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体育会系の、よくないとこ

こんにちは(*'ω'*)

新年度・新学期、はじまりましたね。新たに部活を選んで入部する生徒さんも多そうです。ここ数年、人類全体的に運動不足に陥ってそうな状況だから、運動部に入っていきなり激しい練習や危険伴う技で怪我とかしないでほしいなぁと思います。老婆心…!


 本人にその気はないはずだが、お笑い芸人「あばれる君」による「野球部の監督」と題したネタは、「体育会」(この章では「運動部」という意味で使用する)を考える上で極めて批評的である。
 試合前、野球部の選手を慣れた様子で自分のもとに集める監督。「チームのみんな、準備はいいか。いよいよお前たちにとって、夏の最後の大会が始まります」と話し始めるものの、なんだか顔は強張り、目は泳いでいる。選手たちはこの大会のため、ギリギリまで海外合宿に臨み、試合当日、日本に帰ってきた。「この先、なにがあっても動じない自信がお前たちにはあるか?」と選手たちに問いかけた後、監督がズバリ言い切る。「試合の日、今日じゃなくて、昨日でした」。海外との時差をまったく考えていなかった監督から、大会本部に対戦相手の不戦勝の取り消しを願い出たものの、受け付けてもらえなかったとの報告を受ける。
 動揺した選手から「“あきらめるな” が口癖だったではないですか!」などと問われると、監督は何も答えず苦笑いでやりすごし、明日、キャンプ場でバーベキューをしよう、そこで開かれる大食い部門に、これまでの3年間の思いをぶつけてほしい、その代わり、お父さんお母さんにはこのことは言わないでほしい、先生のキャリアに計り知れない傷がつくから、と保身にひた走る。もし言いたくなった時には、合宿で鍛えたあの精神力を生かそう、そう、「One for all, All for one」だ……自分の説明に納得しない選手をいかにも慣れた手つきで殴ろうとした監督だが、逆に殴り返されてしまう。うずくまりながら「それでいい」とつぶやく、というネタだ。
 このネタは、いわゆる体育会に根付く権力構造を軽やかに茶化している。どんな状況にあっても監督が偉い、という前提を保持しようとすればするほど滑稽さが増していく。自分がしでかした不手際から逃げるために、力強いスローガンを使うと、いよいよ選手の怒りが沸点に達する。それでも監督は最後に、このまま真っ白いユニフォームで家に帰ると親に怪しまれるので、各自、公園でスライディングしてから帰るように、と要請する。選手の心情より、自分の立場を守るための隠蔽工作を優先しようとする。

武田砂鉄

『マチズモを削り取れ』(集英社、2021年) 「体育会という抑圧」より

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「指導死」という言葉がある。クラスメートからもらったソフトキャンディをほおばると、後になって、生活指導主任が甘い匂いに気づき、怒声をあげながら犯人探しに励んだ。結果、1時間半に及ぶ叱責を受けた生徒が翌日に自ら命を絶った。生徒の親である大貫隆志おおぬきたかし(「『指導死』親の会」代表)がこの言葉を作った。校則に違反したのは生徒のほうなのだから、生徒が悪いのではないか、との声が上がるなか、先生の行き過ぎた指導が死を招くことがあるのではないかと考え、「指導死」という言葉を提唱した。教師はどこまで生徒を「指導」していいものなのか。(略)
 先の「指導死」の事案についても触れられている、南部なんぶさおり『反体罰宣言 日本体育大学が超本気で取り組んだ命の授業』(春陽堂書店)を読み、学校生活の中でいかに死亡事故が相次いできたか、その具体例をいくつも知った。南部が、部活動の外部指導員を対象とした研修会で安全な指導について述べていると、明らかに態度の悪い受講者が複数名おり、回収されたアンケートには「信頼関係があれば、それは体罰ではない。お前はこの『信頼関係』に泥を塗る気か」などの罵詈雑言が数多く含まれていた。名古屋大学・内田良うちだりょう准教授の調査により、学校管理課の柔道で1983年から2010年までの27年間で少なくとも110人の命が奪われている事実が明らかになったが、その多くが「信頼関係」を盾に、児童・生徒の異常を軽視し、彼らが異常を申し出ているのに、その力量を過信し、無理のある稽古を強制していた。南部は日体大という場で、我が子を学校・部活動で失った被害者家族に語ってもらう研修会を開いている。体育会系人材の両産地と思しき場所でそういった取り組みに励んでいるのが興味深い。日体大へ出向き、南部に話を聞いた。
 これだけの重大事故が発生してしまっているのに、安全な指導について伝える声を無視し、「信頼関係」を優先させる指導者がいまだに存在しているのはなぜなのか。

南部 どういうわけか、自分だけは大丈夫だと思っているんです。いや、事故が起きたとしても、これは偶発的なことで、自分はむしろ迷惑を被っている、という理解になる。そういった教員の周りには必ず支持する人間がおり、その人たちによって、先生は悪くない、あいつが悪かった、という話にまとめられてしまう。日本の部活動の特殊性とその指導者に関する問題点は、学生時代や選手時代に競技成績がよかった人間がそのまま指導者になることが多い、という点にあります。海外では、いい選手が必ずしもいい指導者になるとは限らないという考えのもと、十分に指導者としての教育を受けた上で、指導者としての適性が見られます。日本はそのプロセスをすっ飛ばす。依頼する側も、トップアスリートになったやり方を教えてやってくださいと、場を提供しちゃうんです。

