散歩道|9
[夢見る三十五歳]
もう遅い、お互いのことを何となく知ってしまったから、人が想像を育む余地がなくなってしまった。それもまた思想なんだろうか。あなたはそう、安藤があの部屋で行き来している様を思い浮かべてしまう。会ったのが本当に安藤だったのかは、そうとは言い切れない。けれど安藤が渡辺に、くどくどと何か、日々のこだわりを伝えること。彼が職場に出て行って、そうして昼間にエレベーターを愛好している様子などが、以前よりクリアに想像できるようになってしまった。
対岸の鏡越しに、似たような行動をしているぼんやりした二人の様子は、なかなか思い浮かべられない。それは、ふんわりしたイメージだからそうなったわけで。
それでいずれ、道端で出会ってしまい、挨拶などを交わす。やあ、こないだはどうも……などとそういったことを。ドアを開けたそこで目が会ったりしたら、ああ、どうしよう。どうも、もやもやが収まらない。
太助さんとしては彼らに対面したわけではないから、対面したからといって、あの向かいの部屋が考えにくくなるとは思えなかった。それにどうも、あなたが言っているその人の特徴というのが、どうも、あの部屋のかれというのとは、違う人なんじゃないかなと思える。だいたい、あなたというのは、なにかにつけ思い込みが強いし、相手の思惑を考えすぎている。
「それは、どういう人だったの。全然わたしたちとは違うというの」
「そうでもあるし、そうでもないような。どうも、分からなくなった。……でも、エレベーターミュージックが好きで」
「エレベーターミュージックって何」
「なんか、エレベーターとかスーパーマーケットとか、そういうところで延々と流れているような」
「ドンキホーテの歌みたいな」
「いや、もうすこししっとりしていて。昔の海外の、こうゆとりのある時代に生まれたんじゃないかなあ。シンセサイザーとかができた時代なのか」
「なんかパチパチして淡々としてるのね」
どうも会話というのは、思った通りには運ばない。結論をもとめるものでもないけれど。
「それでエレベーターミュージックがどうしたの」
「音楽もそうだけど、かれの名前とか、話す声とか、雰囲気とか。そういうことを知ってしまうと、どうも親しみを持ってしまって、彼がどうしているとか想像してしまう。エレベーターっぽい音は、ぼくも好きだし」
「うん、それで、愛着とかがないから面白かったと」
「あのイガグリ頭の小柄なかれが、そこを行ったり来たりする様子を、その顔を知ってしまったから。その顔が日々動いているところを思い描いてしまう、後ろ姿ではなくて」
「イガグリ頭?」
「そういうヘアスタイルのことを言うと思うのだけど、あと頭頂部のかたちとかが、どうもイガグリを想像させる。クリにイガイガが生えているからそういうんだろうか」
「いや、違うんじゃないかな」
「イガグリの定義が」
「いや向こうの『隣人』が……いつか遠目に、家に入る後ろ姿を見たけれど、たしかそこそこ長めのボブだった。わたしくらいに」
「じゃあ違う人だっていうの」
「多分ちがうんじゃない」
「そうかな」
太助さんが「隣人」という言葉を使ったのははじめてだったけど、なるほどたしかに向かいの彼らというより隣人というのが、しっくりくる気がする。
けれどそうやって話してから寝て、起きてそれからは、どうも、これまでとはあなたは目のかたちがかわった気がする。どうしてもあのイガグリ頭が日々カン、カンとあの向かいの部屋の階段を上がっているように感じられる。音に気づいてそちらを見て確かめようと思っても、もうドアは閉じていて、分からない。そうして、あなたのうちと似たようなイスをひいて、似たようなテーブルについて、机上に並べた食器をつかって何やら食べ始める。大鍋につくってあるスープを温めて、温まると、スープ皿によそって、スプーンを使って、食べ始めている。手元には、パン。うつむきがちに、カン、カンと小さな音をたてながら、食べている。コップには、牛乳。食事の最後に牛乳を一息に飲み干す。そこにパンの残りをぐりぐりすりつけて食べ終わる。そんなイメージが浮かぶけれど、そのパンを食べている彼は、どうもイガグリ頭で……。
それが本当なのかどうかは、よく分からなかったけれど、漠然とした感覚がある。太助さんは、バーにいたわけではないから、変化はなかった。けれどあなたがそういう恐慌をしているから、だんだんと伝染するみたいに、うつってきているイメージはある。だから全く変わっていないといったら、そういうわけでもない。あなたのかかえる鬱屈の流れに、気象に心を動かされるように、どうも巻き込まれつつある。ならいっそ、あちらのお宅にいって、ドアを叩いて、ねえ、あなたたちはそっくりさんじゃないですか? 私たちと。突撃して聞いてみたらいいんじゃないかと。あちらさんでも、気にしているかもしれない。
そうした太助さんの、言葉にされない動きに対して、どうも無頓着すぎる向きもあるんじゃないだろうか。そもそも向かいの部屋ばかり気にしていて、身近な隣に、気持ちが向いてなかったんじゃないだろうか、といったピュアな気づきも、あなたは一方であったのだけど、そうした気づきは一旦、寝かせて熟成させておこうと感じた。
ここには出てこないけれど、実はお互いの部屋の階下には同じくそのアパート全体の大家さんが住んでいた。いずれも壮年の二人暮らしをしていて、大家たる人の二人も共鳴して似た魚の夢などを見ていた。なぜだかこの地域では、魚の夢がよく見られるという。
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