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懐かしさと苦しさと

約20年前に私が鬱だった頃の言動や思考の表記が一部あります。
現在進行形でダークモードに陥っている方・陥りそうな方は、別のnoteを読むか朝日でお部屋が明るくなってから読んでくださいね。






鬱になるキッカケなんて人それぞれ。
個人を特定されたくないのでぼかした表現になるが、私の場合は日常生活に於いての変化と些細な人為的ストレスの積み重ねと当時何故か頻発して巻き込まれた性被害などがトリガーだったと思う。
19歳かな?そのくらいの若さ溢れる時期におかしくなった。

食べられない、眠れない、自分の感情が分からない。なのにただ消えたくて辛い。
涙が出てこない日もあれば、涙がドバドバ止まらない日もあった。
親のお金で行かせてもらった大学、夢と現実の差、期待に応えられない自分の阿保さに打ち拉がれていた。
講義に行かなければいけないのに家の外に出られなかった。
そのくせビジュアル系バンドのライブを見るために神戸や大阪のライブハウスには足繁く行っていた。
自分の生きる価値が見出だせず、当時の友達にはそんなものを問うては相手を困らせてばかりいた。
その節は心の風邪とは言え、返答に困ることを聞いてしまい申し訳ないことをした。








数日前に行ったボードゲーム会の帰り、皆とバイバイをして1人になり翌日を憂いた。
早起きと満員電車が私は苦手だからだ。しかも行先は初めて行く場所。
その日はどうにか床に付いたが、翌朝、やはり眠りが浅かったからなのか体調がおかしかった。
先月から予定されていた研修でもあるし、店舗の期待を背負っての参加でもある為、そう易々と欠席するわけにもいかない。
その日は頑張って集中し、責務を終えた。

楽しいイベントの後と言うのは余韻すら愛しく思える。幸せだと思える。
それなのにどうして私は仕事の場になると余韻すら苦しくなってしまうのか。
例えばミスをしてしまったとき、もう終わった事だからと気持ちを切り替えようとする。
反省して、対策を考えて、次から同じミスを起こさないよう努力する。
そんな社会人として当然のことすらストレスに感じてしまう。
働くのが嫌いすぎるのは昔からなのだが、そんな自分を人間として「ダメな奴」と判断して自己嫌悪に陥る。
今回の研修での学びは大きかったし、今後に活かそうと前向きな気持ちになれたのだが、その反面どうもやはり物凄くストレスに感じてしまったのが事実だ。

私には子供はいないけれど、独身時代のように好き勝手出来るわけでもない。
鬱と無縁の人生を歩んできた夫には、私が鬱だった経験があるということもカミングアウトしてはいるが、きっとそれがどういうものなのか分からないと思うし、普段のヘラヘラした私からかけ離れているため私が鬱経験者であることなど忘れていると思う。
まぁ、とりあえず夫からの目もあるので、普段通りに食事を作り食べてはいるのだが、何せまぁあまり食欲が出ない。
普段の半分くらいしか食べられない状態に陥っている。
心配をかけたくないので夏バテだとかお腹痛いとか適当に嘘をついて誤魔化してはいるが、誤魔化すことにも多少の罪悪感は生じるので、あまり私の中ではよろしくない。
このままでは負のループが確定してしまう。
食欲不振だとか体調不良だとかは100%の嘘ではないので…きっと身体からのSOSなのではなかろうか。


そう思い、昨日は夫が不在だったことを良いことにヒトカラとマッサージをセットにして自分の心身のメンテナンスをしてきた。
ヒトカラは私の心の浄化に大いに役立っているので何年も前から定期的に行っている。
まぁ、私が歌うのは専らビジュアル系の楽曲ばかりなのだが。
私が19歳とか20歳とかに聴いていた曲がメインだ。いや、それだけではないけれど。

YouTubeの公式アカウントはあるのに(私の調べ方が悪いだけの可能性もある)動画の投稿が無いためリンクは貼らないでおくが、サディというバンド(今はSadie表記なのかな)のサイレントイヴという曲がだいたい定番。

泣き叫び壊れてゆく届かない思い
重ねた涙の訳と自虐気付いてください

死ねないと分かっている弱さに救われる
ただ生きる意味と理由誰か教えてください

サイレントイヴ//サディ 歌詞より一部引用


ここで話が最初に戻るのだが、この曲を聴くとあの頃に苦悩した自分を思い出す。
自分の生きる価値が見出だせなかった若かりし頃の私は、この曲ばかりエンドレスリピートして滅茶苦茶泣いていた記憶だ。
鬱と闘病中だった頃の記憶は断片的にしか残っていないのだけれど、この曲に寄り添ってもらって救われたのは確かだ。

生きていることを確認したくて痛みを伴う自虐行為もした。
リ○カすると親にバレたときとか後々面倒かなと思い、耳にピアスを開けまくって拡張していた。(昔ながらの価値観を持つ親なので、今でも私は耳たぶ以外のピアスを隠している)


