散歩道|10

[みんなと私たち]

「何か、あれはたまたま鏡合わせっぽかっただけであって、実際はただ単にお互い、日々過ごしているだけなのだなと、思うよね」

「私たちと同じような、人が」

「そういうと語弊があるけれど。まあ同じような人間ではあるんだけど」

「それでもいいんじゃないの? そもそもどうして……鏡合わせなんだっけ」

「いつからか分からないけど、気づいたら。それこそ、ここに引っ越してから一年くらい、ずっとかな」

「そういうことになっていたというわけ?」

「ええまあ」

「そういうことにした理由が、なにかある気もするのだけど……」

 たしかに言われてみたら、所以はあったんだろうか。あなたが勝手に言い出したとかではなくて、行きがかり上、そういうことになっていたような。どうも日々対岸を観察していて、そこにいる人は見えないし、でも実際そうだったら面白いし、おそらくそうに違いない……。鏡合わせの人たちがいて、見るともなく見ていると。

「ほら、すいた電車の座席なんかを見ているとそうだけど、世間にはそういうところがあるし、近くに似た人が集まって、どうするわけでもないけれど、そこにいて」 

 それが、個人情報とか、その人の名前とか、肌触りがリアルになると、どうもあやしくなってくる……。しかしそれは、誰においてもそうで想像はすぐに色あせてしまう。

 太助さんとしては、あの部屋が週に幾度も、こちら側から見える窓の小さな物干しに布団が干されているところを見ていて、うちはこんなに小まめに干さないし、そもそもあの規模感の小さいベランダもないから、どうも、あなたが随分熱心に話すけれど、そこまで似ていないのではという感触もあった。

 気づくと太助さんはこたつに入って横になり、寝息をたてている。眠ることもコミュニケーションのひとつなのだと、あなたはふと感じる。本当だろうか。

[ダンス&ソウル]

 トーキング・ドラムという楽器がある。それって何なのか、タップすると話しているように音で話してくれるドラムなんだろうか。膝などにはさまれ、両手でゆっくりゆっくりタップされる。小柄でやさしく、ただ、話すくらいの声量で様々な色のリズムを出し続けている、そういう楽器なんだろうか。

 あなたと太助さんが話している一方で、対岸の二人は、似たように対岸のことをいぶかしみながら、過ごしていた。

 安藤は淡々と、エレベーター通いを続けている。けれどあの日に聞いた爆音が気になっていたので、もっと大きな音でエレベーターの音を感じたくなって、録音をはじめた。職場の昼休みにレコーダーを持って、エレベーターで流れる音や、すくない人が立てるささやかな喧騒、空気感なんかをレコーディングして、それをヘッドホンで爆音で聴くのが楽しくなってきている。そこから、何かを作ろうとしているのだろうか。

 その音は時に、渡辺と過ごす部屋でも流されたりしていて、けっこう音がでかい。渡辺はどうしたのだと感じるのだけど、こう何か、自分の作品をつくるようにかれが前向きになっていることは、いいのかもしれない。しかしノイズが過ぎる。

「もう少しボリューム下げてもいいんじゃないの?」

「でもこれくらいじゃないと、よさは分からないかなと」

「人のこう、呼吸とか足音とか、咳払いとか、そういう小さな音まで、こう大きくすると面白いのだけど、日常的に流すにはちょっとやりすぎだと思う」

「でも日常っていうのも、おれはよく分からないから。日常って何」

「こうやって何となく過ごすことかなあ」

「それはどうなの。それまでの取り決めなのじゃないの」

「それまでの?」

「だから、一緒にいるじゃない。そのなかで、こう過ごすと、こう時間が経って、気持ちいい。とか、ちょうどいい。とか」

「積み重ねて、あとから振り返ってみるとそうなってるねってことだね」

「だから、一旦日常はおいといて、おれたちが気持ちよかったらいいんじゃないの」

「でもわたしは、うるさすぎて気持ちよくない……正直、不快」

 空気が少しかわる。

「むしろ静かな音楽みたいに思っていたけど、そんなことはないの」

「静かな音楽は好きだけれど、これはただの街の雑音じゃないの」

「雑音!」

「大きい声ださないでよ。……でもBGMだとしても、落ち着かないよ」

「それを大きくするのが面白いっていうか。静かな音楽だって爆音ならうるさいじゃない」

「でもどうしたって街の音だし、わたしは思い入れがあるわけじゃないし」

「そこに流れている音楽がよかったんだ」

「じゃあ音楽そのものを流せばいいじゃない」

 エレベーターのよさを渡辺は分かってくれない。分かってほしいとは考えていないが、ここまで歩み寄るそぶりもないのが、どうも腑に落ちない。もう少し共感を示してくれても、いいんじゃないだろうか。そうだあの、こないだバーで出会った人とかなら、分かってくれるだろう。

 やはり安藤はあの日のバーにいたのだろうか。その頭は左右で異なる長さをしていて、片方がイガグリ頭で、もう片方は長めのボブだから、あなたと太助さんが認識していたのは、どちらも間違いではない。あなたに至っては、闇深い飲み屋での会話だったから、きっと、記憶はおぼろげになっている。第一、相手の目や顔は明るい昼間でもあまり見ていないし、あまりちゃんと覚えていない。

 しかしそんなこと、安藤にとってはどうでもいいことだ。彼が一心にエレベーターの録音をアーカイブし、一方で渡辺は、また波の動画にふけっている。

 エレベーターは上下動を繰り返し、音楽を流し続け、その谷間で左手に構えたレコーダーも揺れ。波間は律動を繰り返し、空気や音の揺れに対して繊細に揺れて、行き来している。お互いの揺れ具合は皮膚に伝播して、それぞれの指先や口元などが、ごくわずかに、波長を合わせて振動している。それは、乗客の視線などにおいてもそうで、わずかな揺れに合わせてぶれながら、そのものを見つめようとして、動く感じがする。それは渡辺の見る波といっしょで波の頂点は次の波に移り、隣の波と合流して静かな音を立てて。エレベーターもその揺れを音と共に降りる乗客に渡して、何か乗客の破片は床に残る。熱量などを、床と靴とで交換している。いつしか、お互いの心音を合わせてリンクしている。時間は過ぎていって留まることはなくて、エレベーター自体も時に合わせて、劣化し、時間を重ねていく。

 安藤としてはそのように思えて、渡辺のふける細波というのは、どうも本当のところよさが分からないのだけど、互いに惹かれる音や映像をやって過ごす時間を、何か、いい時間だと感じている。キッチンの換気扇の下でくゆらすタバコにも情熱が灯る。そんな一方で、渡辺はそんなことは微塵にも感じず、ただただ波間に魅入られて、時間はゆったりとスライドするように2時、3時と過ぎていく。

 渡辺にとって波間とは、どうしてもいつか過ごした日々を思い出すから、心地いいというところもあった。あの頃はどうも日々熱いものがあった。私たちはバンドみたいだった。広大な海を前にして、発泡酒を飲んで、雑草を紙で巻いてくゆらせてはキメていた。時には波にずぶ濡れになりながらも、ただただ楽しい。そんな時間もあった。それはああ、波を思えばしぜんと再生されるし、今ここにそのソウルが続いているような気がしていた。


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