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このままでいいのか、よくないのか

こんにちは(*'ω'*)

人の時間の過ごし方は、6種類あるそうです。ひきこもり/暇つぶし(ジグソーパズルなど)/儀礼(社交)/心理ゲーム(マウントをとるなど)/活動(仕事人間)/親密。いちばん価値をおきたいのは、家族・友人と過ごす「親密」な時間です。ほかの過ごし方は、それだけに偏りすぎないよう、バランスよくやっていきたいものです。


ここに、人一倍向上心にあふれた男がいる。彼は人生を、より良く生きたいと思っている。自己啓発本が好きで、心惹かれた箴言(しんげん)をメモするのが趣味だ。「退屈を知らない子はバカな大人になる」「寛容は教養でもなく美徳でもない、自分を幸せにする思考法だ」といった、どこから拾ってきたのか定かではない言葉が、手帳にびっしり並ぶ。毎年秋になると、もっと人生を上手にコントロールできる、優れたシステム手帳を求めて売り場を彷徨う。これまでいろんなタイプの手帳を渡り歩いてきた。彼は一年のはじめに、新年の抱負や目標を、手帳に粛々(しゅくしゅく)と書き込む。月に十冊以上本を読むこと、週二回ジムに通うこと、NHKのラジオ英会話を聴く、ワインに詳しくなる、一日一善。

彼が今年選んだ手帳は、時間軸が縦になった週間バーチカルタイプ。日付の入ったページと、横罫線のフリーページが交互に折り綴られている。彼は仕事帰りにきまってコーヒーショップに寄り、一日を振り返った。心を曇らせている理由を探ったり、こんがらがっている思考を整理しては、手帳に書き出す。それから、本やネットで見つけた素晴らしい言葉を、背中を丸めて小さな文字で手帳に書き写した。ざわざわしたコーヒーショップの店内で一人、横罫線のページを埋めていると、心がとても休まる。そのようにして書き写した言葉の中のひとつ――「ナースが聞いた、死ぬ前に語られる後悔TOP5」――を唱えることが、いまでは彼の、眠る前の密かな習慣になっていた。

彼はベッドのに仰向けになると、アルファベットのAのように両足をわずかに広げて、手のひらを天井に向け、目を閉じて、想像した。老いぼれて余命わずかな自分が、病院のベッドで横になり、人生を後悔しているところを。ベッドサイドテーブルの上には、白くて可憐な花が飾られ、写真立てには家族写真。廊下では、ピンク色の制服を着たナースが忙(せわ)しなく歩いている。彼の体は年老いて、ほとんど自由がきかない。すべての音が遠く、耳の奥に膜が張られたようだ。水の中に沈んでいるかのような、静けさと孤独。目を開けても、壊れてピントの合わなくなったカメラを覗いているみたいに、視界がぼやけている。鼻の穴にはかちかちの鼻くそが詰まって、息をするのも苦しい。口で息をするとのどが乾燥してヒリヒリするから、鼻から吸うしかない。呼吸をするたび、胸の筋肉が悲鳴を上げる。関節が炎症を起こして痛い。背中が床擦(とこず)れで大変なことになっている。やがて痛みも遠のき、どこまでが自分で、どこからが自分でないのか、よくわからなくなってくる。自分の命の火が消えかかっているのをひしひし感じながら、彼は心の中で、情感たっぷりに、こんな風にとなえた。

「ああ、もっと自分自身に忠実に、自分らしく生きればよかった。

あんなに一生懸命働かなくてもよかった、

もっと家族と過ごせばよかった。

世間の目を気にせず、自分を出す勇気を持てばよかった。

自分の気持を押し込めすぎた。

そう、私は、あんなに人生に怯えなくてもよかったのだ。

自分の手で、幸福を選んでもよかったのだ。

いつだって、幸福は、選べたのだ」

それから彼は目を瞑(つぶ)ったまま、何年も連絡をとっていない、友人の顔を思い浮かべた。いまも音楽をつづけている大学時代の仲間。高校性のころ、なぜか毎日一緒に帰っていた同級生。顔はよく思い出せないが、そいつは自転車で陸橋をくだるとき、きまって脚を気持ち良さそうに広げていた。人生でたった一度だけ、殴り合いのケンカをしたことのある、中学時代の天敵。小学生のころは、クラス全員が友達だった。死の床にある彼には、これまで少しでも関わったことのある人は全員、友達に思えた。同じ時代に生まれ、この広い地球の中で、偶然にも近くにいた人たちを、知り合いなんて冷たい言葉で表したくなかった。出会ったすべての人に、彼はもう一度会いたかった。眠りに落ちるその瞬間まで、これまで出会った人の顔を思い浮かべつづけた。おえかき教室の先生を。一学期の途中で産休に入った担任を。保健室の先生を。気が合わなかった幼なじみを。クラスにいた一卵性双生児の兄弟を。いじめられていたあの子を。転校していったあいつを。どうせまた会えると思いながら、二度と会えなかった大勢の人たちを。

