「夜が明ける」から
こんにちは(*'ω'*)
小学生のとき、私たちきょうだいに母がよくフレンチトーストを作ってくれました。材料は、食パンの端っこの全面ミミのやつ。お金がなかったらしいのですが、私は気づいてなかったです。2学期の途中で転校したのも金銭的理由だったみたいだけど、「中途半端な時期だなぁ」と思ったきり。
佐賀のがばいばあちゃん(島田洋七著)は貧しい暮らしながら、川の上流から流れてくる野菜や生活に使えるものを拾って工夫したり、お金の話は夜にしない&体は清潔に保つように孫に教えたり、お寺さんの説教を毎週きいて感謝して生きていたみたいです。
「私ね。」
「ずっと家が貧乏で。もう、貧乏って言葉も足りないんじゃないかってほどの貧乏で。すごいんだよ、家も冬なんてほとんど外なの? ってくらい寒くて。隙間もすごいから、鼠とか余裕で入ってきて。1匹じゃないんだよ。数匹でダーッて走るの。それを野良猫が追いかけるんだよ。家の中を、通り過ぎてくの。人間が住んでる家だって認識されてなかったんだよね、きっと。ひどくない?
母親はいなかった。みんなには亡くなった、て言ってたけど、本当は出て行ったんだ。何でかは分かんない。父親が教えてくれなかったから。父親はいい人なんだけど手に障害があって、仕事が続かなくて、なんかいつも、謝ってた。
二つ下に弟がいたんだけど、すごく不安定でね。学校も行かなかったり、行っても服が臭いとか髪の毛が汚いとかで、虐められるんだよね。なるべく服も綺麗にしてあげたし、髪の毛も梳かしてあげたんだけど、小学生や中学生の私ができることって限られるじゃん。それに、貧乏って、きっとそういうことじゃないんだよね。実際臭うことよりも、実際汚いことよりも、どうやら臭そうだ、どうやら汚そうだ、ていうことだけなんだよ。誰かがそれを知ったら、その子がどれだけ清潔にしてても、きちんとしてても、貧乏なんだよ。そして、貧乏ってだけで、虐めてもいいんだよね。
中学のときかな、お弁当がないから、お昼休みは教室でずっと絵を描いてた。絵に集中してるんだってポーズを取ってた。お弁当、持っていけないことはなかったんだけど、ご飯だけとか、海苔だけとか、そんなの恥ずかしいから、それで、恥ずかしくて隠しながら食べるのとか、まじで嫌だから、そうしてた。水を飲むのも嫌だった。お腹空いてるんだ、水で誤魔化してるんだって思われるのが嫌だから。お弁当食べないの? て聞いてくる子がいると、その子に腹が立って仕方なかった。私のお弁当、良かったら一緒に食べない? って聞いてくる子には、もっと腹が立った。
自意識過剰だって思う。被害妄想だって思う。ううん、思ってた。クラスメイトはみんな優しいのに、本当に心配でそう聞いてくれてるだけかもしれないのに、きっとそうなのに、私が素直じゃなくて、性格歪んでて、だから馬鹿にされてると思うんだって。私が勝手に、クラスメイトの優しさを否定しちゃうんだって。
でも、じゃあ、なんでそんな風に思わないといけないの?
クラスメイトが優しいことを、私だって素直に信じたいよ。誰にも馬鹿になんてされてない、世界は優しいって、そう信じたいよ。でも、そもそもそう感じる心を与えてもらえる環境じゃなかったんだよ。あらゆる人の優しさを、そのまま受け止められるような世界に、私はいなかったんだよ。
お腹も鳴るじゃん? 恥ずかしいから、必死にお腹に力を込めるんだ。だから私、今でも、お腹空いてもお腹鳴らないんだよ。ただ、キリキリ痛くなるだけなんだ。お腹が鳴ったら、ただ恥ずかしそうに笑えばいいなんて、そんな余裕、私にはずっとなかったんだよ。
その時は恨んだ。何を恨んでいいのか分からないから、とにかく手当たり次第に恨んだ。優しいクラスメイトも、親も、先生も、世界も。だってそうじゃない? 不公平だよ。私は、自分が望んでこの環境にいるわけじゃない。同じように、ほかのみんなも偶然、たまたまお金持ちだったり、お金を持っていなくても、当たり前みたいに学校に通える。少なくともお弁当を食べられる環境にいる。それで、お弁当を食べてない子のことを心配して、声をかけてあげられる世界にいる。優しい人間でいられる。当然のように、そこにいる。
それって何で?
