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散歩道|2

 あなたがそう、思いふけりながら歩いていると、いつか、道ばたにある石のベンチに腰掛けている。いつも、ふと座りたくなるベンチだから、そこのコンビニエンスストアで買った缶のチューハイを飲んでいる。何%だろうか? ストロングではない。遠くにかすかに、飲み屋の喧騒がしている。乾いた風が心地いい。季節はもうあれか、秋なんだな。いや、秋も終わるのか? その部屋があった国も、秋だったのか? 忘れてしまった。熱帯だけれど山あいだったから、そう暑くなくて、時折霧のような雨がふって、すぐに乾いていた。どちらかというと涼しくて程よかった。

 思い出すとはだいたい、何なのだろうか。それは思想のようなことなのだろうか。思想とは。

 そうして思い出すのは、まだ話していなかった左の部屋。ここが店の大事なカウンターであり、やりとりをする店先だった。作業場のようになっていて、交換物品である八子さんのオブジェが生産される。当初のオブジェはフグみたいだったんだけど、徐々にタヌキのようになっていった。「この方がうけるんですよ」内向的に微笑みながら、そう言っていた。どうも信楽焼のタヌキを崩したみたいな感じ。ヘラリと間のぬけた表情をしていて、手には酒瓶ではなくて、何も持っていない。そう考えるとぱっと見、なんか妙な土産物みたいに思えるのだけど、もう少しなにか仕掛けがあったような気もしている。たしか足の裏に何か刻印がされていて、彼の暗号のようなテキストが現地の言葉で刻まれている。

 この部屋はアクティブな部屋で、他には芋を焼いたり、ニンニクを干したり、何か書いたり、機械を触ったりしていて、子どもは入りづらそうにしていた。あとは、崩れかけた棚に錆びて真黒になった地球儀やアルミの箱などが置いてある。それとカゴが少々。物々交換に繰り出す際に、背負っていくカゴ。それと不通の電話機もあって、いつも遊ぶ女の子が居た。「もしもし、もしもし」スタッフのYが応答する。「もしもし?」なぜか、先の仮装と住民のやりとりが思い出されてくる。Yというのは、八子さんのアシスタントとして物事の現場によく同行していたからあなたも顔馴染みだった。

 あなたがそこに座って過ごしていると、遊び呆ける子どもがどんどん膝や手足に集ってきて、意外と慌ただしい。あなたは何を思ってそこにいるのだろうか。ぼんやりして、何も思っていないということはないのだろうけど、何かを考えていたのか。たしか、ノートに何かを書きつけていた。その場にいる実感とか景色の描写。あるいは今遠くに残してきた暮らしのこと? もうノートは残ってないけれど、そんなことだっただろう。残してきた暮らしでは、男女のつきあいをしている相手がいて、離れてみて感じることがあったのだろう。そこにいると、時間や空間は、ありあまる程あるように思えたから、考えてみようとしていた。

 書く間、ひまなおじさんが、あなたの手元をずっと見つめている。彼は色黒で彫りが深く、浅い筒みたいな帽子を被っている。瞳は灰に薄青く、一部はとても澄んでいて、一部はとても充血している。何か、言葉を教えてくれて、あなたが広げたノートの左上に書いてくれる。血管が浮き出た骨太な手で、書かれ続けるままになっている。歯のまばらな口から発話しながら書いてくれるのだけど、どうも耳に馴染まないから覚えられない。発声もテクストも新鮮すぎて分からなかった。

 おじさんは手に何か缶をもって飲んでいて、あなたにそれをすすめてくる。ケミカルな香りの飲料で、あなたは首をななめにふって手を上げて辞したところ、おじさんは残念そうにそれを手元に戻す。何%だろうか? ストロングすぎるくらいのアルコールが薫った。もう片方の手には大きな、傘が手のひらほどもあるナメコのようなものを持って肴にしていて、興味をおぼえたものの、それは気後れして言えなかった。

 気づくと左の部屋では、現地に住まう通訳のRさんがおばさんと話し込んでいる。何を話しているかは勿論分からない。Rさんは先ほどまで、何か大きい記録帖のようなノートに、書き物をしていた。それが、日記のもとなんだろうか。真ん中に足ふみミシンがあって、そこによく犬が寝そべっている。部屋の片隅にはドアがあって物置の小部屋があって、唯一外界から隠されたそこでは、八子さんらが通信するための電子機器などがひそやかにたたずんでいる。

 利き目が右だからか、見ていると、視線はいつも、えへ、えへ、と左へすべっていく。すると左はもうだいたい外だった。八子さんたちは町で借りてきた器具で炊事をし、その地域のお茶をつくり、掃除をし、遊んだり、打ち合わせをしたりする。たまに、お婆さんが集まって、そこにある食器でお茶を囲んだりしている。子だけじゃなくて大きい人たちも、竹の縁側に寄りかかり、世間話をしている。

 そうして1日に数回、この部屋の調度を集める物々交換のため、店員と子どもたちは町を練り歩く。子どもたち、時に大人や青年を交えて、節をつけて呼びかける。異なる日常のようなものが、繰り返されていく。一方で村では普段通りに、畑をやったり、ものを売ったり、ご飯を作って食べて寝たりと、明け暮れを繰り返している。村はゆるやかに隣人を眺めていたのだろうか。

 セルフフィクション。曖昧な感じで、あなたの記憶が戻ってくる。思い出す時って、時間がいる。他人の声を思い出そうとするように、自分の声を思い出そうとするのだから。だいたい書くことも、考えて話すということも、そこに実際に起きたこととは異なるし、ある種の嘘をはらんでいる。

