えながら、八子さんは、パソコンのキーボードを叩いて、文字を打ち込んでいる。この日々の日記のような、自分のここのところの考えをまとめるような、お話になっている。

 家庭内で机に向かう二人の動きはどこか、アコースティックギターと電子ピアノがそれぞれに演奏しているみたいだった。どうも情感的に揺れ動くギターの音色と、頭で考えた音がたんたんと、音になっていくピアノの響きと。楽器は逆でもいいけれど、ふたつの身体感覚が、関係があるようで、ないようで。そこにしかない旋律は、部屋の中空にふわふわ漂うように、奇異なかたちをしてきている。

 その旋律は午後の間じゅう、ただよっていて、描画を延々繰り返していくうちに、Yのスケッチブックはほとんど真っ黒になりかかっている。多方面からの度重なる動きが重なった結果、描画も重なりすぎてよく分からなくなったからだった。でもかの女としては、誰かに見せるものでもないから、いいのだった。

 八子さんは八子さんで、何か手応えを感じたのか、一心に、テキストをいじって、直し続けている。日記のような内容だったのが、次第に文体は硬質になっていって、宣言文のようになってきている。アジテーション。見知らぬ誰かがいて、その誰かが、彼の手をひっぱって遠くへ連れて行こうとしていて、でもそうなったら誰かの思う壺なので、そうではない、私は歯を食いしばって地に足を踏み留めて、抵抗し続けていて、ダイブする……。そういえば、はたと思い出すことには「DIVE」と描かれた壁が、いつかどこかにあった。たしかまだ私が旅にでていない頃で、その文字を集めていたこともあった。写真はどこにいったか分からないけど、六十件はあった気がする。最初はざっくりと歯切れがいいのだけれど、見ていると練習のそぶりが多いし、だんだん上手になっていって、面白く無くなっていって、ああはなるまいと学んでいた。

 

[セッション]

 むきだしの屋台のようなものなのだろうか、思想とは。お祭りのやぐらのように、お飾りが色々とされていて、その上に誰かが立って、何かパフォーマンスをしている、歌ったり、演奏したり、踊ったり。けれどもやはり、彼らが立っているその場面の骨組みがとわれている。本当は、そんな骨組みよりもっと、かたちのないものなのかもしれない。下層や、大地の仕組みが重要です。それがどうも年月を経て、枝葉を広げ果実が実り、いつかかたちのあるもののようになっている。

 けれど思い返せば、それは型やレッテルで区別されるようなものではないし、ただただ、そこの素朴なルーツというか、畑に生きるタコの呼吸が感じられるものだ。畑でダイコンを収穫して食事をするタコは、すべて見透かしたような目をしていて、近づくと8本ほどの手を伸ばして、こちらに向かって何かを提供してくれている。くれているものは目には見えない。

 あなたはひきつづき太助さんとともに、対岸の部屋のことを考えている。だんだんと停滞してきて、広い夜空のことや、林の視界が急に開けて星空が見えることとか、焚き火などをして、ふと目をあげると、満天の夜空が開けていたりとか、ようするにこの住宅環境から一旦はなれて広い空を眺めたい願望がつのっていた。どうも「隣人」たちのことを考えることが、だんだんと辛くなってきていた。それはそうだろう。ある時は半身だと思っていたんだから。

 さて隣人たる二人は何をしているかというと、珍しく、二人で音楽をやっている。エレベーターの音楽について話しながら歩いていたけれど、結局音楽をめぐるやりとりが止まず、ならいっそ、二人で音楽をつくってみようということになったんだった。それで、片方がギターをひいて、もう片方はピアノで、ふたりの旋律を試みている。ギターはアコースティックで、ピアノはトイピアノみたいなものだったけれど、すこし大きめのトイピアノだったから、何となくトイではないように感じられた。かといって、本式のピアノというほどでもなくて、その中間くらいの独特の鍵盤楽器というのがいいのだろうか。シンセサイザーみたいな感じもあり、奇妙な電子音も鳴る。かたわらには、本日の教則本として、絵本が置いてある。絵本では、動物たちが食材を持ち寄り、鍋料理をつくろうとしている。人が、鍋や道具を持っているのに、食べるものがないといって、その森にいる動物たちがそれぞれ食材を持ちよる。うさぎが「こんなん食えへんやん」といいながら、打ち捨てられた電気コードをもってくるけれど、人がその中から食べられる部分だけを引っ張り出して、残りを火をつけるための素材に流用するというあたりが、どうもうさんくさい。そんなコードはないだろうし、あまりきれいごとを言うなよという気分になっていく。

