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散歩道|3

 何か決められた、こうあらねばならぬ、という枠などがあると、いつでもそれを疑ってしまって一歩戸惑う。何も言わなくなってしまう。時にそっぽを向いて、何も関係のないことばかりしてしまう。語る言葉を持たない鳥は、問われてそうしてどうするのか。

 何かを伝えたときのあなたのそんな反応を見て、太助さんは、ボンヤリしてどうしたのか、聞いてなかったのかと訝る。時間がたってあなたが返事をしている途中に、口早に自説を述べたりする。あなたとしては、先の問いに応える言い方を考えていたところだったというのに……。口の端をあげて、そうだね、とうすくうなずく。

 問われたことというのは、向かいの家に住んでいる二人について、あれがどういう二人づれなのか、二人で考えていたんだった。あなたは、あれはある種のドッペルゲンガーみたいなものじゃないかと感じていたけれど、そう、いつか見たある出来事を考えていた。見たというか、見ていない出来事というか。あちらの部屋を出てすぐ外の階段で、時折、出たり入ったりする姿を見かけるのだが、いつもどちらか一人なのだ。顔も見たことがなくて、うまい具合にかくれている。時にふと窓の外を見ると、干していたフトンをしまうところだったりするのだけど、合間に伸びる樹木などで遮られて、彼らの顔はどうもよく見えない。男性的なひとと女性的なひとと、二人で住んでいるのだけど、実際のところの正体というものは、とんとよく分からない。会ったらひょっとしたら、とても打ち解けて、近しい存在になるかもしれないし、そうでもないかもしれない。私たちのミラーサイトみたいな存在なのかもしれない、とあなたは考えていた。

 

 あちらは、そんなことを考えたりしているのだろうか。あなたたちの存在は、頭の中に存在しているのだろうか。それはもはや、思想ではないのか。

 思想とは、何なのだろう。あるふわふわした想念があって、考えて構想を練って肉付けしていって、それが一つのものにまとまったら、思想といえるのだろうか。届け方、伝え方に、ずいぶん心をさいたら、思想として相手に伝わるのだろうか。かたちになろうとしている言葉を、誰かが誰かに伝えていくうちに、ひとつにまとまったのかもしれない。宗教なんかはそうか、何かが集合してかたちになっている。それを身にまとって、人はある種のかたちになるのだろうか。いいえ、かたちは人そのものでもある。そうなのか? 想念は時を重ね手足をつけていって、かたまりになって動き出す。動き出すと、そこに暮らしが生まれる。だから何だ、今あなたが考えていることも、いずれ思想になり、暮らしになっていくのかもしれない。みている景色と感情が混じり合って、新しい時間をつくる。

 それは八子さんがあの場で試みていたことも近いのかもしれない。思いをかたちにしてみたのだろうか。

 さて鏡写しの部屋には、安藤と渡辺の二人がいて、コタツで会話をしている。

「彼らから私たちは、どう見えているんだろう」

 同じタイミングであなたも、だいたい同じような姿勢で、頬杖をついて声をかける。直視するわけでなく、斜めにぼんやり、見るともなく見ていて、その角度も大体同じみたいだ。そこに太助さんが関係ないことを言う。

「ねえ今日、どうしようか。あのイベントいくのだっけ?」

 するとあちらの部屋でも、渡辺に安藤が声をかける。

「ねえ、今日たしかあの街の店で何かあって、呼ばれてたよね」

 あなたも安藤も同じタイミングと角度で、ああそういえば……といった受け答えをしている。そうしてあなたと安藤は、キッチンへ立って、中指と人差し指ではさんだタバコに火をつける。異なるのは主に、右と左のきき手と、喫うタバコの銘柄。

 タバコって、喫う人は減っているのに、銘柄がずいぶん無数にある。それでどうもみんな固有の銘柄を好む。4、5種類程度で、この系統の葉っぱが好きで、お金があるときはコレ、ないときはこっち、となると分かりやすい。だけど、どうしてこんなに銘柄が沢山あるのか。たとえば品番で銘柄を知らせるスタイルの店があるが、番号が多すぎてその番号を知るのに時間がかかる。

 やっと番号を見出してその番号をスタッフに伝えると、3桁の番号を把握しその番号に合ったものを探すのも相手にとり一苦労で、かえって銘柄で伝える方が楽だったりする。何なのだろう。

