挑戦者を讃える文化を

2015年の9月1日で会津大学初めてのベンチャー企業である自分の会社Eyes, JAPANを始めて20年になった。会津大学初代学長の國井先生の「会津にシリコンバレーをつくる」といった理念のもとに、1995年に会津大学のとても優秀な学生たちと右も左もわからずに会社を設立した。
起業したての頃は一日20時間働いても半年で6万円しか手元に残らなかった。もちろんお金が無いので親の家に居候し父の事務所を勝手に間借りしていた。結局、まともに人並みの給料をもらうのに5年以上かかった。
ただ1990年代初期のインターネット創世記の時代に幸運にも立ち会えた人々は時代の寵児であったマークアンドリューセンだけではなく、自分の好きな誰もやっていないことをやれる喜びと自分たちこそが未来を創っているという使命感で突き動かされていたとても幸せな時代だった。
その後しばらくしてITバブルがあったが、結果的に東京ではなく会津という地方都市にいたおかげでバブルの恩恵にもあずからなかったが、そういう狂騒に巻き込まれることも無かった。そしてブロードバンドの普及がITをコモディティして、ITだけでは競争優位性は無くなる時代になった。起業する前は起業することが一番の困難と思っていたが、続けることの方がもっと難しいということに気づいた瞬間でもあった。
今では起業するのもすごく簡単ににできる時代で、学生の間だけプチ起業したり会社を売却するという選択肢を取る若い起業家も多いけど、自分にとっての会社は自分の好きな「テクノロジーのエッジ」を追い続けてきた自分の人生そのものであるので、自分の人生をあきらめたり他人に売ることは絶対にできない。
では、自分の人生を賭けて追い続けている「テクノロジーのエッジ」ってなんだろう?「テクノロジーのエッジ」とは、今はとてもカッコ悪くて一見ITなんか全く必要とされなく、誰もその可能性に気づいていないけどこれから世界を一変させるような力を持ったものである。そういったノビシロの大きい未踏の大地を踏みしめる喜びを追い続けている。もちろんパイオニアとして誰もやっていないことをするにはマニュアルもないし、自分で調べながら学ぶしかない。ノウハウが溜まるまでには膨大な時間もかかるけど、先行者利益も大きいしなにより自分が未来を創っているという楽しみがある。
日本そして地方は多様性に乏しく、失敗者にとても厳しく、なにかと出る釘は打たれると言われている。新しいイノベーションは様々な挑戦からしか生まれないが、挑戦にはもちろんリスクが伴う。例えば新しい挑戦で100のうち50のいいことと50の悪いことが生まれ、もしそれが加点法ではなく減点法で評価されたらどうだろうか?もちろん何もしないのが最高の戦略となるがこれからの時代を考える上で、足を引っ張ったりせず小さい失敗を恐れずにもっと受け入れる必要があるのではないだろか? “Failure is not loser(失敗は人生の落伍者ではない)”というが、そういった大きなリスクを背負って頑張る挑戦者をもっともっと讃える文化が日本には必要ではないだろうか?

*2015年の福島民報の民報サロンに掲載された記事です。

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