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きりしまの雑記。2020/8/28


不眠が続いている。
不安感もなかなか解消されない。
でもおそらく、今かなり人生設計のターニングポイントにいるのだと思う。
理由はたくさんある。


まず、自分の「やりたいこと」がかなりはっきりしてきたこと。
ほっとする場所を作るために、接客や飲食での経験を積みたい、ということと、困りを抱える人を実際に支援して経験を積みたい、ということ。

もっと本格的に文章を書くことを極めたいということ。
どうも自分は言語化が向いているようだと感じることが増えた。

長く付き合った恋人と別れ、今まで見ないふりをしてきた自分の「恋愛観」や「家族観」「人生観」に改めて気づかされたこと。
しんどいことも多かったが、自分という人間の理解が一歩進んだと思っている。

ずっとモヤモヤを抱えてきた、両親(特に母親)に対する感情が少しずつ変わってきていること。
これには特に困惑している。
今まで親のことを許せない、と思っていたが、時間が経ち、学びが深まるにつれて、どんどん、発達障害についての理解や、自分の思いが少しずつ変わっていった。
「母もつらかったのではないか」と思ったときは、言葉よりも先に涙が出てきた。
またこれについては詳しく書いたり、深めていきたいと思っている。


リストカットしたい気持ちもあったが、今のところどうにかこうにか抑えられた。
ノートに腕の絵を描いて、赤いペンで傷をぐりぐりかき続けていた。
眠れなくて、漢方でごまかしたり、とにかく言葉をノートに連ねて、パソコンに連ねて、頭の中で言葉を組み合わせて。
眠れなくて、朝になったら、ぼけた頭で朝日を見に行った。
足を引きずりながら、朝の澄んだ空気が、肺にたまって、心地よかった。

毎日生きてる。
しんどくても、辛くても、苦しくても、毎日が過ぎる。
苦しくても、「人のために自分を無にする苦しみ」より、「自分のために苦しむ苦しみ」のほうが、何倍も楽だと思える。

ピース又吉さんの言葉で、
「嫌なことやしんどい夜が続くとき、次にいいことがあることの『ふり』だと思う」
という言葉を聞いたとき、心の底から、今の自分が救われるような気がした。
ほんとかどうかはわからない、でも、そう信じていたいと思った。
今が苦ければ苦いほど、あとのお楽しみが甘く感じるんだ。

とにかくどうにか毎日生きてます。
私にかかわるすべてに、ありがとう。



毎日のコーヒー代に。