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ブルアカ苗字考その⑤ ~希少な苗字~ (30世帯以下、15世帯以上)

残すところあと55名+αほど。なんて残り僅かみたいな言い方をしているが、30世帯以下にしてまだ2/5ほどなのである。ちなみに+αというのは実在しない苗字等々であり、こちらも最後に執筆する予定だ。
ここまで多くの苗字の存在証明として表札を用いてきたが、ここからはストリートビュー探すのが難しくネット上の文献に頼った画像を挙げるケースが増える。平にご容赦願いたい。



火宮

約25世帯・120人
読み:ひみや、ひのみや

火宮チナツ

宮崎県に存在。由来はそのまま火と神社を表す「宮」からのようだが、なんだか建物が燃えているようで縁起が悪く感じる。また石川県などには「火宮神社」という同名の神社がいくつか存在し、火の神カグツチを祀っている。こうした部分からつけられた苗字なのだろう。
かように多くの場合「宮」のつく苗字はその多くが神社のことを表していると言ってよい。例えば「宮崎」は突き出た土地(崎=岬)に神社があったから、「宮本」は住処の傍に神社があったから(「宮下」にも通じる)といった具合である。


円堂

約25世帯・80人
読み:えんどう

円堂シミコ

どうしてもレベルファイブのあのGKがちらついてしまう名前だが、岡山県などにきちんと実在する。しかしあのゲームをやったことはあるが総勢4,500人もいたのは知らなかった。
それはさておき由来は字面の通り円いお堂からではないかと考えられる。読みが同じかつ非常にポピュラーな「遠藤」に通じるものもあるだろう。
シミコといえば図書館に入り浸っているイメージだが、当然我々も実際の図書館で色々な本を調べることができる。そして今ある苗字を調べる方法にひとつ、住宅地図目録というものがある。これは読んで字の如く全国各地の住宅を調べられるものだが、近年ではプライバシーの観点から司書の手の届くところに置き、その傍で読まなければならないという規則が定められている。図書館に一枚噛んでいる人間として言っておくが、くれぐれも使用する際には気を付けるように。


伊落

約25世帯・130人
読み:いおち

伊落マリー

埼玉県熊谷市などに存在。現在の千葉県いすみ市にあった地名「伊大知」(読みは同じく「いおち」)の異形と考えられ、「伊大知」という苗字も存在する。
ところでやけに地名や苗字として使われる「伊」という漢字だが、諸君らはこの字の意味を知っているだろうか。 
否、こう言うと語弊がある。実のところ「伊」は語調を整えるために使われるケースが殆どで、特に日本語での意味などないのだ。試しに、地名や人名以外でこの字の入る熟語を考えてみてほしい。きっと思いつかないはずである。反駁として「伊達眼鏡」などの「伊達」が思い浮かぶかもしれないが、そもそもこれは伊達政宗に由来しているので苗字に含まれているものだろう。
にも拘らずこの字が地名や人名に使われる理由として、前回の記事で挙げた「諸国郡郷名著好字令」を参照したい。好字かつ2文字に地名を統一したこの法令だが、そのさなかで「伊豆」「伊賀」「伊予」「伊勢」など、実に耳馴染みのある「伊」を使った地名が多く生まれた。この背景には当時の日本が憧れた中国の影響も大きく、当時の中国語で置き字のような役割を果たしていた「伊」を用いて多くを作っていったのである。そうして地名由来の苗字が多くできたため、現在は苗字にも「伊」が多く使われているのである。日本の苗字が2文字が大半なのはおおよそこの法令の影響なのだ。


