【カルマは罪でも業でも、因果応報でもない】
自己紹介に、エネルギーワーカーと書いたけど、その7割くらいの仕事が浄霊である。
たまにマニアックな人が浄霊の仕事に関心を抱く。
でも、霊たち(名なき者と命名)を癒したり天にあげたりする仕事は、対人(たいひと)よりよっぽど過酷なので、数奇な運命で、やらざるを得ない状況でもない限り、おすすめしない。
わたしは、幾度も浄霊の仕事にうんざりして、何度も何度も手放すのに、やれ家族の病気だ、夫の家系の問題だで連れ戻されて(泣)、8回目くらいについにあきらめ、運命を受け入れて、今はすっかり「浄霊する人」になってしまった。
けれど、腰を入れてやってみたら、わたしは浄霊師に向いていた。
本来、浄霊師は肉体的に超タフであることが条件の1つなんだけど、病弱なわたしの場合、その部分を差し引いても、多分かなり向いていたと思う。
理由は、過去世に膨大な年月、怨霊だった体験があるから。
びびってる人のために先に書いておくと、今は人への恨みの気持ちはないと思う。
少なくとも自覚できる範囲では、まったくない。こう見えて、かなり愛情深いタイプである。(にっこり)
とにかく、過去世の体験のおかげで、霊たちを心の底から怖いとは思わなかったし、心のどこかに「そう言うときも、あるよな。だがお前らが、本当はとても良い子だってこと、知ってるぜ!」みたいな、不良少年を励ます夜廻先生みたいな感情があったのだ。
つまり、この世の本質が「自分をゆるす旅」だとしたら、元は自分である名なき者を、ゆるして愛するしかなかったのだ。
だからわたしの浄霊は、深い愛のエネルギーで行われる。
とある浄霊師が、「浄霊をやる人は、過去に膨大な罪を犯し、その罪の償いとしてやらされている」と言っていたけど、これは1割ぐらい正解で、9割ぐらい間違っている。
1割ぐらい正解っていうのは、「うがった見方をしたら、そうとも取れる」と言う意味だ。
ようはカルマのとらえ方だ。
「過去に犯した罪の償いとして、過酷な運命をたどってる」みたいな発想じゃなくてさ。
過去にやらかしたこと。そこにはぬぐえない罪悪感がどうしても、ついてまわるわけだけど。だって、どの魂もすべて、本質は清らかだから。
その罪悪感をぬぐうには、過去やらかした自分を、深くゆるすしかなくて。
そのための行動が、わたしにとっては、名なき者たちをゆるし愛する、浄霊という仕事だったのだ。
過去世の痛い体験と同質の体験を今世でもするのは、因果応報でも、罪の償いでもない。
過去の自分を深くゆるすために、天が与えたチャンスである。
そう考えると、この世の摂理にどうしようもないくらいの優しさを感じてしまうのは、わたしだけだろうか。
過去世ではたぶん、何度も天にツバはいたわたしだけど、「あんた、すごいよ…」と、神の愛に感服してしまうんだよな。
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名なき者たちの姿を描いた物語。主人公の体験の多くは著者木星の経験をもとに書いています。闇を、愛せ。
魔法の占星術テキスト『モッくまくんの星のレッスン』の著者。書籍での独学は難しいと言われる西洋占星術を、知識0の状態から読み始め、「即日使える」レベルにまで習得できるマスター本です。moccuma.net では、第一章からすべてを試し読みいただけます。