 演奏される音は、そんな物語を発想の下敷きに、色々な断片というかコードを持ち寄って、一曲の曲として構成されるように、進んでいく。エレベーターミュージックに惹かれる安藤は、機械的な感じでギターを淡々と、あまり音に強弱をつけずに、一音一音をリズミカルに鳴らし、渡辺のトイピの方は、わりと情感的で、激しいフレーズを幾度も余韻たっぷりに繰り返した。それぞれの個性が出ているらしい。試しに少しやってみたら、何だか悪くない。はじめのうちは曲を作って何かをしようとしていたけれど、小さな音量でセッションというか、遊びながら、音をだしている。渡辺としては、頭の中で流れる曲に合わせて小さく踊ってるみたいな気分だった。

 向こう側の二人も、同じようなことをしているのだろうか。あまり考えることはなかったが、全く考えていないわけではない。演奏する手が動くにつれて頭がクリアになってきて、渡辺はふと気になった。鏡写しの部屋で鏡写しの私たちが何しているという設定は、いつの間にか気にならなくなっていたな。

[腫れとひずみ]

 あなたと太助さんとしては、そんな気配や音をうっすら感じながら、ただ二人でぽつりぽつりと、話を続けている。その話の内容が、次第に異なる意味をお互いに足していっていて、それはある種のセッションみたいな感じが、しないこともなかった。そうだ設定上、あなたと太助さんも何かセッションのようなことをしているんじゃないのだろうか。

 あなたは最近書いている何か、日記みたいなものを、小さく音読しながら、手書きでつづっている。今いる場所や前にいた場所とか、このあと住むところであったり、過ごす場所の記録をテキストにしておこうというものだった。住所録とかいったタイトルで、ほんとうは人の住所がはいっていたらいいのだけど、あなたの頭の中で何となくイメージしたことしか、入ってない。あなたのその筆致は早くて、崩れているから、なかなか初見では読み取りにくい。

 気がつくと太助さんは、音読に呼応するように、パソコンから音楽を流している。割と機械的に、たんたんとしていて、それはビートとか曲のスピードは、何かつまみのようなものを触って、あなたが話すのに、合わせてくれている。

「別に、合わせてくれなくてもいいんだけど。逆に気になっちゃうというか」

「いや、ふと遊んでいたら、そうなっちゃったんだよね」

 それは何となく分かるけれど、聞かないでほしいと聞いてほしいの合間で、どうも微妙な按配になっている。聞かれていることはいいけれど、聞いてほしいわけでもない。言葉に出して届くことで、生まれることはあるけれど。すぐ反応してもらえたらいいわけではない。いつもそうではないけれど、ただそこにいて、見ていてほしい。二人でいる二人というのは、誰にも興味がない。互いが互いを気にしていて、その中で話が完結していく。ほんとうに、そうだろうか。また何か、はけ口というか、空気を通す穴なんかがいるだろう。

 少し前から、向かいの二人がいるから、二人が四人になっているような意識があった。素性を考えることはあっても、ただ無干渉でお互いにいるというのは、程よいのかもしれない。互いに救われるところはあるんじゃないだろうか。けれど、あっちが完全に無関心で無関係ということもあるのだろう。明らかにはなっていない。いつかひょっこりと挨拶に現れるようなことがあったら、ああ、どうなるのだろうか。どうもならないのだろうか。とはいえそれって、相手が誰であってもそうだな。そんなことに気がついたので、新しいページに何かを書き始めていた。意外とペンは動いて、あ、イガグリ頭が動き出したとあなたは口に出している。

 すると安藤は、今年最初のくしゃみをした。

 そんなの、ろくなもんじゃない。かれは困惑して、演奏をストップする。おもむろに窓へ歩くとガラガラと音を立てて雨戸を閉じ、その先の方角をむいて、黙りこくってしまう。あなたと太助さんが過ごしている南側の窓だ。