近衛

約25世帯・130人
読み:このえ
※2023/5/21 追加

近衛ミナ

新たに実装された、山海経の生徒会「玄龍門」の執行部長。苗字はと言えば創作に数多く見受けられるうえに、日本史にも名が見えることからそこそこいそうに見えがちだが案外少ない。移住があったのか、山形県西村山郡朝日町和合に集中している。
「日本史にも名が見える」と書いたように、史実の近衛家と言えば藤原北家の嫡流であり、名門と呼ばれた五摂家の筆頭である(他、序列順に・一条・九条・鷹司・二条と続く。全て現存する苗字だが意外にも「一条」以外は希少)。その始祖となったのは藤原忠道の実質的な嫡男・基実であり、現在の京都府の出水通に当たる近衛大路の前に邸宅を構えたのが由来とされている。
この近衛家は応仁の乱を経ると五摂家の中でも特に力を強めたと言われており、江戸時代には禁中並公家諸法度の煽りを受けるも存続。明治維新後に威信を取り戻すと政府の要職に多くつき、とりわけ戦時下で3度に渡り総理大臣を務めた文麿が有名である。文麿は敗戦の責任を取ってか自害して果て、その後は長男の文隆が家を継いだが、彼には嫡子がいなかった。そこで現在は細川護熙の弟にあたる忠煇(ただてる)が、母方の実家という縁で養子となっている。


桐藤

約25世帯・70人
読み:きりふじ、きりとう

桐藤ナギサ

ティーパーティーの主として相応しいような、いかにも優雅なこの苗字は兵庫県加東市などに存在。「藤」のつく苗字は大半が藤原氏との関わりを目されているので、恐らくこれも同様だろう。
ところで話は変わるが、桐の花と藤の花が実は似ていることをご存じだろうか? 藤の花といえば藤棚でお馴染みのブドウのような房をつける紫の花を咲かすが、桐の花にもこれと似た特徴がある。決定的に違う点と言えば藤が垂れ下がるのに対し、桐は上向きに咲くということだ。この特徴が災いしてかあまり見かけることのない桐の花だが、元来日本では桐という植物は格式高く、現在でも皇室の印であるなど象徴として大きな意味を持っている。
ちなみに「桐」がつく苗字で最も多いのは「片桐」で、10,000世帯ほど確認できる。


奥空

約20世帯・70人
読み:おくそら、おくぞら

奥空アヤネ

香川県仲多度郡まんのう町や北海道川上郡標茶町などに存在。由来は奥部にある高い土地から。要は前回の記事で触れた「空井」と同じ系統である。ちなみに秋の空模様のことを「空が高く見える」なんて言ったりもするが、これは巻層雲を始めとした高い位置にある雲が発生していることなどに端を発する。
ちなみに僕の中で「奥空」と聞いて思いつくキャラはもう一人おり、それが『アイドルマスタースターリットシーズン』に登場する奥空心白(-こはく)である。同作の情報と共に初めてその存在が明らかになったのは2021年2月6日なのだが、これはブルアカのリリース日である2021年2月4日と非常に近い(アヤネは初期からネームドとして存在)。
ついでにWikipediaやpixiv百科事典やニコニコ大百科で「奥空」と調べたところ出てきたキャラはこの2人のみだったので、偶然にも未出の同じ苗字が被ったということになる。


白洲

約20世帯・50人
読み:しらす

白洲アズサ

ガスマスクをつけているイメージのあるアズサ。最初に素性を知った時は相良軍曹にそっくりだと思ったが、どうやら既に界隈では周知の事実だったようだ。
それはさておき「白洲」は長野県や静岡県に存在。静岡県浜松市には現在も白洲町という地名があり、ここが由来である。
この苗字をストリートビューで確認しようとしたところ、残念ながらさんずいのない「白州」しか確認ができなかったが、ほどなくしてその必要がないことに気づく。
田中角栄をミームにしている先生たちなら、白洲次郎という人物をご存じだろう。GHQ配下にあった吉田茂内閣で長らく秘書を務め、後に東北電力の初代会長を務めた政界の重鎮である。それに加えて当時の日本ではかなりのダンディズムを持ち合わせており、日本人として初めてジーンズを履いたという話でも有名だ。

白洲次郎


扇喜

約20世帯・60人
読み:おき、おうぎなど

扇喜アオイ

連邦生徒会の財務室長。苗字は高知県土佐清水市などに確認できる。事物である「扇」が転じたものと言われ、扇姓そのものも九州北部を中心に700世帯ほど存在する苗字である。
ちなみに元宝塚歌劇団娘役で、後に政治家として参議院議長や国土交通大臣などの要職を歴任した扇千景という有名人がいるが、これは芸名であり本姓は林。ちょうど最近、2023年3月に亡くなったが、女性初の旭日大綬章を受賞するなど政界に名を刻んでいる。