あれから20年。
私は鬱とはもうサヨナラできたと思うけれど、未だに心が苦しくなってしまった時はカラオケでこの曲をシャウトしている。
「消えたい」とか「生きる意味が欲しい」とかは思わなくなった今でも、そう思っていた頃に聴いていた曲は私に当時の苦しみを思い出させる。キュッと心を掴まれる。
あれからこの20年で身を引き裂かれるほどの辛さも痛み苦しみも経験した。
それなりに楽しいことも幸せなことも経験できた。大人になるってもっとキラキラしてハッピーなことだと思っていたけれど、現実は綺麗事だけでは進まないのだ。
生きる意味なんてものは哀しいことに当時の年齢の2倍の年齢になっても未だに分からない。
だけど、シンプルに、死ぬ間際に「楽しい人生だった」とか「私、頑張ったな」とか少しでも思えれば良いかな。
私が死んだときに誰かが悲しんでくれたら、もぅそれでいいや。

そして鬱のキッカケの1つとなった性被害も男性不信として長らく私を苦しめた。
とは言え20代中盤で彼氏作りやら婚活やらに必死になれるくらいまでに回復はしたのだけれども。
当時の変な男たちの話は今ではもう笑い話に出来るけれど、ほんとあの頃はおもしろいくらい私の身の周りにはクソすぎる輩が多かった。
いつかネタ切れになったらnoteに書いて昇華させようと思うけれど(個人が特定されない配慮くらいはしてやる💨)、当時の自分が今の私を見たら結婚出来たのが嘘みたいだと思うだろうね。

私の敬愛するJanne Da Arc。
彼らがいなければビジュアル系のバンドのライブに行くほどビジュアル系にハマっていなかったと思う。

特にROMANヨはエロさが高いと人気の楽曲ではあるけれど(個人の主観です)下心が丸見えの男たちの身勝手さとか人間臭さとか、見抜けなかった自分の浅はかさとかが一挙に蘇る。
まぁ、アレだ。セ○レが出来てから再び聴けるようになった曲ではあるのだが。

私の若さと性とお金を消費していったクソ男たちがヤスくらい美しかったら、そいつらのことを許せたのかな…?と今でも疑問。

そして少し時は遡るのだがJanne Da Arcが好きすぎて鬱を発症する前の18歳くらいでネットに目覚めた。
今の子たちは小学生でもネットゲームするくらいだから、本当に時代の違いが顕著なのだが、私がブログで愛を叫んだり、無料ホームページを開設したり、魔法のiらんどや前略プロフィールやらでファンと交流を始めた時期が18歳のときだった。
当時、私は近所の歳上のジャンナーさん(Janne Da Arcのファンの呼称)と偶然ネットで知り合った。

私はその頃よく深夜徘徊をしていた。
冬は緑と黒のボーダーのセーター、夏は赤いロックTシャツを着て、スッピンに1つ結びという性別不詳の格好だった。

イメージ図。これにピアス(拡張)してた。


歩くのも走るのも遅いので、一応何かあったときのために黒い自転車で近所のアーケード街を散歩していた。
女性の平均身長はある私なので厚底のラバーソールを履けば、身長の低い男性より少しだけ高く見えた。
そもそもチャリで徘徊しているので身長で女だとバレることも無かったのだが。

今の御時世、何が起こるか分からないので深夜徘徊はお勧めしないけれど、20年前の私はこうして時間の流れや自責の念を誤魔化していたよ、ということで。

鬱で闘病中だったが、時折その男のジャンナーさんとネットカフェで漫画を読んだりカラオケに行ったりした。
純粋にジャンヌが好きなイケメンの彼と、「絶賛男性不信です」と公言している私では甘くドキドキなロマンスには発展しなかった。
4~5歳離れたその人との距離感は当時の私にとって物凄く心地よかった。
気の向いた時に「これから散歩する」と投稿して、相手もそこに落ち合う。逆も然り。
ジャンヌとかガゼットしか知らない彼に、他のバンドの良さを伝えて「かっこいいじゃん」と言ってもらえれば、まるで私が褒められたような気持ちになった。
彼の腫れ物扱いしない態度が私を救ってくれていた。
私もいつか鬱が落ち着いて心に余裕ができて逆の立場になったら、相手に変に気を遣いすぎないようにしたいなぁ、とボンヤリ思わせてくれた人だ。


いつしか投薬治療や周りの方々の支えなどで私の心身の状態が落ち着く傾向になった。
自転車でアーケード街を深夜徘徊する頻度は下がった。
歳上のジャンナーはネットで知り合った彼女と同棲すると言って引っ越してしまった。
彼に餞別を贈るようなことはしなかった。
出逢いと同様に小さなパカパカのガラケーの画面越しで別れの言葉を贈った。

曲を聴いて当時のことがリンクする。
フラッシュバックではなく、あくまで思い出す程度に。
あの頃に消えたくて消えたくてどうしようもなくて、でも消えることが出来なかった私がいるから今の私がいる。
せめて私くらいは当時のどうしようもない私を想ってヒトカラで叫んだって良いじゃないか。
これからも私は00年代と呼ばれる2000年代初頭のビジュアル系の楽曲を1人で叫んでやる。
ピアスの穴が小さくなっても、声が出なくなっても生きてやる。



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