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ぼくのシクロクロス

何故か記述した分類がシクロクロスに分類されたので、ホントにシクロクロスについて書こうと思う。
僕が初めてシクロクロスに触れたのはロードバイク購入後に店でクロスのアルミフレームがあり、それにホレこんでしまったことに発する。

サルサのチロコンクロッソ、スカンジウム混じってる軽量アルミフレームだ。
丁度その頃MTBのJシリーズのエリートでエシケンがサルサ乗ってて、そのブランドのクロスフレームがショップに飾ってあってたちまち購入、ロードバイク乗って半年なのにコンポの移植と相成った。
ダンタク、エシケン、(山)コーヘー、な世代。
自転車の入りはMTBだった。

タイのチェンライで行われるMTBレースにもクロスで参加

シクロクロスの虜になってからは安く譲って貰ったルックに必要最低限のコンバートって出で立ちでロードは今日まで来ている。
俗に言う「ロード何それ旨い?」な部類だ(笑)。
別に嫌いなことはない、春になればプロツールとかも見るから・・・。
エスキーナでの肉ルーベとか印象深い、パリ〜ルーベを見ながら肉を食らう(笑)、あの時は若かった。
ルックKG461、まだまだ現役です(何年前のやwww)。
ジェイミス・ダカール
ジェイミス・ベンチュラ
サルササイクルズ・チリコンクロッソ
ルック・KG461
サルササイクルズ・モトラピッド
サルササイクルズ・チリコンクロッソ(クリフバー)
オールシティー・ネイチャーボーイ
キャノンデール・29のSS(正式名称知らないw)

サルサにぞっこん、この頃はそういう状態。
新しくしたMTBも初めてのジェイミス・ダカールのオールマウンテンから、サルサのモトラピッドに乗り換え。

乗り換えたのがクロカンバイクだったから、ヘッドアングルの差に山の下りで悩まされたり。
初心者にはオールマウンテンとかヘッドが寝てるのがジャックナイフとかしずらいしいいのかもしれない、クロカンバイクに乗り換えると苦労するけど。
その悩まされたのが理由となって結構万能なクロスにハマっていった要因なのかもしれない。
どこに行くのもシクロクロスバイクになってきた。
丁度この頃はパナレーサーのバスタークロスって言うほぼオールマイティな35Cのタイヤがクロス初心者な僕にはドンピシャだった。
それから色々と波及していったけどほとんどクロスにはまってからはパナばっかりになっていったかも。

見事にパナのクリンチャー。


色んなアテンドあったツーリングイベントもシクロクロス。
時にはグラベルキングをロードに履き、ちょっとダート混じりのツーリングにいくこともあった。


それからしばらく経ったある日、同じモデルのチームレプリカを買ってしまう。
最初のがサイズ47か?,後のが51だったかな?、とにかくスカンジウムフレーム長者となり、ロード以外サルサの変態になった。
シクロクロスではタイトなコースは小さい方、平坦コースは大きい方。
何でしょね?、スカンジウムフレームと言うのが自分の所有欲をみたしてくれた。
チタンフレームに魅了される人と同じ様なものかもしれない。
後に同じチリコンクロッソでもスカンジウムフレームではなくなったみたいで、チリコンクロッソへの興味が薄れてしまったのは事実。

モトラピッド。
王滝42km、チームレプリカの方。

結局あの頃から色んなイベントにはシクロクロスバイクでってなっていった気がする、それは元々マウンテンバイクのイベントが事の発端で、みんなの好奇な目があったからだろう。

今なら王滝も普通にグラベルバイクのクラスがあるのだから、って言うかカンチブレーキで雨の王滝とかもう絶対ヤダ。
雨の王滝は良い思い出がない、MTBで出た時もダカールで出たから重い重い!。
シクロクロスで出た初めての時かな?、これも雨で、ブレーキは効かない、パンクは立て続けに起こる。
それにフルリジッドだから身体に優しくない(笑)。
ダブルトラックで雨とかを流すフラップが見えないくらい降ってた時に
マシュンに目撃とかは、今では良い思い出である(良い思い出なかったのでは?)。

