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フシギバナだけで四天王を倒し続けてた。

あまり裕福な家庭ではなかったので、兄のゲーム機を譲り受けることが多かった。当然新しいカセットを買えるわけもなく、同じゲームの同じステージを何百回と繰り返してたのをよく覚えてます。

続けているとキャラも自分もレベルがあがっていくもので、ポケモンのグリーン版なんてなにも考えなくても四天王をクリアできちゃうくらいには仕上がってました。

6歳の僕は思いました。


つまらん。


バトルに勝つことがある程度の欲求を満たしてくれても、思い通りになりすぎて刺激が足りない。一般的な家庭の子供なら新しくソフトを親におねだりするところですが、そんなお金が我が家にないことを知っていたので、その「世界」をいかに刺激的なものにしていくかを考えはじめます。

思いついたのは「縛り」。使えるポケモンのタイプや数を絞ったり、使える技を固定したり。果ては、フシギバナ1体、回復薬なし、技は"ソーラービーム"と"きりさく"だけ使用可能というルールで四天王とのポケモンバトルを無理矢理楽しんでいました。(これに飽きるといよいよ遊ばなくなる)

ストイックといえばストイックですが、限られた環境を最大限楽しむための消極的な工夫に過ぎません。思えばこうした幼少期を過ごしたからこそ、いまの僕も好んで縛りのある暮らしを選んでいるのかも。

・肉を食べない(乳と卵も避ける)
・洋菓子を買わない
・靴はアシックスかオニツカのみ
・新品の服は買わない
・ストローと箸、エコバッグを携帯する
・基本自炊
・本と映画は出会ったら読む/観る
・嗜好品は哲学に共感&つくり手の顔が見えるものだけ
(ルーティーンやこだわりはもっと多いけど割愛)

これらの縛りにいろんな理由はあるけれど、一定以上自分が幸福な状態にいると感じるから、その幸福を"誰か"に「還元」するために「縛り」を設けているんだと思います。縛りと還元は僕のなかでは不思議とバランスが取れていて、自分のために時間とお金を使ってメンタルを消費することの回避にもなってたりします。

そんな僕の最大の縛りは、ねこ。

上記の縛りやルーティンもすべてこの縛りの中に包含されていて、(ねこを助けることだけが仕事になったいまは特に)縛りやルーティンによって日々の余計な迷いを断つことが、高次な縛りである「ねこ」への還元にもなっています。

なにかにつけ「ねこのためになるか?」「ねこの仕事にいきる行動か?」という自問自答を繰り返していますが、いまとなってはそれが通常運転となっているので次のステップを模索中です。(いちいち意味を求めすぎる悪い癖のことはここでは無視しておく)

「縛りと還元のバランスは取れている」と書きましたが、ねこという縛りにおける還元ももちろん存在します。言語化するならば、「ねこの幸せそうな表情を見ることで湧き上がる僕の幸福感」といったところでしょうか。結局僕は僕のために生きていて、その手段として好きな人たちや地球環境、大好きなねこを支援(ねこ以外に対しては"助けてる"なんて烏滸がましいことは言えない...)してるだけなのかもしれませんね。

いつもありがとうございます。

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