「え、どうしたの。どうしたの」

 渡辺がそうたずねる。

 「しらないよ」と心の中で安藤は答えるけれど、口には出さないから、ただ、押し黙って機嫌が悪いだけみたいになってしまう。くしゃみで差し歯でも出してしまったんだろうか。そのまま止めちゃうのも寂しいので、渡辺の方はてんてん、てんと演奏を手遊びにつづけている。小さな音をころころと転がして遊ばせている。だからお互いの身体は、それぞればらばらに動いている。安藤は何も言わずに、テイッシュももたずに、ただ鼻をすすったり指でこすったりしている。鼻は意外と、骨格がしっかりしている。

[めくるめくタコ]

 昔つくったものが、いつしか誰かに価値あるものになっていて、そのまま大事にされていって、人に知られていく。タコとしては、そんなことどうでもいいのだけど、そうなってくると、何かしら自分にもリターンがあるんじゃないだろうかと期待してしまう。あのアレの作り手として、畑に暮らす自分にも。

 ところがそんなことは何も起こらず、どうもその価値とやらの一端として、タコの存在が話題になっていく。どうもどこかにいるらしい。その人は手足が8本あるらしい。なるほどだから、あの造形のセンス。民族の伝統というのか、ああした紋様は人並み外れていて、従来では考えられない奥深い味わいがあって、勝手に暗号が暗譜されているみたいだ。それを読み解けるのは誰なんだろう。

 その話題の中枢にあるものとはタコがむかし、手遊びに表面をいじったり傷をつけたりしていた、蛸壷だった。そういうのも、気づけば思想になっているのだろうか。あらゆる人が様々な解釈をして、大切なもののように物の本に取り沙汰されている。その手足がいかに壺をさわり、つるつるともてあそび、線を穿ち、水の中から土の上へと、異なる場所に持ち運んだか。いかに足を運んで歩きながら言葉をはいたか。いかなる息遣いだったのか、そういったことが、年々研究されていき、かれが折々に残した言葉が、神秘を帯びて、貴重なものとして取り沙汰されていく。

 パソコンで音を出して遊んでいた太助さんは気づけば、友人とテレビ電話をしている。口に出して話すことについて、二人暮らしの場の、会話のあり方について話していて、あなたはつい聞き入って、ペンが止まる。二人の間にいつからか何となくある、かたちを決めにくい腫れのようなものを、やわらかく、なるべく刺激を加えないように、なぞりながら話している。腫れは一見おさまっているのだけど、やわらかくなった皮膚の下で、まだかすかに熱を帯びているみたいだ。

 そういう時はあなたは右奥の洋間にいて、太助さんは真ん中の居間に過ごしている。すると、これまで出てこなかったもう一つの部屋である寝室で、時計の針が動く。長らく止まっていたのが、思い出したように急にガクリと、音にならない音をたててふれる。あなたは以前その時計をよく気にして、時間を知るために眺めていた。眺めながら、そうした腫れ物を気にして、目線を太助さんの方面から逸らしていた。

 時計が動くと、時報のような音波が出ている。耳には聞こえないけれど一斉に、あらゆる部屋で細やかな音で。ひとは身体全体で音を吸収しているというから、聞こえなくても、その奥に毎時間、毎時間ごとに、何かがセットされているという。

[聡明さ]

 見る見られるというのは、一方でどうも、ストレスフルでもある。とあなたは、先ほどと真逆のことを思う。だいたいこの時節の空気の移り変わりに、身体がストレスを感じているからそうなるんだろうか。頭の追いつかない部分で、いくつかの拒否反応が生まれて、しぜんと、身体が動かなくなっていく。あなたとしては、けっこう苦手で、人とつきあうこととか、人のことを想像するだけで、負担がある。だから、あちらに彼らがうろうろしているのは面白いし考えるのはいいのだけれど、そこにあなたと彼らとの関係性なんかがでてくるだけでも、負担がでてきてしまう。言葉にならない身体のどこかが彼らと接しているのが、疲れるのだろうか。そんな疲れにかまける一方で、太助さんとの腫れもある。

 そうやって過ごしていたら、ある週末に「客人」がやってくる。あなたも、太助さんも、よく知っている人だけれど、ふだんは遠方にいるから、顔を合わせるのは、久しぶりだった。

 客人は……、だいたい昼間から酒を飲んでいて、まっすぐな目をしている。音楽をやっている。イベントに誘われたから、この街に久しぶりにやってきたという。あなたも、しらふだと話が続かないから、まだ日も高い頃から、酒がはじまる。