だけどこんなのもあり大抵のイベントはシクロクロスバイクでの参加ばかりになっていった。。
いつしか周りからもそれが普通になり、たまにロードやMTBで行くと「持ってたんだ!」とか言われる始末である(笑)。



正月、走り初めにも雪山で。

もうこれから年中シクロクロスである。
グリーンシーズン、みんなはロード、MTB,僕はシクロクロス。
流石にビワイチはロードだったな(笑)。
年に数回乗るな。

自宅から嵐山にポタリングに行くのもシクロクロスバイクを使う。
多分その方がタイヤのエアボリュームがあって尚且つフレーム自体も「しなる」から自然とそうなったのではないかな?。


関西シクロクロスが大きな転機になったのは言うまでもない、ここでの人との繋がりは僕にとっての財産である。
どれだけ多くの繋がりができたことか。

KNSの番号も2000番台が今でも誇らしい、友人の中には1桁とか2桁はザラだ(笑)。
何しろ確かに大の大人(無論子供達も)が泥だらけで戯れるのである、こんなにも素晴らしいイベントがあるだろうか?。
北神戸とか丹波とか懐かしい。
段々と僕も場数をふんでいき、ルーツなど様々な事を学んだ。
そして様々な地へ遠征するようになっていった。

サマークロスとか初期のころかな?、初の関東遠征とか。

何より忘れていけないのが、大事な年間行事として、野辺山シクロクロスがある。
第1回は見学、参加は2回目からである。
あのロケーションは僕の心を鷲掴みにした。
シクロクロスバイクを買ってからは自然と関西シクロクロスに出る。
そういった流れになり、遅いながらも何だか好きになっていった。関西シクロクロスでいろんなことを学びその延長線上に野辺山シクロクロスがあった。
宮島とか宇都宮も旨かったな〜。

無茶苦茶楽しかった。
だから、色んな地への遠征が楽しくなったのだろう。

それまで遠征はショップのマウンテン班のJシリーズで遠征がほぼであった。
そのグループではニセコ行ったり田沢湖行ったり、出てはないけどツールド沖縄行ったり、八幡浜もそうか雫石とか。
富士見なんか何回行ったか、なかなか旅行気分で楽しい。


始めて1人で見学に行ったのが野辺山で翌年それを話してみんなでいったんじゃないかな?。


そうしていくうちにクラスでシングルスピードができるようになる。

そうなると今度はシングルスピード専用バイクが欲しくなってくる。
まだこの当時はシングルスピードは好奇なバイクの部類に入るのか、日本の市場需要もそんなに有りそうになかった。

そこで調べるとモトクロスインターナショナルが取り扱い始めたブランドに丁度理想のバイクがあった。
オールシティーのネイチャーボーイである。
サーリーにはなびかなかったな。

かなりお気に入りになった。

ショップで組んでもらう時「オッ」(重)て言われたっけ(笑)。
このネイチャーボーイは自分には素敵な仕様だった。
偏芯のエキセントリックBB、トラックエンド、鉄フレーム。
発注して組む前からサドル、ハンドル、カンチブレーキと妄想がとまらなかった、そしてその類を次々に交換していった。

もうこうなったら色んなイベントにも引っ張りだこである。
そしてシングルスピードの事を調べていく。
何やらハッピーな人々が楽しんでる、そういった印象、最初はSSJのAKBチックな前半分にズラ、それが始まりだった。

SSJ2だったかな?。


富士見Cコース

結構なこともしたもんだ(笑)。
流石にギアを色々と替えても、FIXedには替えれなかった、固定は怖い(笑)。
今思えば悪路固定はありだけど。
自分のスキルがついていくかである。


