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左手だけのピアノ演奏

こんにちは(*^^*)

3日後に東京パラリンピックを控えていますが、報道番組の特集でパラアスリートの紹介がされていると、ついTV画面に釘づけになります。カラダの一部(の機能)を失ったときのこと、競技に出会うまでの道のり、現在の心境、社会へのメッセージ…とくに、生き方の根本が変わった瞬間 “ブレイクスルー” の話にゾクゾクします…!


ピアニストの舘野泉(たてのいずみ)さんは、左手だけで鍵盤を弾く。

もしも、あなたが目をつむってその演奏を聴いたなら、

音楽の瑞々しさにただ打たれ、

「左手だけ」などすぐに忘れて、全身で享受したくなるだろう。

音楽が好きだ。

好きで好きで、しょうがない。

5歳でピアノを始めてから 84歳のいまにいたるまで、

舘野さんの想いは変わらない。

だから毎日、全身で弾くのだ。

毎日ピアノの練習を欠かさない。気持ちが乗らない日もあるが、休まず弾く。うまくできず、落ち込む日は「今日はここまでだ」と考え、何日かおいて同じ課題に取り組む。そうやって繰り返すと、ステージで、自分も知らなかった音が鳴る。

「コンサートを重ねるのは、1回ごとに脱皮するようなものです。うちでも勉強(練習)しているし、リハーサルでも弾く。でも本番になるとガラッと変わっちゃう」

音楽家の両親のもとに生まれ、28歳でフィンランドに渡り、84歳になる現在まで、舘野さんは音楽を空気のように吸って生きてきた。それでも生涯で2度、ピアノを弾けなかった時期がある。最初は戦時中。東京の自宅に焼夷弾が落ち、ピアノは燃えて、骨組みだけが焼け跡にゴロッと転がっていた。栃木に疎開してピアノを弾けない日々が続いたが、悔しくはなかった。

「なぜなら、毎日があたらしかったから。自然のなかを裸足で走り回る日々は、すべてが新鮮だったんです」

2度目は、19年前のこと。脳出血を起こし、ステージで倒れた。目覚めたときには右半身が機能しなかった。右手の自由を失い、一時はピアノから遠ざかったが、それでも「いつか音楽に戻ってくる」という確信があったという。

やがて舘野さんは、ある譜面に出会う。第一次世界大戦で右腕をなくした音楽家に捧げられた曲。それは片手を使えない人にむけた慰めではなく、「音楽」を生み出すための作品だった。心を揺さぶられた舘野さんは、左手のピアニストとして生きる決意をした。片手で弾くのは制約がある。たとえば、左端と右端の鍵盤を同時に弾くことはできない、など。けれど、音楽とは単なる技術ではなく、聴く人の胸に訴えるものだ。それに両手の音楽は作り尽くされているが、左手の音楽は未知で自由だ。こうして舘野さんは、あたらしい音楽を手に入れたのだった。

世界中の作曲家が、舘野さんの左手に曲を捧げている。その数、すでに100曲以上。「捧げる」というより「挑む」といったほうがいいかもしれない。疾風怒濤、岩をも砕くような烈(はげ)しい曲もあれば、太古の森のように深い静けさを湛(たた)えた曲もある。どの曲も難解で、簡単に弾きこなせるものではない。舘野さんはそれらを演奏するだけでなく、「左手の文庫」を立ち上げ、左手の音楽という瑞々しい世界が次世代の音楽家に受け継がれるよう、楽譜の出版や音源の制作にも心を砕く。

「曲の世界に入っていくには時間がかかるんです。それを、時間をかけてときほぐして、馴染ませていく。すぐにピンとくる音楽もあるにはある。でもたいていは、最初からわかるわけではない。それだからこそ、音楽は楽しいの」

去年は新型コロナウイルスの影響で、半年間以上コンサートを開催できなかった。人前でピアノを弾けない日々が続いた。

「ステージにあることが人生だから、倒れたときよりも辛かった。音楽は、ひとりで演奏すればできるものでもない。聴いている人がいて、その場の空気があって、音楽になるのだから」

いまはステージが控え、新曲も手元にある。その譜面を、時間をかけてときほぐし、自分のものにしていくのだ。

「おとといの勉強はとっても研ぎ澄まされていたんですよ。この調子なら、88歳の記念にはピアノコンチェルトを一晩で3つぐらい弾けるかもしれない。漠然とした夢ではなく、実際に夢見ることのできる状態なんだ、と嬉しくなりました」

朝起きて、ピアノの前に座って鍵盤に触れる。そのたびに舘野さんは「ああ、俺は生きているんだな」と思う。ピアノの音が立ち上がる瞬間、あたらしい一日が生まれてくる。

どんなピアノでも、そこにあれば何でも弾けます。

弾いて、自分のものにしてしまうのです。

もちろん、そのピアノを好きにならなくちゃだめですよ。

ピアニストはたいて、自分の好みのピアノがあるものだが、舘野さんの場合は、どのホールのどんなピアノでも、音程さえ合っていれば構わない。リハーサルで弾き込んだら、本番にはもう相棒になっている。

「音楽は、どこにいてもできるんです。いい先生につくとか、いい楽器を使うとか、そういうことは関係ないの。本当はどなたでも音楽を楽しむ能力をもっていらっしゃるんですよ。自分の感性が受け取ったものを楽しめばいい」

もしかしたら、人生もそうではないだろうか。どんな毎日も愛し、弾きこなして、自分のものにしてしまうこと。

苦しいことも、嫌なことも、

生きていることすべてが

音楽の中に染み込んでいきます。

左官職人が泥団子を作る様子をテレビで見て、「音楽と同じだ」と思ったという。火山の噴火で積もった灰、雨水、落ち葉。そうしたものが地面で合わさって腐り、積み重なって粘土になる。その粘土を左官職人が手に受けて丸めて磨くと、やがて光り輝く。

音楽も同じことだ。人生で体験したすべてが、時間をかけて腐食し、音楽と一体化する。「腐食」は、音楽でも生きるうえでも大事なプロセスだ。

「チェリストだった親父が、『音楽をやっていくほど、生きていくうえで素晴らしいことはない』と言っていました。僕にとっても音楽は、いつでもそこに戻ってくる自然な場所です」

舘野泉

『暮しの手帖 12  Early Summer 2021  6-7月号』(暮しの手帖社) 「毎日があたらしいから」取材・文/渡辺尚子 より


「音楽は、どこにいてもできる」「自分の感性が受け取ったものを楽しめばいい」「人生で体験したすべてが、時間をかけて腐食し、音楽と一体化する」……大事なことかも!!と思って、胸に刻みます。

妻のマリアさん(声楽家)と2年に1度くらい夫婦喧嘩になることもあるとのことですが、そんなとき、舘野さんは反論するでも自己弁護するでもなく、黙って静かに聞いているのだそう。痛烈な批判や激しい言葉もどんどん飛んでくるけど、お互いのことが好きだし、信頼している、と。「話し合えば互いを知ることができ、互いの人生がよくなると信じているから、かみさんが喧嘩をしかけてきたら受けて立つ」。すごいなぁ!

Pianist who has only one movable arm teaches me many important things ☆

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