見出し画像

「虫とゴリラ」から ~虫編~

こんにちは(*'▽')

催事場で働いていたとき、生け花の展示会がありました。その準備中、生けてある作品のなかからコオロギらしき虫が元気に飛び出したようでした。女性の悲鳴がするから何かと思っちゃった…わたしが塵取りと古新聞を借りて、外に逃がす役を果たしました。花鳥風月に、虫も必須でしょう…!?


山極 この前、「風土学」を提唱している哲学者のオギュスタン・ベルクさん(1942~)と話をしていたら、日本人の情緒というのは、西洋人の感性とはだいぶ違うという話になったんです。何が違うのかというと、自然観が違う。それを土台にした宗教や哲学の影響が大きいって言うんです。例えば、西洋絵画で「遠近法」が流行した時期と、デカルト(1596~1650)が「我思う故に我あり」という考えを提示した時期は重なっていて、遠近法というのは、自分の視点、自分というアイデンテいィティを固定するものの見方です。いつどこに自分が立っていて、何を見ているのか、非常に明快ですよね。

ところが、日本絵画は「主体」と「客体」の関係が曖昧で、絵巻物でも、解いていくたびにストーリーが変わり、主人公が変わり、見る側はいろんな主人公になりながら風景を眺めて、絵の中のドラマに参入していく。

日本の庭園もひとつの固定された視点から眺めるようにつくっているわけではなく、立つ場所ごとに、自然の中に没入して自然と対話をするようにできている。主体が客体の中にとけ込んでいる。それは、日本人の情緒になって、さまざまな芸術や工芸品を生み、ジャポニスムとして19世紀末の西洋に衝撃を与えたわけです。

そういう日本人が、70年代、あっという間に自然を壊してしまった。どうして、あの日本列島の大改造の時代が始まったのか、自然を敬う心を捨ててしまったのか、いまだにわからないって、ベルクさんが言っていましてね。じつは僕もわからないんです。

養老 あれは日本の中でも特殊な時代ですよね。日本の風土を壊したのはブルドーザーっていう説が一時、あったんですよ。私もしみじみそう思ったことがあってね。山奥でもなんでも、いっぺんに造成できるでしょう。

これはね、結局「ガダルカナル」の問題なんです。太平洋戦争の激戦地。日本軍がガダルカナル島に上陸して飛行場をつくろうとして、もたもたしているうちに、逆上陸した米軍が、あっという間に飛行場を完成させてしまった。何が可能にさせたかというと、ブルドーザーなんです。あの敗北の体験は大きかったと思いますよ。戦後、ブルドーザーを手に入れた日本人は、どんな工事もできるようになった。「できるようになる」っていうのは非常に大きな問題で、人間というのは、技術が手に入ると「やっちゃう」んですよ。

山極 日本人は「型」というのを非常に重視しますよね。短歌、俳句、着付けの作法、食事に臨む作法、それらはまず型を学ぶことが大切です。お稽古事なんか、いちばんいい例ですよね。型の中にさまざまな表現があって、その型の中に入るといろいろなやり取りができるし、想像力も発揮できる。しかし型の外に出ると、それはちょっと「自分が関われないもの」として傍観者になってしまう。もしかしたらそういう精神性が、我々の中にあるんじゃないかっていう気がするんですね。

日本列島改造論がうたわれて、あの土木工事、日本の海岸線が無茶苦茶になり、あらゆる場所に自動車道路がつくられた頃、みんなが違和感をおぼえながら、これが日本の発展のひとつの型なんだと思い込んでしまったのではないでしょうか。

あの時、参与(participation)ということを生きる中心にはしてこなかった大多数の日本人が「傍観者」になってしまった。公害が発生して、異変が身近になってきたら、「これはおかしいぞ」と思い始めても時すでに遅し、じつは間違っていたんだということに途中で気づきながらも、自分が関わっていなかったが故に傍観者になってしまった。つまり型を並べて自分がそれを眺めているような人生観を、みんな持ってたんじゃないのかなと。

養老 いや、確かにそれに近いことを考えますよね。型というのは、本来、身体の一部なんです。武道は全体にそうですし、茶道は典型ですね。稽古事はみんなそうでしょう。うちの家内が10代の頃、お茶が好きで、お手前をやってたんだけど「終わった時に記憶がなかった」って言うんですよ。つまり、それぐらい身につくものなんですよね。身体と型はくっついているんですよ。

山極 おっしゃるとおりです。型を学ぶというのは、「身につける」ことですよね。型の中に身体を入れて、身体の感覚の中で、日本人の精神性が形づくられてきたんです。ところが、いいかげんに型というものを学ぼうとすると、身体が入らない。

養老 恰好だけではダメなんですよ。もっともダメ。

山極 日本人は明治以降、西洋の形だけ真似て、技術だけを真似て、それでも「和魂洋才」っていって、和魂というのは残してきたと思うんです。それが戦後、空っぽになっちゃって、技術だけで、すべてを行なうようになったというのが、僕は大きかったんじゃないかと思うんですよ。

養老 その「和魂」って言われたものはね、みんな「精神的なもの」だと思ってるんだけど、そうじゃなくて、たぶん「世間の干渉」だと思うんです。世間の暗黙のルールっていうのが非常に日本は強かったので、それが戦後、壊れたんですよ。

