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毒親と自尊心と絆創膏

毒親の話なので、同じ境遇の方は本当に先を読むか慎重にご検討ください。フラッシュバックの可能性大です。

最近twitterのフォロワーの増減が激しいので簡単に自己紹介をします。私、坂口ジャス子、30代前半のアラサー、見た目はアラフォー、趣味は筋トレとツイッターと猥談。新卒で外銀に入り転々とした後、お世辞にもうまくいってるとは言えない企業の尻ふきをしていました。

私を昔からフォローしている方は既にご存知と思うが、幼少期はお金には困ったことがないものの、家庭環境は素晴らしいとは言えなかった。主に父親が自己愛が強く、モラハラで、私はベルトで殴られたこともあるし、兄弟に関しては顔を踏まれたことがあった。陰で愛人が3名おり、マンションも買い与えていたクソ野郎で、私はこのことを中1の時に母親が家出の際に机の上に残した手紙を読んで知った。

両親の間には強い共依存が構築されており、私と兄弟の「離婚してほしい」という願いはどんなに言語化し、訴えても母の耳に届くことはなかった。

膏薬はどこにでもつく…というが、個人的にはこの「母親に強く訴えても、耳を傾けてもらえない」「父親からは罵倒される」ことの繰り返しが私の自尊心を強く捻じ曲げたように思える。今も自分はふとしたきっかけで自尊心を手放してしまうし、他人からの厚意を愚直に受け止めることがとても難しい。それでも道を大きく道を踏み外さなかったのは、一重に母の愛情のお陰だと思っている。例え父親の口語的、物理的な暴力が母の愛情をかすめても、母の愛情の残滓を私は受け取れた。

両親から十分な愛情を注がれている実感が湧かなかった私は、友人や恋人を試すことを散々した。喧嘩した友人には謝罪せず、相手が折れるように仕向けたり、恋人には愛情がピークに達するころに別れを告げて追いかけさせたりなど、すべて私が自尊心の低さゆえに「本当に相手は私のことを好きなのだろうか」と試せずにはいられなかった。

今振り返ってもあまりにも退廃的な行為で、当時の恋人や友人たちには本当に申し訳ないことをしたと猛省している。当時の私の行うことはお為ごかしの積み重ねで、その積み重ねの土台には私の自分自身への嫌悪があった。

中学を卒業した15歳の頃、私は独りで海外留学をしたのだが、今思えば海外へのあこがれ以上に「毒親の元から離れたい」という自分でも認識していない思いがあったのだと思う。親と物理的距離を持ったことが私の人生に僥倖をもたらしたと言っても過言ではない。

海外に住んでいた頃、仲良くしていた友人から

「人を篭絡して楽しい?」

とある日突然言われた。私は彼女に勢いよくメッキを剥がされた気分になった。その後、私の自尊心は凋落の一途をたどり、うつ病になった。(※今思えばADHDだったことが原因の一つでもあるのだが、色んなことが積み重なった結果、うつ病になってしまった)

自分自身が人の厚意を試さないと人を信頼できないという事実を受け止めた時、自分の心ががらんどうの状態であることまでも明確になり、私はその自分の心の軽さを受け止めきれなかった。人を試す行為ばかりしていたせいで、相談できる相手もいなかった。

そんな時、私のことを好きになってくれたドイツ人と出会った。
↓詳細は以下の一連ツイートをご覧ください↓

そのころはうつ病であることも隠しておらず、自分の人としてのダメなところも剥きだしにしていた。それまでは自分の弱いところを塹壕で隠していた私だが、自分の弱い部分を受けとめ、好きだと言ってくれる存在に心の一部が浄化されたような気がした。

その時私は、がらんどうな心をケアをするのも、自分の心の傷に絆創膏を貼れるのも自分しかいないということに気が付いた。多くの人からすれば自明の理かもしれないが、私にとってそれはたった一つの出会いが初めて気づかせてくれたことだった。

そこから多くの時間を自分の矯正に費やした気がする。

自分の感情の言語化、自分の非の認め方、謝罪の仕方、接点を持った相手との繋がりの維持など、本当ならもっと昔に自然に習得していたかもしれないことを私は大人になってから習得していった。(免許皆伝とは言えませんが苦笑)

ダラダラと書いてしまったが、もし毒親を持って同じように苦しむ人がいれば伝えたいことがある。それは親と距離を置こうというありきたりなアドバイスではなく、自分で自分が受けた傷、そして自分の弱い部分を直視できた時、初めてその傷に絆創膏を貼れるということだ。

直視することで、自分の傷の位置、深さ、状態が鮮明になり、自分の中で治療法が確立される。今まで親から受けた言葉や愛情、その他環境で降り注がれた全てのものが錯綜した中に傷はある。だからこそ自分自身しかその奥深くに手を伸ばすことができない。

そしてもう一つ、その傷を直視すると、自分の弱さがむき出しになる。その時に自分に手を差し伸べた人との出会いは大切にしよう。なぜならその時、きっと初めて人の純粋な好意に触れ、人を信じることの恐れを手放せるからだ。

さて、偉そうに述懐しましたが、冷凍庫にあるはずの冷凍ご飯がないので今から炊飯しようと思います。それでは皆様ごきげんよう!

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