佐城

約20世帯・50人
読み:さしろ、さじょう

佐城トモエ

鳥取県や大阪府などに存在。鳥取ではさしろ、大阪ではさじょうと読むケースが多い。由来はいまいち不明だが「佐」は仕事の介添えをするという意味があり、朝廷の役職にも使われてきた。ちなみにご存じ日本で最も多い苗字「佐藤」は「"左"衛門尉(さえもんのじょう)」という官職についた"藤"原公清(-きんきよ)が名乗ったのが始まりとされる。
なおこの苗字は朝鮮から帰化した人物が名乗ったものも占めている。1981年に大阪府吹田市で帰化した記録が官報に残っており、「さじょう」読みもそこから生まれたものとみられる。
帰化苗字といえば「左右対称の苗字は在日」などという俗説が有名になっているのだが、これは何故だろうか。答えを言うのであれば、韓国でダントツに多い苗字「金(キム)」を用いて日本に帰化したケースが多いからである。代表的なものには「金本」「金山」「金田」などがあり、確かにどれも左右対称だ。
しかし在日側もこれを気にしたのか、1980年代には既に「新井」が帰化苗字として最も多い割合を占めていたようだ。「金本」「新井」となんだか西宮にあるプロ野球チームのような話になってきたが、事実金本知憲も新井貴浩もかつては在日韓国人であった。


合歓垣

約20世帯・90人
読み:ねむがき

合歓垣フブキ

苗字が周知されにくいキヴォトスの生徒の中では唯一と言っていいほど苗字の方が知名度のあるネムガキだが、実在する苗字である。
発祥となっている富山県南砺市に多く、由来はそのままネムノキの垣があったことからだそうだ。また同市にある賢徳寺の住職がネムノキの葉が閉じた際の見た目を合掌に例えて称したという伝承があり、寺院姓との関連もあるものと思われる。
余談だがpixiv百科事典のフブキのページの関連タグには、「公式のポーズと目つきが似ているから」という理由で何故かバオッキーの項目があった。不名誉な気がしないでもないが……。


天雨

約20世帯・70人
読み:あまう

天雨アコ

前回の「天地」の項目でも触れた苗字だが、長崎県北松浦郡佐々町などに存在。「天羽(あもう)」の異形とされる。また下記の画像を含めいくつか住職の名前が引っかかったので寺院姓の可能性もあり。
天羽というと個人的には初代ガングニールの使い手である適合者を思い出すのだが、徳島県を中心に1,000世帯ほどはいる苗字である。一方で「風鳴」や「雪音」などは存在しない。
ちなみに「首輪」という苗字はギリギリありえそうな気がしなくもないが存在しない。「首」のつく苗字で最も多いのは「首藤」(約6,000世帯)であり、大分県を中心に多く、同県の豊後大野市では3%ほどを占める。
「輪」のつく苗字では三輪(約12,000世帯)が圧倒的に多く、中部・甲信越、特に愛知県に非常に集中している。


元宮

約15世帯・60人
読み:もとみや
※2024/2/11 追加

元宮チアキ

万魔殿の中で最後に名前が明らかとなった生徒。似たような苗字に「本宮」があり、こちらは千葉県を中心に1,400世帯ほどいるため「元宮」もそれなりにいそうだがその実希少である。
そして由来も何となしに察せられる通り「本宮」の異形であり、現在静岡県静岡市清水区などに所在……ってだいぶ僕の地元だね。表札を調べてみたところ付近は過去に何回か通ったことがある道であった。また「宮」がつくということはこれまで述べてきた通り神社に関連するものであり、付近には関田神社なる名前の神社が存在する。1,000年以上前に建てられ、山の神・オオヤマツミとコノハナサクヤヒメを祀っているようである。また付近の字も「山原(やんばら)」といい、その名の通り山の中に位置している。
地元ということで余談を挟むなら、僕の知りうる限りの清水区の珍しい苗字として、「薩埵(さった)」や「曦(あさひ)」辺りを挙げたい。
「薩埵」はその名を冠した峠が有名(同地にあるライブカメラが年中無休で稼働しており、東名高速道路の象徴的な映像となっている)なことから比較的全国に名を知らしめている難読地名でもあり、特に「埵」(つちへんに「垂」)の字がJIS第3水準に位置しているため平仮名で書く例が非常に多く見られる。そしてもちろん、苗字もこの地名から来ている。
そして「曦」だが、これは山梨県大月市にある円福寺の僧侶による明治新姓が元となっているようで、その寺の住職の師であった旭海という人物から一文字取り「旭」ではどうかと提案したという。そこに当初山梨県の権令(県の副知事のような役職)であった藤村紫朗が手を加え、「曦」に改めたという逸話が残る。意味としてはどちらも「太陽の光」を表す。清水区では但沼町にある東壽院の僧侶がこの苗字である。


