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連帯するのってむずかしい…でも

こんにちは(*'ω'*)

かつて、朗読された箇所のひとつの言葉にインスピレーションを受けて、自分の思い/体験/感情というものを喋っていい場(わたしにとっては貴重でした!)がありました。周りで聞いている人は、それを沈黙のうちにただ受けとるという場でした。そういう場では「そんな辛さはあなたに限ったことではない」「たいしたことではない」と言われてしまうと、その場の存在意義そのものが無になってしまいます。…なんか難しいな、と感じました…( ゚Д゚)


雨宮 先日、朝ドラの「マッサン」に出ていたシャーロット(・ケイト・フォックス)さんがテレビで、日本でびっくりした話として、新幹線に乗ったときに荷物を網棚に乗せようとしたらすごく重くて、持ち上げて乗せることができなかったのに、周りにいた10人くらいの男性は誰も助けてくれなかった、という話をされていて。とにかく「他人と関わり合いになりたくない」という空気は、私もよく感じます。

 それって、要するに「冷淡」ってことですよね。学生に「電車でもし人が倒れたらどうする?」と聞くと、「下手に助けて余計に悪くなったらいけないから見てる」と言うんですよ。それは違うだろうと。「配慮」と「冷淡」がごっちゃになってる。

以前、連れ合いと難波(なんば)の地下街を歩いていたら、女の人とおっさんが揉(も)めていたんですね。僕はそういうときすぐに「なんやなんや」と入っていってしまうんですが、そしたら男がバッ! と逃げたんです。カバンの取り合いをしていたから、ひったくりやと思って追いかけたんやけど、走りながら「ひったくりや! 捕まえてくれ!」って言ってんのに誰も捕まえてくれない。みんな見てるんですよ。それで、そのなかでも2、3人一緒に追いかけてくれたのが、みんな女の人やったんですよね。

雨宮 あ~~。

 男は一人も、なにもしない。結局取り逃がしてしまったんやけど、そしたらその男、ひったくりやなくて盗撮犯やってん。それ聞いて余計に悔しくなって、ちょっと普段からマラソンでもしようかと思いました(笑)。してないですけど。

でもあのときの冷淡な感じがすごく頭に残っていて。かなりの距離を叫びながら走ったんやけど、誰も助けてくれなかったですね。本当に。

雨宮 本当にきついですよね。混雑している駅で、人とぶつかってしまって「すみません」と言うと、自分の父親ぐらいの年齢の人が「チッ」と舌打ちをする。数え切れないくらいあります。

 中高年の男性はひどいですよね。お互いにひとこと「すみません」と言えばいいのに、知らない人にひと声かけるときの障壁の高さがなんやろって思うんです。

雨宮 あれ、おばちゃんがすごくうまいですよね。

 そう、おばちゃんが超うまい。大阪で暮らしてると正直うっとおしいです(笑)。逆に障壁が低すぎるんですよね。

雨宮 劇場とかでも、おばちゃんは普通に話しかけてくる。「この舞台来るの、何度目?」とか。飛行機の中でもあったなぁ。

 おばちゃんは必要ですよ。社会にすごく必要。銀行で並んでるときにおばちゃんがひとこと「今日混んでるなぁ!」って言うだけで周りがスゥッって和むんですよ。

雨宮 わかる! あのおばちゃんのスキルは、身に付けたいもののひとつですが、あれを身に付けられないまま老いていく男性の世界ってむちゃくちゃきつそうだなと思います。

◆◆◆

雨宮 恋愛とか結婚とか、別にしたくなければしなくていいと思うんです。でも、はっきりと「したくない」というわけでもなさそうなところが難しいなと思っていて。みんな漠然と「いいものなんだろうな」「したいなぁ」「経験してみないとわからない良さがあるのかも」とは思っているけど、仕方がわからないという戸惑いをすごく感じます。恋愛以外でも、他人との関係をつくりにくくなっている感じがありますね。友だちができないとか。全体的に、人付き合いがしにくいとみんな感じてるのかな、という気がします。

 みんな人が怖いんでしょうね。怖いからできなくなる。

雨宮 あー、それはすごくわかります。

 ヘイトスピーチとかね、他者が怖いからああいう排外主義的なものが出てくるんだと思います。攻撃性というのは、恐怖感の裏返しですからね。

雨宮 何かを奪われたり、傷つけられたり、ひどいことをされるにちがいない、という気持ちがあるから攻撃的になるんですよね。

 そう。よく、非正規雇用が増えて恵まれない人が増えたから、それのはけ口になってるんだ、という説がありましたけど、いま全部否定されているんですね。もう全然収入とかは関係なくて、そういう人はあらゆる層にいると。ほぼ完全に、パーソナリティの問題なんじゃないかということになっていますね。

