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依存症の正体をさぐる

こんにちは(*'▽')

サンドウィッチマンのお二人が病院に行ってラジオブースを作り、そこを訪れた患者さん・ご家族が自身のお話と曲のリクエストをする「病院ラジオ」の企画をTVで 観たことがあります。久里浜の依存症専門病院の回もありました。いろいろな不運・不幸が重なって、なにかに寄りかからなきゃ生きられないときもありますよね。周りの人間は、治療を妨げるようなことは控えるべきだなぁと思います。依存症患者さんには、人とのつながりが大事なようです。


依存症は人に依存できない病であり、人とのつながりを取り戻すことが必要だと書きました。このことを科学的に裏づける興味深い実験があります。1978年、カナダのサイモン・フレーザー大学でブルース・アレクサンダー博士らが行ったものです。

まず、オスのネズミ16匹、メスのネズミ16匹、合計32匹を用意します。そして、32匹をランダムに、オスとメスを混ぜた状態で二つのグループに分けます。

一つ目のグループの16匹は、ゆったりとした広場で過ごします。ウッドチップが敷きつめられた床は、ふかふか。仕切りはなく、16匹は一緒に遊んだり、じゃれたり、交尾したり、自由にコミュニケーションできます。走ってぐるぐる回転させる回し車もありますし、ネズミがすっぽり入れる空き箱や空き缶もところどころに置かれました。エサはいつでも好きなときに好きなだけ食べられます。まるでネズミの楽園です。こちらのグループを「楽園ネズミ」と呼びます。

二つ目のグループの16匹は、一匹ずつ別々のオリに入れられました。オリとオリの間には板があり、自分以外のネズミの姿は見えないようになっています。ほかのネズミとのコミュニケーションを遮断された状態で、狭いオリの中でじっとしているしかありません。エサは、決められた時間に決められた量だけ。ちょっとかわいそうですね。こちらのグループを「植民地ネズミ」と呼びます。

この二つのグループに、二種類の飲みものを与えます。一つは普通の水です。もう一つは、モルヒネという依存性の高い麻薬を入れた水。そのままだと苦いので、砂糖を加えてネズミにとって飲みやすいものにしてあります。どちらのグループのネズミも二種類の飲みものをいつでも好きなだけ飲めるようにしておいて、57日間観察しました。

57日後、二つのグループには大きな違いが見られました。植民地ネズミのほうは、16匹全部が普通の水よりモルヒネ入りの水のほうを多く飲みました。その量は日を追うごとにどんどん増え、ネズミたちはモルヒネの影響で来る日も来る日もふらふらと酔っ払っていました。

一方、楽園ネズミのほうはどうだったでしょう。どのネズミも、最初は普通の水とモルヒネ入りの水の両方を試しました。しかし、16匹中15匹がモルヒネ入りの水を飲むことをやめ、普通の水だけを飲むようになりました。1匹だけはモルヒネ入りの水をちょこちょこ飲みましたが、それでも、植民地ネズミの20分の1の量でした。

みなさんは、この結果をどう受け止めますか?

この実験からわかるのは「どんな状況だと、依存症になりやすいか」ということです。自分のペースで食べることも自由に動き回ることも叶わず、ほかのネズミとのつながりを断たれた植民地ネズミは、モルヒネ入りの水を飲みつづけて依存症になってしまいました。つらい環境をやりすごすには、酔っ払わずにはいられなかったのでしょう。他方、楽園ネズミの行動は明らかに違っていました。一度はモルヒネ入りの水を試してその快感を経験したにもかかわらず、普通の水を好みました。おそらく、麻薬による快感よりも、自由に動き回ることや仲間とコミュニケーションをとることのほうが楽しかったのだと思います。

ここから、依存症になりやすい人は、今が息苦しくて、さびしくて、孤立している人だということが見えてきます。

(中略)

楽園ネズミと植民地ネズミの話には、つづきがあります。57日間の観察を終えたあと、オリの中でモルヒネ入りの水を飲みつづけ、すっかり依存症になった植民地ネズミのうちの1匹を、楽園のほうに移したのです。

移された植民地ネズミは、新しい環境と見知らぬネズミたちを前に、最初は所在なさげにしていました。ほかの16匹からは離れたところで一人さびしくモルヒネ入りの水を飲みつづけ、相変わらず酔っ払っています。しかし、そのうち、楽園ネズミの中でも好奇心の強い1匹が近づいてきて、ちょっかいを出します。ツンツン突ついたり、試しに一緒に遊んでみたり。やがてほかのネズミも近づいてきて、コミュニケーションをとるようになります。こうしてだんだん馴染んでいき、仲よくなり、いつしか楽園の一員になりました。そのとき、元・植民地ネズミに変化が起きました。あれだけ飲まずにはいられなかったモルヒネ入りの水を避け、普通の水を飲むようになったのです。急に麻薬をやめれば、離脱症状(リバウンドのような症状)が出ます。ピクピク痙攣して、つらそうです。それでもモルヒネ入りの水を飲むことをがまんします。数日間つづいた離脱症状に耐えたネズミは、その後はすっかり元気になり、仲間と楽しく過ごしながら普通の水を飲みつづけました。

依存症になった植民地ネズミは、脳をハイジャックされ、モルヒネ入りの水なしでは耐えられなくなっていたはずです。それなのに、ほかのネズミとの間にコミュニケーションが生まれ、仲間になれたとき、自らそれを手放しました。これは一体どういうことでしょう?

