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虫さんのお知らせ

私は虫が苦手だ。

どれくらい苦手かというと、発見すると動けなくなる。
蛇ににらまれたカエルになる。

つまり、心理的力関係は”虫の方が上”だ。

なんでこんなところにいるんだおまえは~!! と
心の中で悪態をつきながら、
絶対に目を離さずに主人を大声で呼ぶ。

どんなに喧嘩していても主人を呼ぶ。
喧嘩に負けるプライドなどなんてことない。
だって、力関係は虫が蛇で私がカエルだから。

背に腹は代えられない。命がかかっている・・・メンタルの。

そういう意味では、
夫婦円満のありがたい役割を担ってくれているのかもしれない。
誰よりも早く虫を見つけ出し、
誰よりも大騒ぎし、
実は家族で一番虫の生態に詳しい私なのだが、
先日ちょっと意識が変わる出来事があった。


先日、宮城県で震災後に森林の仕事を始め、
森を守る仕事をしながら木々と大切さ、
森について学んでもらうという活動をしているご夫婦にお会いし
撮影させていただいたことがあった。

体験がてらということで、
ご夫婦が管理している森に入らせていただく。
森になど行ったら、それこそ・・・
という心配と不安で心の奥では慌てふためいて
叫びたい衝動との葛藤で忙しかった。

しかし実際の森は、叫ぶなんて愚かであると認識できる空間だった。

森林浴を考えた方は素晴らしいと思う。


圧倒的な存在感と、
誰でも受け入れてあげよう
ではないかという包容力に満ち溢れていた。

そよ風が涼しく、
木漏れ日がさし、
鳥のさえずりが聞こえる。

少し山を登ると海が見えた。
平凡な感想だが、透き通った深いブルーが
太陽の光でキラキラと輝き美しかった。
深呼吸すると、木々の香りが体にじんわり染みてくる。

入る前と入った後では別世界だった。

すっかり虫のことなど忘れて森を楽しんでいた。
その時、
娘がとんでもないことを始めた。
大きな岩をひっくり返し始めたのだ。

そんなことをしたら、さすがにでてくるじゃないか!
とやめさせようとする前に、
岩の下からダンゴムシがわらわらと出てきた。

いつもなら、絶叫しても良いのだが、
なぜか私の心は穏やかだった。
さすがに触ることはできなかったのだが、

ダンゴムシさんがいたね~。
くらい大人の対応を娘にすることができた。


ここまで来て、
案内してくれていた奥様に、虫嫌いを告白した。

なんと、奥様も以前は虫嫌いだったそうだ。

森の仕事は、木を育てることだそうだ。
あちこちに森はあるけれど、ただ木が生えていても
それは良い木、良い森にはならないそうだ。
適度に日光があたり、まっすぐに木を成長させる必要がある。


実際に歩いた場所は、程よく光が入り心地よかった。
だが、ご夫婦が手を加えていない場所は、
うっそうと木々が生い茂り光は入ってこなかった。
下の息子は怖いと言って手を加えていない場所には入ろうとしなかった。

野生の感が幼いながらに働くのだろうか。
木々が育つ地面、土を作っているのは虫の力もある。

どんな小さな虫でも存在意義があり、
役割があることに気が付いたと話していた。
そのことに気が付いてから、虫も平気になったそうだ。

私は今でも家に突然虫が現れたらびっくりする。
不審者なみに驚く。

しかし、どんな生き物でも役割を果たしている。
そう考えると、岩の裏に慌てて帰るダンゴムシも
その健気さに無知な自分が恥ずかしくなってくる。

虫が出ないように、虫に対抗するために、
虫を知らべては恐れていたけれど、
本当に知るということは奥様が話していたようなことが
「知る」ということの本質なのだろうと思う。

無知であるがゆえに、恐れる。
それは虫に限ったことではない。

私は、人の気持ちもあれこれ自分で想像しては一層怖くなっている。
未来が見えなくて逃げ出したくなっている。

不安定な地域おこし協力隊という道を選んだ自分の役割は何か。
勝手にこれは嫌だと決めつけてはいないか。

広い森を歩いて見つけた小さな虫の姿に、
留まっていた自分の気持ちが大きく動かされた。

正直、虫はいまだに苦手だ。
しかし、彼らにも理由があり「生」をまっとうしている。

そう思うと、絶叫など失礼なことはできなくなった。
その代わり不法侵入だ~!!と主人を呼ぶことにした。

結局あまり成長がないように見えるが、
メンタルがカエルなみに固まることはない。

それは、虫に対してもこの先の自分の道に関しても。
この気づきを与えてくれた小さな命に感謝したい。

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