山極 日本人の情緒って、自然の変化、とりわけ動物たちの変化にそうとう影響されていたはずなんです。例えば秋は、彼らの交尾期だから、遠くの山からはその鳴き声しか聞こえてこない。シカはピーッて鳴くし、サルはガガガッて木揺すりをする。春の繁殖期は鳥も縄張りを構えて声音が変わる。四季の移り変わりが「音」になり、「騒々しくなったな」という雰囲気が伝わってきた。それがね、今、森が空っぽになっちゃったから、気温の変化や、雨風とか、そういうものでしか判断できなくなっちゃった。自然に対する感覚を失って、人間が機械的な反応しかできなくなったっていう気がするんです。

しかも、住んでいる家もマンションも、ホテルもオフィスビルも、外の空気や音が入ってこないつくりになっている。中で空調が回転してるだけでね。都会にいたっては、そういう中でみんな、一日中、外に一歩も出ないでオフィスワークをやっていたり。

養老 東京の街を見ていてね、私はあきれているんですよ。よくもみんな、こんなところで働いている。だから私は、都会の人間に「田舎に行け」って勧めるわけです。「参勤交代」が必要だよと。

山極 以前アフリカの友人が東京に来たので、案内をしたことがあるんです。「日本人はネズミのようだ」って言いましたね。地下にばかり入っている。建物から出ない。「まるでネズミだな」って(笑)。昔よく「ウサギ小屋」って言われていましたが、ウサギですらない。ウサギは屋外に出るじゃないですか。ネズミはちょろちょろ走り回るんだけど、穴蔵暮らしです。そんなことを言われて、「いやあ、これでいいのかなあ」なんて思いましたね。

養老 トルコあたり、崖に穴掘って暮らしてるでしょう。カッパドキア。現代人ってあそこに戻っているんだなって思います。もう少ししたらネアンデルタールだ。いずれ洞窟に住むようになるんじゃねえか(笑)。

山極 今の話をもう少し過激に言うと、日本人はもう自然に耐えられなくなっちゃったんですよ。まず虫に耐えられない。刺される、嫌な音を出す、蛾が鱗粉を撒く、うるさいと感じ始める。そもそも人間の身体は、五感を通じて、そういうものを心地よく感じるようにできているはずなのに、我慢ができない。僕はもう、ジャングルに慣れちゃったから、虫に刺されても別にどうもない。日本にいても、そういう虫が嫌だとは思わないんです。だけど今、ちょっと虫が出ようものなら、みんな大騒ぎでしょう。

養老 ハエは見なくなりましたね。昔は食堂に行けば、ハエ取り紙がいっぱいぶら下がっていましたから。子どもの頃と今でまったく違うのは、ハエがいないこと。それから夜、蛾が飛んでこない。カブトムシもクワガタも飛んできませんけど。なんにも飛んでこないので、網戸が必要ない。これが不思議でね。これだけ人間圏にしちゃっていいのかって思っているんですよ。

養老孟司 & 山極寿一

『虫とゴリラ』(毎日新聞出版、2020年)より


手塚治虫さんの『火の鳥 鳳凰編』で、夢の中でいろんな生き物に生まれ変わっては死にながら輪廻転生を経験するシーンがあったと思います。人間だけでなく、カメ目線、ウサギ目線、鳥目線、虫目線、ミジンコ目線…いろいろな世界のとらえ方があることを想像できます。仏教だけでなく、トーテムポールに動物の顔を人間の顔と同等のものかそれ以上のものとして彫るような文化にも通じる感覚かと思います。

都心に出かける事がときどきありましたが、電車に乗っているとき、駅を降りて歩いているとき、緑が少なくて人工物(と情報量)が多くて眩暈がしそうになりました。住みづらそう…。駅から離れたらそうでもないのかな!? 自分の住む家から最寄り駅に行くだけで里に下りてきたタヌキのような心境になることもあるのに、この立体迷路みたいな駅&駅ビルはなんなんじゃ…( ゚Д゚)

「参与(participation)ということを生きる中心にしてこなかった大多数の日本人」というところに、思うところがありました。誰かが何かメディアなどで発言するとき、「専門家じゃないくせに意見を言うな」という見えない圧があることを不思議に感じてしまいます。専門家以外の人は意見を述べてはいけないのかな? 専門家の助けを借りて、一般の人も巻き込んで大論争してもいいのではないかな? 一部の人に任せきりにしてあとで不満をぶつけるより建設的なような気がするのですが、どうなんでしょうか…?

ジョン・F・ケネディ大統領が就任演説で、「(新たな世界の建設は)最初の100日間では果たせまい。 最初の1000日間でも、この政権の間でも、そして恐らくは我々のこの惑星上における一生涯の間ですらも果たせないかもしれない。 それでも、始めようではないか」「国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい」などと話し、より良い世界を築くための自発的な行動を国民に訴えた、と(その頃生まれてないながらも)なにかで知りました。自助だけ求められて、入院必要になっても自宅療養しかできない「棄民」みたいな状況は受け容れ難いけど、「参与・参加・関わり」はこれからもっと必要なのかも!と感じています。

キャンプやグランピングを楽しむ人が増えているみたいなので、完全に自然と切り離されているんじゃないと思います。あ、でも、スズメバチとか気をつけてください!

Let's have relation with Mother Nature and live close to nature ☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?