 あなたは時折そうやって、あてどもなく歩いていて、ときに座って、リズムの中で何かに気づいたり、見えてくる何かがあった。座って考えていると、急にしとしとと雨が降り始めるから、あの村みたいだなと思う。けれど村とちがって、ずいぶん湿り気のある雨だ。気持ちいいかもしれない。でももう帰ろうかと、また立って、歩き始める。しかし、どうして八子さんの商店に行ったのだったか。かれと会ったのはとある大きな河で、そのときも河でボートをつかって何かしていて、少し言葉を交わしたくらいだった。あのふるまいに惹かれたということもあるし、案内の通知をもらって惹かれたし、それに合わせて旅をしたかったのだったろうか……考えながら、あなたはそのまま歩いて、いつか道を折れて、家路につく。

 そのアパートには、名札もない。いや、よく見ると小さな木の板がぶらさがっているのだけど、盛んな蔦の茂みにかくれて名もよく見えない。代わりに、大家の表札が目立っていて「すが野」とある。入っていくとピンク色のドアが並ぶ。安っぽくペンキで塗られたドアは、何かしらけて、異国のような感じもする。その奥の方に、別建ての棟がある。二階建てで、独立して建っていて、渡り廊下でつながっている。階段を上り、住んでいる部屋のドアを開ける。

 家ではそのまま夜がつづいていて、そこにも三つの部屋がある。入ると真ん中の部屋で、右と左にそれぞれ部屋がある。ちらと眺めて、真ん中の部屋のソファにすわる。一人がけの、椅子とソファの中間くらいの座り心地のソファだ。利き目が右だからまた左に視線をやると、そこは和室で、そろそろ冬も近いから、コタツがでている。

 コタツの中には、太助さんがいる。

 太助さんは本を読んでいるようで、スマートフォンをながめているようで、ぼんやりしている感じがする。ただいま、と声をかけると「ああ」とうなずく。先の八子さんの部屋のことを考えていたから、いつも太助さんとどうやって話していたのか、不思議に思ってしまう。この部屋はあの部屋とは違って、人はそこまで行き来をしていない。ずいぶん静かなもので、淡々と何かを見つめて、そのまま寝てしまうこともある。

 人と話すということとは、なんだろう。一番最初に交わした会話は何だったか。そこからすべては続いているはずなのに、内容は曖昧だ。だいたい八子さんのところでもそうだ。何をどうやって話していたのか、それであなたは、何を話したのだったか、あまり記憶していない。言語が分からなかったから、内容がわからなかったから? でも、普段はなされている大体も、大抵は意味なんてないし、内容もない。言葉とは人が、あとから決めたことなんだろう。その手前に、何かがあった。彼らはあなたに興味を抱いていて、何を考えているの、何をそんなに観察しているの、そうしてあなたの瞳を覗き込んでいるようだった。

 「ねえ聞いて、詐欺にあったんやけど」

 太助さんはそんなことを急にいう。SNS上でチケットを転売する人間にひっかかったらしい。そう言いながら、次のチケットを今度こそ騙されずにとろうと、スマートフォンの画面をいじっている。前向きな人だ。

 人は記憶したことを全て脳に刻んでいるという。音や匂いも全て蓄積されていて、何かの刺激でフラッシュバックしてくるみたいだ。なのにどうして言葉に頼るのだろうか。これは記録をしていく装置なのだろうか。だからその中にあなたはいる。あるいは、あなたはいない。

 気づくと太助さんはコタツのなかですうすうといって、寝息をたてている。

 その先で、たまに影絵が踊っている。あなたと太助さんの部屋のちょうど向かいに、まるで鏡写しみたいに似た部屋があって、カーテン越しに動く人のかたちが、シルエットになって動いている。同じく白い外壁の二階建てのアパートで、そこだけ独立した外階段がついていて、二階がそのまま部屋になっている。ドアを開けると、正対する同じくらいの高さに同じくらいのドアがある。朝になるとどちらかが出てきて、夜になると帰ってくる。もう一人は、家にいたり、いなかったり不定期で、どうもリモートワークをしたり、あるいは何かものづくりをしている雰囲気がある。

 片方は先ほど帰ってきた、左利きの青年で、安藤という。左手でドアをあけて、入り、3部屋ある部屋を眺め回した、それは左から右に向かって、洋室があって和室があった。和室にはこたつがでていて、そこには共に暮らす渡辺がいて、こたつに入って、何となくスマートフォンやiPadなんかを眺めている。眺めているのは定番の海辺のさざなみのライブ動画で、世が刻一刻と時を刻んでいる一方で、海辺も淡々と時を刻んでいるから、どうも目が放せない。その一方で近隣の友人からのメッセージなども入っていて、どうもあくせくしてしまう。有限な時間の中で、さてわたしは何をしたらいいか、とりあえず、友の連絡に応えるか。しかし、文字を打つのも面倒で、まあこっちも置いておいて、コタツもあたたかいや、ちょっとうたた寝しようかな、そしたらさざなみの動画の音を聞きながら横になろう……というところで、こたつに過ごしているところだった。

 けれど安藤が帰ってきたものだから、お互いに、何か語りはじめていた。曰く、画面ごしの打合せが最近になって増えたから、自分の顔ばかり見るようになった。しかも動いている。そんなことはこれまでなかった。見ていると思い出される人の顔かたちがある。それは母だった、だから母に「こんにちは」と声をかけてみる。渡辺はさざなみを眺めながらうつらうつらとして生返事ばかりしていた。「ああ」と生っぽい声で、うつろな反応を返していた。

photo 阿部さん

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