 ギターを弾いている彼の音楽を、いつだったか店で流れていたのを聞いていたことを思い出す。そうあの、あなたが件の建物のバーで飲んだときに、流れていた録音だったろう。

 太助さんとしては、そうやって音楽の客人と話すあなたを見て、あなたをあらためて見つめている気分になる。あなたはギタリストと話していて、ギタリストは、次第に、認識についての話をしはじめる。あなたが見ている景色というのはあなたしか見ていないし、わたしが見ている景色はわたしだけのもので、つまり、決して同じ世界を共有していないんだという話。

 あなたは曖昧にうなずくばかりで、そう客人は、近視もあるのだろうが話しながらあなたの目を見つめてくるので、どぎまぎしたりするけれど、何となく話を逸らしたり、近づいたり、異なる話題にゆるやかにシフトしたりしていた。最近かいているテキストの話とか。そこでは、世の中で人が決めていることの境界線とそのグラデーションについて……などと考えているらしい。ようは、近況を雑談していた。隣人についても。見て見られていることで何かが成り立っているということを、客人も話していた。音楽の在り方にも、そういうところはある。舞台を挟んで、いつしか客が演者になり演者が客になったりよくしている。その間の人もいたりする。

 客人は時にエレキギターを手にして、もてあそぶ。電気を通さなくても、ぴろん、ぽろん、とやわらかい音が立つ。角は丸くて小ぶりで、磨き込まれたようなクリーム色が、目にやさしい。とても上等な、玩具みたいだ。

 客人の顔というのも、どこか、小柄な鹿みたいな感じだけど、けれどその視線の感じはいつだって、極まったようで奥底を見据えようとしていて、一筋縄ではいかない。

 音をきいているあなたは聞いているようで聞いてないようで。それに合わせて手で拍子をとったりしていて、何がしたいのかはよくわからない。この先の予定でも考えているのだろうか。いつか音楽のライブのときに、セッションが盛り上がって気持ちがいいときに、予定をすごいスピードで組み立てられるのが好きだと、あなたがいつか言っていたことを、太助さんは思い出す。頭がクリアになっているということなんだろう。

[落としどころがない]

 客人は客人なりに、自分の楽器をつまびきながら、何かそこに流れている空気や季節感とかを、ギターの音で、刻もうとしているみたいだった。それはくるくると動いて、ときにそのボディを手で叩いたり、何か紐や布なんかをかませたりして、聞いたことないような音も交えて、延々と音を立てながら、話はつづいていた。話もまた音のことに移り変わって「これまでに人が聞いた音のなかで、同じ音なんて一つもない」という話になっていた。哲学めいていて、あなたは、はじめはよく分からないのだけど、曖昧に聞いているうちに、どうも仮想現実みたいだと思ったり、まあたしかに、人の感覚していることなんて永遠に分からないわけで、だんだんと会話になっていった。

 キャッチボールではなくぶつ切りに、お互いになにか空中にあるものを眺めながら、空中について話しているみたいだった。空中には、何があるのだろう。かたちにならないものがあるのだろうか。客人のギターをつまびく手と、話しながら、組んだ足の膝のところをぽんぽんと叩くあなたの手。もっちりとパンみたいな手をしている。客人の手は小さく細く骨張っていて、繊細そうな動きをしている。お互いの手がコップの酒をあおりながら、ゆっくりゆっくりと、話をしている。

 太助さんは聞くともなく聞いていたけれど、いつからかタコのことを思い浮かべている。中空に浮かんでいるのは、そうタコのようで軟らかな頭と手足を空に広げて、ふわふわとしている。タコのいるところとこちらには、決然とした境界線があるみたいだった。

 かたや客人とあなたは、ゆっくりゆっくりと酒に溺れていって、話の輪郭がだんだんとぼけてくる反面、その話しているなかみはナイフのように研がれていくようで、目が離せなくなってきた。けれど中身だけでも、もうよく分からないし、いつまでも降車することはない電車のように、太助さんは思っていた。スピーカーから流れるゆったりとした打ち込みの音楽と、小さくメロディーを流すギターのあいだで、タコをつかまえるのか、あるいは、タコにやり過ごされるのか、そんなところを行ったり来たりしている。そのタコを狙うものが、どんどん細く鋭く研ぎ澄まされるようだけど、狙いは全然当たらない……


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