勇美

約15世帯・60人
読み:いさみ

勇美カエデ

宮崎県宮崎市などで確認できる。由来は諸説あるが同じ読みの「勇」「伊佐美」などの異形か。中には「五老海」とかいて「いさみ」と読む変わった苗字もある。
ハートを磨くっきゃなさそうな苗字だが、それこそ和のテイストという意味合いではなんとなく『飛べ!イサミ』との共通点もある気がする。そのついでにヒロインのイサミの苗字は「花丘」というのだが、須﨑氏のサイトでは1世帯しか確認できず、その1世帯についても調べうる限り本姓と断定できるものではなかった。
ここで思い出してほしいのだが、実は既に当調査では「はなおか」という苗字を紹介している。そう、ユズの苗字である「花岡」だ。そこに書いてある通り5,000世帯は優に超えているほどなのだが、ここまで世帯数に差が出ている。
その他にも「岡」のつく苗字は「岡田」「岡本」など枚挙に暇がないが、「丘」では僅か100世帯ほどしかない「高丘」が一番多い。「丘」と「岡」の意味は同じであり、いずれもポピュラーな常用漢字のはずなのに、一体何故だろうか?
この件に関してはいまいち調べても出てこなかったので僕自身の推測になってしまうが、やはり地名が絡んでるのだと思う。思い返せば都道府県にしても「岡」の付く都道府県は静岡・岡山・福岡とあるのに、「丘」はひとつもない。要するに、「丘」のつく地名はごく最近生まれたものが多いのだ。
試しにぱっと思いつく「丘」のつく地名をいくつか挙げてみてほしい。そのほとんどに「○○が丘」とつかないだろうか。自由が丘、緑が丘、つつじが丘など、こうした地名は宅地開発などに伴い名付けられるケースが大半を占めており、大抵その際に新しく名づけられている。
恐らくもっとも古いものでも、1916年に阪急電鉄宝塚本線の駅設置に伴い開発された「雲雀丘」くらいであり、この時点で平民苗字必称義務令の発布から既に半世紀近くが過ぎている。
このことから察するに、よほどの天邪鬼でない限り、平民は既に地名として存在した「岡」を用いた苗字を作ったのだろう。


銀鏡

約15世帯・60人
読み:しろみ、ぎんきょう

銀鏡イオリ

宮崎県西都市に多く、発祥も同所の地名から。難読だがその由来には伝説の謂れがある。
日本書紀において、アマテラスの孫であるニニギが地上に降臨した。この際に降り立ったのが現在の西都市から北の方にある高千穂で、居は西都市の方に構えたという。そこでニニギはコノハナサクヤヒメという美人と出会い求婚をすると、コノハナは父のオオヤマツミに許可を取るように言う(コノハナサクヤヒメとオオヤマツミに関しては上記の「元宮」にもあるように比較的メジャーな神様である)。そこでオオヤマツミの下に赴くと彼は快諾したのだが、もう一人のイワナガという娘も共に嫁がせた。
ところがニニギは、顔が醜悪だったことを理由にイワナガを送り返してしまう。そこでイワナガは顔を鏡に映しては自分が醜いのを妬んだといい、やがて怒りからか、どこか遠くへ鏡を放り投げてしまった。それは現在も西都市にある龍房山の大杉にかかり、麓の村を明るく照らした。そうしてこの村は白見村と言われるようになった。その後村人たちは鏡を下ろしご神体として祭り上げ、鏡が銀色をしていたことから「白見」に変えて「銀鏡」の字を当てたという。
これがこの苗字、ひいては地名のあらましである。実のところイワナガを送り返す下りは古事記や日本書紀にもあり、人間の寿命が短くなった原因とも語られる有名な逸話なのだが、鏡を投げるところより後の話は西都市を含む日向にのみ伝わっている。こうしたローカルにのみ語られる日本神話は全国各地に点在するが、いずれにせよ実に興味深い民俗伝承である。
そんなわけでいかにもブルアカらしい、透明感溢れる苗字であった。足舐めるのに。


