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27クラブ

マッチングアプリで知り合った女性とランチをした。

去年の年末、地元の友だちが婚約し子どもも生まれるという報告を聞いて、このままではいけないと思い、僕はこのサービスに登録した。ちょうどコロナ禍直前の春に、僕が彼女に振られたのと入れ替わるように出会ったふたりは、この二年の間に愛を育み、家族になったのである。二回目のデートを終えてこれから付き合おうかというタイミングの彼らと僕の三人で飲んだこともあった。あの頃はまだ会話も探り探りでぎこちなかったなあなんてことを思い出すと、なんだか感慨深い。しかし一方で、彼らの二年と僕の二年の時間の重みの違いを思い、憂鬱な気分にもなった。思ったよりも長く、終わりの見えないこのコロナ禍を、僕は一生懸命生きてきただろうか?

きょう一緒にランチをしたその女性とは、三ヶ月ぐらいメッセージでやり取りをしていた。一日一回のラリーを繰り返すその過程で、なんとなく気が合う気はしたけど、このご時世もあって見知らぬ誰かと外食をする気持ちにもなれず、半年パックで買っちゃったから気長に様子を見ようとずるずる結論を引き伸ばしていた。でも、この文通生活を6月まで続けたところで得られるものはおそらくなにもない。意を決して、一度お会いしてみたいですと声をかけた。彼女は二つ返事で了承してくれた。

僕が彼女に声をかけたキッカケは、マッチングアプリのやり取りそのものだけではない。空気階段の単独ライブ「anna」のDVDを見たことが僕の背中を押した。「anna」は、7つのネタがそれぞれ作品として独立しているが、音楽のアルバムのように、最後まで鑑賞するとひとつの図太い幹が浮かび上がってくる。思い通りにならない人生を、なんとか操縦しようとする人間のもがきを、そのままに愛する眼差し。表題作「anna」はラジオを通して生まれた「恋」が、やがて「愛」に育っていくまでをじっくり描いた傑作だが、僕に特に刺さったのは「27歳」というネタだ。若くして成功しながらも思うように曲が書けなくなったミュージシャンが、27歳を前にして人生に絶望するお話である。

なぜ彼は27歳を節目と考えるのか。それは、音楽界には、歴史に名を残す天才アーティストたちが揃って27歳で亡くなっているという謎めいたジンクスがあるからだ。カート・コバーン、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、エイミー・ワインハウス…。洋楽に詳しくない僕でも一度は名前を聞いたことがある天才たちである。ロック界の偉人と自分を比べても詮無いことだが、彼らの人生の密度の濃さには驚いてしまう。翻ってことし27歳を迎える僕はどうだろう。まわりの友人や結婚したり、子どもを生み育て始めたりしている。僕の父親ですら28歳のときには結婚していた。もはや「何者かになれない苦しみ」なんて抱えていなけれど、焦りを感じないといえばウソになる。

そんなことを思いながら、僕はそのマッチングアプリの女性に「二年前の春の緊急事態宣言の期間が僕にとってはいちばん居心地が良かった。みんなの人生があの瞬間は等しく止まっていたから。」と言った。彼女は「そうですね。」と笑ってくれた。初対面の相手にいきなりこんな暗い気持ちを吐き出すのが正解だったかどうかはともかく、ひさびさにワクワクする時間を過ごすことができた。まだ一回目だから次もうまくいくかはわからないけれど、会話の波長もすごく合ったし、こんど花見をしに行く約束もした。帰りの電車でスマホを開いたら、ちょうど桜の開花が発表されていた。良いタイミングだ。例年より少し早いらしい。このまま穏やかな春が来ればいいと思った。

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