 自分はこうだったんだから、お前たちもこうであれ。とはいえ、その指導がうまくいかなければ、自分の理不尽さに気づけるかもしれないが、彼らは往々にして結果を出すのだという。

南部 恫喝どうかつされたり、暴力をふるわれたりすると、無理に力を出さざるを得ない。その結果、強いチームに「作り上げられて」しまいます。よって、見直さなければならない、というほどの動機づけが与えられないまま、そのままになる。日本社会って、こうやって縦社会であることを好んでいるんです。

 体育会に入る生徒は好きでそれを選んでいる、とは限らない。学校や家庭から、お前は勉強が得意ではないんだから、スポーツをやるしかない、そういった誘導を受けることもある。それしか選択肢がないと決めつけられるのだ。

南部 恐らく誘導によるものであっても、最近は自己責任が強調されているので、すぐに、結局勉強しなかったお前が悪いとか、そういう論法になってしまう。本人がその論法の欺瞞ぎまん性を知ることがないまま、目の前に与えられたことを一生懸命こなしていくと、もうその道しか残っていなかったということが往々にしてあるんです。

 成功者は成功者としての経験を目の前の選手に伝達し、継承させようとする。学校内でのスポーツ事故でこれだけ死者が相次いでも、まさか自分たちのところで起きるとは思わないのは、成功者の視線が、成功者にしか向かわないからなのだろうか。

南部 スポーツ事故で亡くなっているのって、その多くがトップの子じゃなくて、そこまで達していない弱い子たちなんです。事実、柔道で亡くなっている子たちはほとんど初心者です。必要な受け身の技術などを教えないままに、できるだけ早く試合形式の練習をさせて、柔道の面白さをわからせようとする。最近、指導者がよく言うんです。早くゲームをさせてあげたい、と。私たちが子どもの頃とちがって、今は子どもが少ないので、辞めてもらっちゃ困るんです。だから、ゲーム形式や試合形式で楽しませようとする。

 大切に育てるのではなく、大して実力が伴わない段階から実践的な練習に移行する。なんとかなるだろう、という体育会メンタリティがそれを支える。柔道事故の死亡事例を見ていると、当事者の不調を指導者が軽視し、気合いややる気が足りないだけ、という判断で放置したことによって最悪の事態に至ったケースが目立つ。

南部 スポーツで子どもが亡くなっている、というのは日本の部活動が生みだしている極めて稀な現象です。どんな状況であってもボールを追いかけるのをあきらめない精神のような、非効率で非合理的なものをずっと踏襲しつづけている。「信頼関係」といった言葉を用いながら、だからこそこういう場では暴力も許される、という論理に転化していく。
 信頼って、等しいベクトルで結ばれている必要がありますよね。指導者が選手を信頼して、選手が指導者を信頼する。その一方だけが太かったら、もうこれは、信頼関係ではありません。スポーツ指導者を買って出るような人というのは、熱い心を持っている人が多い。そういう人って自分の理想とする指導者モデルが自分以外のところにある。それへの憧れがあるから、自分も生徒との間で同じことを実現したいと思ってしまう。スポーツというものにがむしゃらに打ち込んでいくうちに人間的に大成するみたいな、そういう幻想を押しつけたいのかもしれない。

 それ、幻想だと思う。でもなかなか、幻想ですよね、と言えない。なぜなら、そこには、何が何でも信じ抜く指導者と結果を出している選手がいるからだ。

南部 部活動って、軍隊的、兵隊養成的な側面がすごく強い。全国大会に出るようなチームって、とてもピシッとしているんです。試合会場に入ってくる瞬間からして、もうオーラが違う。あれを見て、多くの日本人は、ああ非常に爽やかで模範的、こういう生徒こそが生徒らしい生徒だと思うんです。そこから脱却していかなければいけない。

(つづく)

『マチズモを削り取れ』(武田砂鉄、集英社、2021年) 「体育会という抑圧」より


わたし自身は、体育会系の部活と、大学に入った時にご縁がありました。飲み会でぐでんぐでんに酔っ払うまでビールを注いでもらいながら、先輩やOB/OGを相手にお話を頂いて、という形式を学びました。知っていれば就職のときに有利になるよ、とアドバイス兼激励をくれた人もいました。当時のその人の年齢もとっくに超えてしまった今となっては、いろいろツッコミどころも満載な気もします。

最近知ったのですが、日本の公立学校のつくりは、富国強兵の頃と変わりないのだそうです。行進の練習がしやすい校庭、複数人同時に飲める水飲み場、あとなんだっけ? 軍隊の名残だなんて、ちょっとうすら寒いものを感じてしまいます。戦時中の日本軍て、ほんとに残酷だったみたいなので…(>_<)

スポーツで身体機能の向上やチームメイトとの協力、目標を決めて練習する計画性、いろいろ身につけられて、しかも楽しさ持続したらハッピーですね! けっして命を失うなんてことなきように! あと、『スラムダンク』(井上雄彦さん)は読んでおきましょう…( *´艸`)

Act on the basis of SAFETY FIRST when you play sport ☆

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