鬼怒川

約15世帯・60人
読み:きぬがわ
※2023/10/4 追加

鬼怒川カスミ

温泉開発部らしく有名な温泉地を冠した苗字。しかしこの辺りの温泉街は最早巨大廃墟として知られるようになって久しい。実際に廃墟になっているのは現在の鬼怒川温泉駅からはやや遠い旧大滝駅の辺りであり、駅近であればきちんとした温泉街が広がっている。
由来も勿論北関東を流れる鬼怒川から……と思ったらどうやら違うようで、衣川(きぬがわ/ころもがわ/いがわなど)の異形とのこと。これは岩手県は奥州市、平泉を流れることで知られる衣川(ころもがわ)から来ているようだ。平泉ということでかつて奥州藤原氏が栄華を極めた場所であると同時に、1189年には先代の藤原秀衡に匿われていた源義経と、源頼朝の圧力により義経を裏切った秀衡の息子・泰衡が干戈を交えた「衣川の戦い」にその名が冠されている。有名な「弁慶の立ち往生」が生まれたのはこの時だ。そして泰衡も結局権力を恐れた頼朝に斬首され、奥州藤原氏は終焉を迎えた。
そして苗字としての「衣川」の分布はその衣川がある岩手から来住したという藤原氏の影響で現在京都府福知山市に多いが、「鬼怒川」はどうしてか元の衣川がある場所に近い岩手県一関市に確認できる。よって、京都に移住した藤原氏とはまた別に「衣川」から改名したものと思われる。
加えてもう一つ、折角の機会なので日本の主要河川がついた苗字をいくつか挙げてみる。そのほとんどが希少な苗字で、特に「くまがわ」についてはかなり面白いので是非読んで頂きたいところ。
なお石狩川や天塩川など北海道の河川については、その性質上ほとんど存在しない(「川」を抜いて「石狩」や「天塩」に限っても実在しない)。

利根川
恐らく一級河川を冠する苗字の中では最もポピュラーで1,500世帯ほど存在。埼玉県に圧倒的に多い。
木曽川
東京都、山梨県など。源流は長野県であり、かつてこの地を拠点とした源氏の分家(信濃源氏)がいた。木曾義仲こと源義仲が有名。
多摩川
群馬県高崎市など。「多摩」の地名の由来については諸説あるが、上流である山梨県の「丹波川(たばがわ)」を由来とする説が有力である。
阿武隈川
福島県南相馬市など。かつて阿武隈川は「おおくまがわ」とも読み、「大熊」「逢隈」「合曲」などの字も当てられた。
最上川
宮崎県北諸県郡など。最上川のある場所とは全く関係のない地域に分布する。
信濃川
福井県小浜市に分布。恐らくこの1世帯しかいない超希少苗字。
球磨川、求磨川、求广川
「球磨川」は茨城県結城市に、「求磨川」「求广川」は本流のある熊本県にそれぞれ僅かながら実在。特に面白いのは省略したと思われ字面のインパクトも強い「求广川」で、2012年までは求广川八郎という人物が80歳を超えてもなお小規模集落で球磨川を渡る小舟の船頭を務めており、これがメディアにも紹介されるほどであった。宇宙飛行士の星出彰彦や元プロ野球選手の藤川球児のように、偶然にも名が体を表した人物名のことを英語ではアプトロニムとも言ったりするが、彼はまさにその典型例だろう。


以上今回の分をお送りした。前回書くことがないと言った割には語ることも多かったと思う。そのほとんどが脱線した話題だが。
次回は15世帯以下、10世帯以上と狭い範囲になるが紹介していく。やけにこの辺りで密集していることもあり、調査不足も否めないくらいには世帯数が少なくなってきている。


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