雨宮 そう! だってすごいお金持ちや、社会的に地位の高い人の中にも、攻撃的な人っていますよね。

 ある種の割合の人に強く出ているけれど、そこだけじゃなくて、全体的になんか他者が怖い、というところはあるんですよね。

だからなんというか、極端なんですね。それこそ他者が怖くて関係を結べないか、既婚者のおっさんでやりたい放題みたいな、どっちかしかないわけではなくて、中間にいっぱいいるはずなんです。みんなすでに友だちを作ったり、恋人を作ったりしているんですが、それでも一般的に、なんか他者が怖い社会ではあるんですよね。でも恋愛しないとダメなのかも微妙なんですよ。さっき言ってはったみたいに、恋愛しなくてもいい、という選択肢もありますしね。

雨宮 不景気になって、みんなが貧しくなっていくなかで、楽しいことって、もう後は人間関係だと私は思うんですよね。お金がなくても、誰かが家に来てしゃべっていたら楽しいじゃないですか。何人かでテレビを見ているだけで幸せというか……。

 ほんとうにそう思います。けれど、そうはならないんですよ。逆になるんです。

雨宮 そうなんですよね。いま持ってるものを取られまいとギスギスする世界。

 みんなブラック企業でも我慢しちゃうんですよね。ほんとうは一斉にやめられたらいいんですが。

雨宮 何かを分け合えば幸せなんだけど、みんなが分け合わないから自分が分け与えたら損だ、みたいになっていって。

 意外に僕らは縛られてるし、個人として生きるのって難しいですよ。

◆◆◆

 僕と連れ合いは不妊治療を5年くらいやって、子どもができなかったんです。しんどい経験をした当事者の話を聞いてても、「でも子どもいるじゃん」と思うときもあるんです。その人に子ども、いたりするんですよね。

雨宮 はい。

 でももっと他の人から見たら、僕は、結婚しててパートナーがいるじゃないですか。いない人からしたら「子どもくらい何?」って言われるかもしれない。その辺りがいま一番重い問題だと思います。僕個人にとっても、社会学的にも、解決不可能な問題。

たとえばお互いポジティブに、大阪のおばちゃんがやるみたいな、「飴ちゃん」とかの交換して仲良くやろうよっていうのが大事なのはわかるけど、それはそれとしてその次に、お互いのしんどさをどうやったら交換できるのかということを考えると、いまのところ無理なんですよ。かなりポジティブな感情が底流にないと不可能だと思う。でも、人間はネガティブな感情のほうが強いって、それこそ Twitter が教えてくれた(笑)。

雨宮 どんどん湧いてきますもんね。

 僕が一番凹(へこ)んだのが、「差別論」という授業で、いろんなマイノリティの話をしていくんですが、最後に自分の不妊治療の話をしたんですね。僕も手術を受けた話とかをすると、話を聞いて泣いてくれる学生もいる。でも、一度だけですが、授業のアンケート用紙に男の子が「嫁自慢乙」って書いてきてね。もうすごく泣けてきて、あれだけ辛い気持ちをみんなの前で正直に言ったのに、って。言えるようになるまでけっこう時間がかかったんですよ。だけど連れ合いがいるっていうところだけを聞いて、自慢やと思ってるんですよ。

雨宮 昔は、「持ってない」ことをバカにされるのが一般的だったと思うんですよ。

持っている者が持ってない者をバカにするっていうのが定型だったのに、いまは持ってない者が持ってる者のことをバカにする。「お前なんか持ってるくせに、持ってない人間の気持ちなんかわかんねぇだろ」って。

 差別のあり方が逆転したんですよね。昔は「穢(けが)れてる」って言っていたのを、最近は「特権を持ってる」みたいな感じの攻め方をするんですよ。社会心理学者の高史明(たかふみあき)さんがそういう研究をしています。

雨宮 「特権を持っていれば叩いてもいい」ということになっていますよね。悪口も、「あいつ実は実家が金持ちらしい」とか、そういう方向になりましたね。「実は貧乏」じゃなくて、「実は金持ち」が悪口になる世界。

 でも、ネガティブな反応が全部ダメっていうわけじゃなくて、炎上したほうがいい案件はあるんですよ。たくさんの人が声をあげること自体はいいことやと思います。それ自体はいいことなんですけどね、ただネガティブな感情が増幅されてる感じがする。

雨宮 いまの炎上のスピードは速すぎるし、事実関係の確認もなしに反射的にたまたま目にした言葉にひとこと言いたいだけの人が多すぎて、ノイズがひどいんですよね。炎上した側が「面倒だから黙ってただ謝る」という選択しかしなくなったら、意思の疎通はできないですよね。もともと、炎上じゃなくて議論だったはずのものが「炎上」として消費されてそういう終わり方をするのは、むちゃくちゃ虚しいですね。

 あと、インターネットで人間がもともと持っているネガティブな感情が増幅されるのはなぜかと言うと、インターネットっていまだにテキスト情報が主体なんですよね。文字情報がメインなので、絶対ケンカをするんです。僕は、メーリングリストの時代から掲示板、SNS までずっとネットを使っていますが、だいたいケンカしています。

文字のやり取りをしていて好意を持つ、いつの間にか好きになっちゃうってあんまりないんですよね。

雨宮 ないんですか!?

 えっ? あったんですか?

