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ブッダ暗殺未遂事件簿

「金剛経」は、ブッダことお釈迦様が主人公となって一席ぶちまくるストーリー展開で、一般の人がお経に対して抱いている構成と、近いといえば近い。(「ご高説承りモード」であるという意味で)

ところが「維摩経」となると、これは出家もしていないオッサンが主人公である。

しかも、そのオッサンは老人で金持ちで企業経営者で、家族もちで物知りで弁舌巧みであり、神をもしのぐ超能力を駆使しつつも、「病気」なのだという。

さらに「無門関」に至っては、「仏を殺せ!」と連呼してやまない乱暴者たちのエピソード集である・・・

3つ並べて見ただけでも、いわゆる歴史上の「ゴータマ・ブッダ」を拝み倒すのが「仏教」ではないのだということがわかる。

そういえば、魂と肉体のストリートファイターであった臨済禅師が言っていたっけ。

「仏を殺せ!」をスローガンにしているのは、なにもワシらのようなファイター系の禅坊主たちだけではない。

あの文殊菩薩でさえ、ゴータマ・ブッダに対して、「こいつは生かしておくとタメにならん!!」とばかりに剣を向けたことがあるのだぞ!」

なるほど、「仏」は殺すべきだ。

今、しみじみそう思う。

智慧の化身である文殊に殺意を抱かせたもの、それは恐らく「教義の硬直化」であったのだろう。(「もんじゅ」には「柔らかな」という意味がある)

文殊菩薩が剣を持った姿で描かれているのは、「ドグマを直ちに斬り捨てる」、という役割を表していたのだなぁ。

たとえそれが、ブッダであったとしても手加減しないというわけだ。

逆にゴータマ・ブッダは、そんなアブナイやつが武器を振りかぶって背後に立っているという緊張感と、常に戦っていたということになる。

「金剛経」において、「私の「教え」など捨てちまえ! というか、私は何も教えてないし」などとワケのわからんことを何度も繰り返して力説しているのも、そう考えると腑に落ちる。

文殊菩薩によるブッダ暗殺未遂事件は、「大宝積経」に収録されているエピソードであるらしく、既に漢訳原典は入手したのだが、まだ読んでいない。

殺気に満ちて剣を構える文殊菩薩から、どのように言いくるめて逃れたのか、実に興味深いところである。

2009年07月25日記す。

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