 お互い明確に言葉にしているわけではないけれど、ちょうどそんなことを、ぼんやりと思いながらタバコをすっている。キッチンの換気扇の下に置かれた灰皿の隣には、水をいれた小さな椀がある。それで消化し灰皿にいれる。そのエリアの壁には窓があって、あけると、ちょうど真向かいに同じ高さに、同じ感じの部屋がある。ドアの手前に白く小ぶりな勝手口があって、あなたの方ではその勝手口を開けるあたりでやや手がこんでいるが、おそらく間取りや住環境、敷地面積は、だいたい近いらしい。

「今日はずいぶん多いねタバコ」

 そう渡辺が安藤に声をかける。安藤としては、そういえば問われたイベントのことを応えないとと感じている。どちらでもいいけれど、予定もないし、とりあえず行っておこうか。

 渡辺はコタツからでてソファにすわって、何か眺めている。本かと思ったらスマートフォンを忙しなくといじっている。誰かとやりとりをしているらしい。

「だいたい同じ部屋があるよね、あっち側」

「そうだね、たまに部屋を出てくるのをみかける。二人住まいみたい」

「だいたい背丈のバランスが一緒だよね」

「男の方がずいぶん大きくない?」

「いや、うちらと大体同じじゃないかなと。その比率の話」

「そうだな本当だ、男女が逆だけど」

「男女とは?」

 男女も背丈も言葉にするとそうだけど、本来はグラデーションだから、いちがいにそうと決めつけられない。そのとき言葉というものはあやしい。

 安藤は、いつもそういう細かいところを気にしている。気にすることが信条なのだという。

 この部屋ではテレビも流れている。モノクロの映画が映っている。

 あなたと太助さんも、同じようにモノクロの映画を流している。そこでは無頼漢が無賃乗車を繰り返しながら、ピストルを手にした車掌と戦い続けている。太助さんは、気づくと半目を開きながら横になり寝ている。たまに何か気づくのか、夢の中で反応をしているのか手指が、カサリと動く。反対の安藤と渡辺の部屋では、一つの街から隣の街へ、八人の人々が決死に移動を試みる映画を見ている。一人が、勝手に走らせた電車にはねられて亡くなり、続く一人が電車から出てきた車掌に撃たれて亡くなり早速六人になっている。でも淡々と人々は移動を試み続けてている。渡辺は起きている。

「どう見えてるんだろうね。というか、見てるのかなあ」

 渡辺と安藤の二人は、連れ合いの実家を初めて訪れて、帰ってきたのが前日の夜だった。その時の帰り際にもあなたには二人の姿は見えず、一人が遅れてトランクをもって上がっていた、後ろ姿だけが見えた。

 渡辺と安藤はコタツを囲んで、今度は安藤がつくった鍋をつついている。渡辺の生まれた家で出会った人のことをぽつりぽつりと、話している。パンクスな老人だった。老人という言い方もどうもそぐわない、どこか子供のような、澄んだ目をしている。そうして、あなたと太助さんが過ごす様子をうっすら気配として感じながら、あれはどういう二人なのか、ぼそぼそ語り合っている。彼らからしても向こう側には似た形式の二人がいて、向き合ってなにかを話しているらしい。あなたの方は、どちらかというと窓とかよく開け放して過ごしているから、見え方はもう少しクリアなのだろう。

「ここまであなたが主語だったけど、それって分かりにくい言い方だと思う」

「わたしというのが、よく主語になるから、読む人はそれに慣れているんだろう」

「あなたが、というときの『あなた』は、読む人のことなのかなあ。それとも、誰かこの話を届けたい相手なのか。それとも、単に登場人物のひとりということ?」

「わたしというのも登場人物ではある」

 テレビの向こうの人たちを指摘するかのように、安藤と渡辺は指摘を続けている。こちらではあなたが頬杖をついている。気づくと、安藤も同じ角度で頬杖をついている。

「お互いに見ているし、見られているのだろうね」

「それがいいときもあるし、わずらわしいときもある」

「会ったら、聞いてみよう。好きな乗り物は何ですか」

「電車、車、自転車」

「車は苦手だ」

photo 阿部さん

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