雨宮 全然あります。だから、文字のやり取りを多くする人とは、なるべく早めに会うようにしてます。でないと、現実と文字のギャップが埋められなくなるし、信頼できる人なのかどうか会っておかないと、文字だけで心を開いちゃうと危険だから。

 それは惚れやすすぎるで(笑)。

雨宮 言葉の人間だから、言葉で惚れるのは普通ですよ(笑)。でもケンカになるというのは、すごくわかります。何気ない言葉を皮肉やあてこすりだと受けとられたりね。だから普段仲のいい人とは SNS でのやり取りに重きを置かないほうがいいのかな、とは思います。

 そうですね。

ネガティブな気持ちを飼いならす

 ネガティブな感情との付き合い方って「自分で認めることができるか」ということなのかな、と思うんです。自分のネガティブな気持ちを、どれくらい認めることができるか。

さすがに最近はなくなったんですけど、僕は一時期は、友だちに子どもが生まれると、心から祝福するんだけど、やっぱり子どもの写真が載った年賀状が来ると、「うちの事情も知ってるくせに」と思ってしまっていたんですね。最初はその気持ちをすごく否定して、心から祝福してあげないといけないって思ってたんですけど。

でもそんなに無理せんでもええわ、と思ったんです。ちょっと一時的にしんどいから距離置きたいって思えばいいだけだから。自分のネガティブな感情を飼いならすことができないと、変な方向に向いちゃうんだと思う。……なんか、社会学とか関係ない、ただの人生論みたいになってるんですけど(笑)。

雨宮 いやいや、大事なことですよね。

 妬(ねた)みの感情とかあるじゃないですか。でもなかなかなぁ。

雨宮 でも一回徹底的に付き合うと、認識はしやすくなるじゃないですか。次にイラッときたときに、自分は何にイラッときてるのか、ということが理解できる。私は自分の中の嫉妬心とか、人と比べて落ち込む気持ちみたいなものとは、ものすごく付き合いが長いので、飼いならすまではいかなくても「自分が何に苛立っているのか」を正しく分析する、ということはだいぶできるようになったと思うんです。認めたくないものと向き合うはめになることも多いですけど、だいたいはそこが一番のポイントなんですよね。

 そういう意味でも言語化するのが大事ですよね。ゼミの中でよくカップルができるんですけど、その中で、男のほうに「彼女が今度コンパ行くって言ってて、めっちゃ嫌やねんけどどうしたらいいかな?」って相談されたんです。「でも束縛してるって思われたくないから、行くなとはよう言わん」って、研究室のバルコニーで二人で話して(笑)。そのときに「コンパに行くなって強制する権利はないけれど、コンパに行ってほしくないという気持ちを伝える権利はあるよ」と。言葉で気持ちを伝えることはできるよ、って言ったら「そっかぁ!」って納得してくれて。(つづく)

雨宮まみ & 岸政彦

『愛と欲望の雑談』(ミシマ社「コーヒーと一冊」シリーズ、2016年)より


分断の多い世の中・時代だなぁと、常日頃ひしひしと感じます。どれだけネガティブな感情から距離を置けるか(他人のネガティブに巻き込まれない/自分のネガティブを客観視する)がポイントなのかな。この note.com にも、なるべくネガティブな感情をそのまま出してしまわないよう気をつけていきます。わたしは、そういう感情を持ちつつも、やはりすこしずつでも連帯していきたい…!!

いま周りにある人間関係だけが人間?関係ではないとも、個人的には思います。動植物(ペット、家庭菜園の苗)だったり、故人(甘えさせてくれた&ちゃんと叱ってくれた)だったり、歴史上の憧れの人物だったり、空想の中の友達だったり、仏像だったり、いろいろあってよさそう。ギスギスは疲れます。心の中でだけでもいいから、否定されることなく、この気持ち・叫びを聴いてくれ…!!( ≧Д≦) 「わたしのおかあさん」としてマリア像に話しかけていた時もあります。

「カチンとくる言い方をするなぁ」と思っても、よくよく聞いてみると本当の言い分はとても切実な内容だった、ということがあってからは、カチンとくるのを一瞬耐えるようにもなりました。

映画「コンフィデンスマン JP プリンセス編」(2020)で、シンガポールの大富豪の遺産と当主の座を争う姉弟が登場します。ほんとうは小さな幸せを願っているけど、セレブ然とした高飛車な態度で自分の感情を押さえつけて、心は引き裂かれた状態になっていたり、ほんとうは昆虫学者になりたいのに、跡を継ぐにはビジネスの世界で成功せねばと無理をしていたり。ヤマアラシのジレンマ? フィクションではあるけれど、外からは窺い知れない悩みというのはあるものなのだなぁ。

感情は生き物、ときいたこともあります。押さえつければ暴れ回り、無視すれば生命力がみるみる失われていく。監禁&放置すれば腐乱するかもしれない。仕事の便宜上とか、論理>感情という理屈から、とかく感情は後回しにされがちですが、いちどきちんと向き合って、ねぎらったり「よしよし、いい子」とさすってあげたり、いいお付き合いができたらいいかなぁ。

その先に、おなじように感情との付き合いに四苦八苦しながらも同じ社会に生きる他者とのつながりがあるのかもしれません。

Meet your (negative) emotions face to face, if you have never do ☆

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