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短歌にふれる、掻き立てられる

こんにちは(*‘ω‘ *)

抱き寄せてキスした君が抱き寄せてキスした猫は股間を舐める

作者がどなたか覚えていないのですけど、好きな短歌です。どんなに眉間にシワ寄せているときでも、思い出すとぷぷっとゆるんでしまう、そんな一首です!


鳥居 そうそう、好きな歌人といえば、他に明石海人(あかしかいじん)がいます。

穂村 昭和前期に、ハンセン病と闘いながら歌を詠んだ人。短歌の世界では、「療養短歌」と呼ばれるジャンルに位置づけられます。当時のハンセン病は、不治の病で伝染すると考えられていたことから、患者は隔離され、差別の対象にもなっていました。

鳥居 穂村さんは「ある運命が、自分に本当に言いたいことを言わせない状況」が強度のある詩歌を生む、とおっしゃっていましたが、それとも似ているような気がします。

穂村 作者のそうした“ギリギリ感”というのは、短歌という表現と相性がいいんですよね。つまり、肉体的・精神的に極限状態に置かれていることが、作品に強度を与える。

鳥居 そんな過酷な状況下で〈髯を剃りシヤボンをつかひ背を流すなべて他界の記憶のごとし〉のような歌を詠んだというところに、同じく施設で隔離されていた者として、私はぐっときてしまいます。

穂村 生前の海人唯一の歌集『白猫』は二部構成になっていて、一部は病気を告知されてからのことをドキュメンタリー的に詠んだ歌がメインです。ところが二部では、そのような現実の描写が背景に引いていって、代わりに、すごく強度のあるメタファーが前面に出てくる。〈シルレア紀の地層は杳(とほ)きそのかみを海の蠍(さそり)の我も棲みけむ〉という歌のように。その頃の彼は、おそらく自分の死を覚悟していたはずです。つまり、命を賭して最後に挑んだものが、短歌の真髄である象徴表現だった――このことには、同じ歌人として感動せざるを得ません。『白猫』の序文に「深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何処にも光はない」という非常に有名な一節があります。深くみんなの心を打つ言葉を紡いだ人だからこそ、たった一冊の歌集で歴史に名を刻めたのでしょうね。

鳥居 海人は短歌を通して、隔離されている自分たちハンセン病患者たちの生活や心情を、療養所の外に伝えようとしました。そらく彼は、自分たちの現状を知ってもらいたいという想いでいっぱいで、もうなりふり構っていられなかったのではないでしょうか。彼の残した歌や言葉からは、「伝えなければ」という強い意志と切実さを感じます。

穂村 そういう意味では、鳥居さんも過酷な幼少時代を歌にしているわけで、〈爪のないゆびを庇って耐える夜「私に眠りを、絵本の夢を」〉(『キリンの子 鳥居歌集』)など、海人と通ずるものがあります。

鳥居 光栄です。海人の歌は、遺書という感じもしますよね。戦時中に特攻隊の人たちが、それまで詠んだことのない歌を残そうとしたように。手紙とか形あるものだと消えてしまいそうだけど、歌なら、これから先もずっと残るのではないか――自分の意志を残したいと強く願う時、短歌は詠まれるのではないでしょうか。確かなものが欲しくなった時に、人は短歌にすがるのかもしれません。

『あの人と短歌』(穂村弘、NHK出版、2020年)より


短歌はくわしくないのですが、ふと思い出すということがあります。あるときは、高杉晋作の辞世の句〈おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり〉に発破を掛けてもらったとか。下の句は奥様が詠んだもの?なんていうエピソードも、夫婦の気配を想像する余地を残してくれます。

ここで初にお目にかかった明石海人さんの「自らが燃えなければ何処にも光はない」ということばも、わたしの心に/魂にはたらきかけてきて、そうだ、燃焼しよう!と掻き立ててくれるものがあります…(*'▽')

Make your feelings into a Japanese poem of thirty-one syllables ☆

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