ポタリングもシングルスピード。

いつくらいからだろうシクロクロスの遠征となれば両親連れていって家族旅行になってきたの。

伊達政宗。

SUGOの時くらいかな?、先ず道中が雪道ってのと距離があるんで、帰りは福島寄ったりで・・・。
それが楽だったから日光も東照宮見てから宇都宮入りとか、
広島はグランピー行ってから宮島とか。
面白そうな所に良くいるって言われるわけだ。

結構行く先々で両親を連れて行ってる(笑)、その最たるものが野辺山である。

八ヶ岳が素晴らしいロケーションで両親も感激。

大抵、野辺山シクロクロス名物”泥T”目当てで販売までには到着する。
僕はシングルスピード出場その後は飲んだくれ(笑)、僕が走り終わると両親は富士山観に少しドライブ。
翌2日目は僕は最近は観戦ってな感じで充実してた。

大概2日目はこんな感じのダメっぷり。

当然シングルスピードではサンタに扮する、オヤツをもって走り子供たちに配る、寒い中、親の都合で駆り出され(笑)たのだからご褒美のつもりで。
幼心にも会場に来てよかったって思ってもらえたらと。
自分のレースは二の次、最初は野辺山でもC3とか走ってたけど、マスターに移行してからはシングルだけ、次の日は楽しんだ。

今では配った子供たちは立派になり、おやじ狩りと呼ばれるとんでもない選手になったりしてる。
どれだけサンタで走ったかな?、毎年その時期になったら衣装の準備に明け暮れた。
当然オヤツも抜かりなし、最初は手に袋だったけど、これは危ないからダメ。
翌年以降は腰にポケットを縫い付けお菓子をダイブ、当然駄菓子的な小さいお菓子になるんだけど、それくらいが丁度いい。
結構続いたよな〜、走る前もアップはお菓子の確認(笑)。

走ってからは髭が呼吸の邪魔で苦しかったっけ、でも喜んでもらえてこちらも嬉しかった。
ある大会では僕の後にお同じようにお菓子を配って走る親子も現れた。

やっぱりこれはやめられない。

2019年6月3日、脳出血によりこの僕のライフワークに近い、野辺山シクロクロスでのサンタクロースは終わった。

毎年カウベルもコレクションしてたけど・・・。

それからはCOVID-19が流行り、野辺山シクロクロスが中止になったり、復活してもなんとなくお祭り騒ぎがなくなってきた気がする・・・、無論他のクラスは賑やかだけど。

可能なれば再び野辺山の滝沢牧場で再び走りたいものである。

こんな感じで端折ったりしてるけど僕のシクロクロスに関わること、
また、グランピー、サークルズ、アバーブ、ブルーラグなんかのこともかきたいな。
最近は愛知牧場とかもあるから、観光牧場はイイネ!。

グリーンシーズンの滝沢牧場。


晴れた王滝はよかった。

シクロクロスを語る上で名古屋の自転車屋さんの”サークルズ”を知ったのはどこでだろ、”UNIT”かな、たまたま貼ってあったフライヤーにハンドメイドのフレームビルダが来て実演ショーをする。後にこの自転車を深く知ることになる、”リック・ハンター”。

実演

こんなの見せられたら心がグッときますね、そんな時にフリースタイルシクロクロスってのをサークルズが行って、それが僕にはとても気持ちが良かった。
そんなこのショップに惚れ込んでいったてのチリコンクロッソのフルオーバーホールお任せ。
今回は全塗も含めて、操作系もレトロシフト(ギブネール)に。

その時のショップジャージと同じカラーリングにしてもらい、正にリフレッシュ、この上ない最高の世界に1台のシクロクロスになった。
それほどシクロクロスが好きだ。

22-23シーズン、関西シクロクロス。
19-20シーズン、カンクロ有志、応援ありがとう!。
これがあったから今まで頑張ってこれた。

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