でも、ある日ね、自分の親戚がもっと辛い状況にあるんだって知ったんだよね。親戚も同じように貧乏で、父親のお兄さんで、やっぱりとにかくお金がなくて。うちの父親の借金の連帯保証人になってたんだよ。それで、借金取りがずっとそっちの家に行ってて。
いとこに聞かされたんだ。私の二つ上のお姉ちゃんなんだけどね。やっちゃんていうんだけど、高校に行かずに、めちゃくちゃグレて。15歳で背中に大きな般若の刺青入れてたよ。すごいよね。でも、そのお金は、誰が出したんだろうね? 刺青って、お金がかかるでしょ?
私、一度やっちゃんに殴られたんだよね。わざわざ家に来たんだよ。ヤンキーの彼氏と一緒に。お前の父親のせいだって。パーじゃないよ、グーでだよ。しかもメリケンサックって知ってる? あの、喧嘩の時指にはめるやつ。漫画でしか見たことないやつ。あれでだよ? やばくない? 私、だから、左側の奥歯が、今でもちょっと欠けてるんだよね。
めちゃくちゃ痛かったし、ショックだったけど、そらそうだよなって思った。
私には何かを恨む権利はない。
最初はそうだったんだ。私よりもっと辛い人がいる。だから恨んじゃいけないって。
でも、いつからかな、恨むことが負けだと思うようになった。恨んでたら、恨んでる側が弱いんだって。
強い人は恨まないんでしょう? 弱いから、弱さの中にいるから恨むんでしょう?
誰かの、世界の優しさを信じられないのは、その人が弱いからなんでしょう?
やっちゃんもそうだよ。きっと周りの人間は、やっちゃんのことを可哀想だと思ってる。優しさを信じられないんだね、手を差し伸べても拒絶するんだよね、それって弱いからだよね。
かわいそうにって、そう思ってる。
恨んだら負けなんだ。世界を恨んだら負け。負けるのは悔しい。もともと不公平なのに、その上に負け確定なんて、やってられない。どうしていつも、優しさをもらう側でいないといけないの?
やっちゃんはね、そのまま姿を消して、妊娠して、ヤクザと結婚したんだって。自分たちを脅してた側の人間とだよ。おかしいよね、でもきっと、強くなりたかったんだと思う。強い側に立ちたかったんだよ。それって、強さじゃないのにね。
私は笑うようになった。
絶対に恨まないって決めた。
貧乏で、母親が逃げて、父親が働けなくて、弟がいじめられっ子で引きこもりで、そんな人間だから恨むんだって、思われたくなかった。
もちろん、私みたいに意識しないでも、強く踏ん張らなくても、誰も恨まずにいれる人はいる。どんな境遇でもね。知ってるよ、すごいよね。
でも私は、もう、とにかく、踏ん張ってそうしたの。全力でそうしたの。
私は優しいんじゃない。私は誰も恨まない。ずっと笑ってる。
負けたくないから。」
「これが私の戦い方なんだよ。」
『夜が明ける』(西加奈子、新潮社、2021年)より
この登場人物、遠峰さんという女性は強いですね…! この方は、「不幸や境遇」と「自分(受けとり方と態度を決める主体)」を分けて考えることのできる、冷静に物事を見定める視点をお持ちなのだと思います。
この方とは別に、森さんという女性も登場するのですが、悲惨な労働環境で働く先輩陣に対しても臆せず「それはおかしい」「それは言うべきではない」「どういうことですか?」と問うていきます。「(クソ)マッチョな」と表現される社風は、要するに体育会系の気質で自分より上の立場の人間からの理不尽にも耐えろ、と強要する素地のことをいうのだと思いますが、森さんの姿勢は周囲から煙たがられます。「この理不尽にこれまで耐えてきた俺の努力(※方向性に問題がある)が無になってしまうじゃないか…<`ヘ´>」という、かつては嫌だと自分でも思っていた筈のことを意地でも変えたくない、もしくは変えようとする奴が神経を逆撫でしてくる・目障りで憎いと感じてしまう、ダブルバインド的な思考停止に陥っているのだとわかります。
長く理不尽に耐えてきた先輩陣はある種の洗脳状態に置かれていて、同じように理不尽に耐えようとはしないで状況を変えようとするニューフェイスに、どう対処すべきかわからず混乱状態なのかもしれません…(>_<) 泣き寝入りの無い労働環境の実現を願っています。
I can choose and decide my attitude in any situation, and you too ☆
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