僕は、こう考えます。依存症になった人の回復にとって大事なことは、その人を一人ぼっちにしないことである、と。差別したり排除したりするのではなく、みんなで手を差し伸べて、関わりつづけ、孤立させない。どんなに強力な薬物であろうとも、どんなにハマった行為であろうとも、それは人とのつながりをしのぐものではないのです。

【 ちょっと、Tea Break ♬ 】

「依存」の反対は「自立」だという人がいます。依存症になる人は、自立できていないということでしょうか。でも、自立という言葉は、ときに「人の助けを借りずにやっていくこと」と解釈され、少々厄介です。そもそも自立って、何でしょう?

今、みなさんが何か問題を抱えていたとします。インターネットで検索しても、本や雑誌を読みあさっても、どうしても解決できません。それでも一人でどうにかするのが自立でしょうか? 僕は、それは単なる意地っ張りだと思います。一人でどうにかできないときは、人に頼ればいいのです。知っていそうな人に聞いたり、知る方法を思いつきそうな人に尋ねたり、一緒に考えてくれそうな人に相談したり。異なる情報がいくつも出てきて迷ったら、さらに相談すればいい。そうやって人にいっぱい頼ったうえで解決策を導き出せることが、本当の自立だと思います。

「一人で考える方がいい」という人もいるでしょう。一人で考えること自体は大賛成です。僕はここまで、依存症の背景として「孤立」という言葉を使ってきました。困ったときに頼れる人がいないのなら、それは孤立している状態です。でも、ときには人に頼るけど、ときには一人で考えたいというのなら、それは「孤独」です。孤独は、悪くないものです。それどころか、僕たちに欠かせないものです。自分を取り巻く人間関係から少し離れ、一人の時間を持ち、思索する。そして再び関係の中へ戻っていく。そうやって人とのつながりと孤独とを行き来しながら生きていくことは、知性であり教養だと思います。

さきほどの楽園ネズミの暮らす場所に「ネズミがすっぽり入れる空き箱や空き缶」が置かれていたのを覚えているでしょうか。実験の報告では触れられていないのですが、僕は、この箱や缶にも意味があったと考えています。ネズミたちは、好きなときに好きなだけコミュニケーションして、それに疲れると、しばらく箱や缶の中に引きこもっていたのではないでしょうか。それに飽きたら、また外へ出て仲間と過ごす。孤独になる自由は、僕たちにとってなくてはならないものであるような気がします。

さて、自立のことに話を戻しましょう。

人に頼るためには、まず頼れる人を持つことです。それにしても、不思議だと思いませんか? 人を傷つけるのも人なら、人を癒すのもまた人だということです。自分を傷つける人を100%回避して生きていくことは難しい。だから、人とのつながりを普段から持っておくことが重要です。傷つけられたとき、一番近くにあるのが薬物やゲームなのか、それとも話を聞いてくれる人なのか。このことが、依存症になるかならないかの分岐点となります。頼れる人は複数いたほうがいい。ものすごく頼りになる人だとしても、一人の人にしがみつくのは危険です。その人が倒れたり、その人に放り出されたりしたとき、たちまち孤立してしまいますから。親、親戚、先生、スクールカウンセラー、先輩、同じ学校の友達、違う学校の友達、趣味でつながった友達など、できるだけ範囲を広げておくのがいいと思います。ただ、安心して頼れる人と、そうでない人がいます。どんなときも変わらぬ態度で、対等な立場で話を聞いてくれる人ならおそらく大丈夫。わからないときはじりじりと近づいて、違うと思ったらすぐ引き返す。行けると思ったらもう一歩近づく。こんなふうに階段を踏んで、見極めたいところです。

松本俊彦

『世界一やさしい依存症入門 やめられないのは誰かのせい?』(河出書房新社、2021年)より


「楽園」という言葉が出てきて、それが快適な住空間で仲間とのコミュニケーションも自由にできて…という状況&それがもたらす心のあり方のことを指すのが興味深いです。楽園は、つくりだせるものなのかも。逆に、ここでは「植民地」とありますが、「地獄」も状況次第なのかもしれません。とくにそこから抜け出せないがために、成功しているように見える人間への烈しい嫉妬や殺意、菩薩から派遣された蜘蛛の糸を自分から断ち切るような振る舞い、人を人とも思わない(他人に対して/自分に対して)ような思考回路に頭の中が占領されてしまっていると、この世の地獄かも。かく言う私は、この世の地獄経験者…(・ω・;)

治療や人とのつながりが必要な人に、必要なものが行き渡りますように。

Healthy and constructive dependence is necessary for everyone ☆

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