声は出たがっている
先日、声のワークショップに出た。だいたい私は飽きっぽい性格なのだが、これは一年くらい隔月で続けて出ている。毎回講師の「ばんさん」が、「はっ!メモメモメモ!!!」みたいなことをひとつ、ふたつ必ず言うので、これは出なきゃいけないやつだ、、となるからだ。
先日のメモれコピれは、これ。
「声は出たがっている(あとは出やすいからだにしてあげるだけ)」
「出そうとして出る声は声ではない」
声ではない、ならなんなのだ、と思うが、たしかに私も声、というか声の出る器官と息を無駄にしている、と思うときがある。
あった。
もうしない。
その点、子どもは声しか出してない。
もしくは出さないときは、ぜったい出さない。
無視すんな!
ってくらい声出さないときあるよね、子どもって。
それは、声が出たがってないからなんだな、と思った。
そんで、子どもの声って、めっちゃ響くでしょ。
あれこそ声だよな。
ひっくひっく、しゃくりあげながら訴えるのも、あれも声だよね。
ないしょだよって、耳元でこしょこしょ。これも、声。
なんて豊か。
なので、今度、私が黙っていたら、声が出たがってないんだな、と思ってください。
豊かな、実のある声しか出したくないな。
そうしたら、だんだん嘘がつけなくなるかも。
私はまだまだ嘘つきだから。
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