『選んだ孤独はよい孤独』(山内マリコ、河出書房新社、2018年) 「眠るまえの、ひそかな習慣」より

ある朝、目が醒めたら突然、自分は父親になっている。家に赤ん坊がいるようになる。真夜中になるとぎゃーぎゃー泣きだしたりする。困ったなと思っていると次の瞬間、赤ん坊は立って歩くようになっている。天使としか言いようがない笑顔で、こちらに向かってよちよち歩いてくる。ある日、もう赤ん坊とは言えない大きさになっているのに気づく。すでに幼児だ。幼児は疲れない。いつ会ってもフル充電された状態で動き回っている。幼稚園の運動会でかけっこしている姿を目撃する。いつ見ても、よく寝ている。せっかくディズニーランドに連れて行ったのに、ベビーカーの中で眠りこけている姿も目にする。幼稚園でケガをしたという知らせを受けて、あわてて迎えに行く。血は出ていて何針か縫ったけど、大したケガではなかった。ある日突然、その幼稚園を卒園している。次の瞬間、小学校で九九を習ったと言って、暗唱している。学校が終わると、ピアノと水泳と習字を習いに行っている。月謝という言葉を最近よく聞く。ある年の八月の終わり、夏休みの宿題は終わったか訊くと、叱られると思ったのか、逃げられてしまう。ピアノの発表会の様子をスマホの動画で見る。次に見た動画では、ショパンの『子犬のワルツ』を弾いている。中学生になっている。気のせいかと思うが、髪の色が明るい気がする。染めているんだろうか。週末、めっきり家で見かけない。制服が高校のものに変わっている。街で男と一緒にいるところを生徒指導員に補導される。マクドナルドでバイトしている。いつの間にか受験して、受かっている。家からいなくなる。学費の振り込み用紙が定期的に届く。私立大学に行ったことを知る。毎月仕送りをする。四年経ったが卒業していない。した。就職して地元に帰ってくる。イベント会社で働いている。毎晩遅くに帰ってくる。男を紹介される。結婚式に出席し、うっかり泣いてしまう。なんだか家がさびしくなっている。ある日、孫が生まれている。家にときどき、孫がいるようになる。たまに泊まっていく。真夜中になるとぎゃーぎゃー泣きだしたりする。困ったなと思っていると次の瞬間、赤ん坊は立って歩くようになっている。天使としか言いようがない笑顔で、こちらに向かってよちよち歩いてくる。

『選んだ孤独はよい孤独』 「ファーザー」より


同じ短編集から2編、とりあげてみました。上は、世間に流布する価値観や自分以外の人間の期待に絡めとられている自分の現状を打破したいと思っているのでしょうか。それとも、打破する勇気が持てないことをただ憂いているだけか。真面目で一生懸命なのは伝わってきます。下は、おそらく仕事一筋で家庭のことはほとんど妻に任せてきた男の独白。傍観ぐあいと思考停止ぐあいがすごいです。さいご3~4行でデジャヴというか、まったく同じ文言が出てきたところでわたしは戦慄が走りました…( ゚Д゚)

日々のことに忙しくしていると、あっという間に一年や二年過ぎていて、甥&姪が見かけるたびに大きくなっているのに驚いたりします。むかし外から見えるところに飾っていた巨大松ぼっくりを欲しがった男の子が、声変わりして低い声で喋っているのを聞いて、腰を抜かしました。

「わたしの人生、これでいい(よかった)のかな?」は、シェークスピアの有名なフレーズ『To be, or not to be……that is the question.』に通じます。「このままでいいのか、よくないのか、それが問題だ」

はじめに、家族や友人との「親密」な時間が大切と書きました。でもそれに劣らず大切なのは「自分自身との親密な時間」なのかもしれません。自分自身に託されている可能性(他人から一目置かれようが、置かれまいが)を極限まで開花させること、自分以外の人間になろうとしないことが必要かもしれません。他人の期待や世間が押しつけてくる同調圧力は、この際、右から左へ聞き流してしまいましょう♪

Bloom the flower in your soul ☆

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