見出し画像

拝啓 猫。形而下から君を想ふ。

僕は、猫を猫と呼ぶ。名前を知っていればそう呼ぶが、そうでない場合は「猫〜」と呼びかけてしまう。

ひとりの生物として敬意を持っているのと、「ねこちゃん」「にゃんこ」がどうにもくすぐったい。それと、「わんちゃん」「わんこ」と一緒に使われるの"MECEじゃなさ"がどうにもモヤついてしまう。そんな、面倒くさい性格です。

猫という生物を遍く敬っているつもりだけど、なかでも贔屓にしていまう猫がいる。実家で暮らす『ホロ』です。今年で10歳。そろそろ、一生の折り返しといったところだろうか。

ねずみ取りからやってきた。

ホロがやってきたのは、2011年の秋。ある日、家の前の食品工場の社長さんが「猫、要る?」、と我が家を訪れた。近所では有名な"猫一家"である黛家には、猫の情報が自然と集まってくる。どうやら、生後1ヶ月ほどの猫が工場のねずみ取りに引っかかっていたらしい。
先代の猫を亡くして間もなかったので父は拒んだが、「黛さんが無理なら保健所かな」という社長の言葉を長男(僕は4人の姉弟の末っ子)が聞きつけ、両親に無断で連れて帰ってきた。

だいぶ大きいけど、写真がこれしかなかった。

来るとなれば、拒む人は我が家にはいない。"はじめから居ました"とでも言うように、ふつーに家族になった。(当時暮らしていた金魚にだけは、不憫な思いをさせちゃったかな。その割には、長生きしたよね。ありがとう。)

猫はいいぞ。

猫に機能価値を求めなくていい時代になったが、家族関係の潤滑油のような効果は、たしかにある。

我が家は両親と4人姉弟の6人。そこに猫や犬や金魚などといった動物が常に加わって家族をつくっている。割と仲良し家族だが、一緒に出かけたりはしないし、年末年始に集まることもない。各々がそれぞれのタイミングで実家に帰り、親と猫に挨拶して帰る。そんな文化です。

ホロが一時期ハマっていた謎の遊び

ただ、新しい猫が来た時は別だ。みんな足早に実家へ集合し、愛でる。ホロが来た時もそうだった。

姉はすでに実家を出ていたが、やはりすぐ戻ってきた。離れていた家族を引き寄せ、その間を悠々と渡り歩き、緩やかに繋ぎ直す。普段なにを話せばいいかわからない家族同士に、「猫の話題ならセーフ」という共通理解をくれる。黛家にとって猫は、そんなマージナルマンのような存在です。

愛のゆくえ、

ほどなくして、また新しい猫がやってきた。『ちん太』だ。「オスだから」という明快な由来で名付けたのは、母。これまで黛家で暮らしてきた猫たちはみんな、メスだったらしい。

ホロ、女の顔してる

当時1,2歳だったホロは、歳の近いちん太に溺れた。ちん太もまんざらではないようで、お互いに毛繕いしたり寄り添って寝たりを毎日のように繰り返した。

そんな折、また新しい猫がやってきた。

突如勃発した三角関係

新猫『きぃ』。メス。彼女もまた、ちん太と親しくなっていった。(ちん太、おい)

これにより三角関係が勃発。きぃはホロの恋敵(?)に。女同士の戦いがはじまった。

かと思ったが、ホロがきぃを完全に避けている。もちろん近寄れば攻撃するが、きぃを嫌煙してるようにみえた。そしてきぃと一緒にいるちん太とも、次第に距離ができていった。

あくまで推測ですが、疾患のあるきぃの「臭い」を嗅ぎ取って避けていたのかもしれない。そう思わせるほど、きぃは急激に痩せ細り、間も無くして亡くなった。

きぃとちん太のお昼寝

きぃ亡きあとも、ホロとちん太の溝が埋まることはなかった。あれだけ仲良しだったのにひとりひとりで過ごすようになり、新しい猫が来てはホロが孤立していった。

唯一の全猫(当時)集合写真

それでも、ただ自分を生きてる。

孤立を深め、段々と1:3の勢力図になってきたから、家のひと部屋をホロ専用にすることにした。(その時にはすでに僕が実家を出ていたので、僕の部屋が採用された)

西洋の裸婦画を彷彿とさせるプロポーション

他猫からのストレスがなくなったからか、いい顔をするようになりました。気難しい性格は変わらずですが、甘えることも覚えた。

布団に入ってきたり、横になってる胸のうえでゴロゴロしたり。減ってしまった人と触れ合う時間を取り戻すように、前のめりに甘えてくる。期せずして、「ホロと添い寝する」という僕のささやかな夢が叶ったのもこの頃だ。

これは僕にしか撮れない写真

それでもスマホとカメラは嫌いなようで、この顔である。一瞬前まで撫でられてゴロゴロいっていても、突如として怒りだす。

ほんとはホロならこんな顔すら愛おしいんだけど、怒るのはホロにとっても負担だと思うから「怒ってほしくないな」と考えるようになった。

そこで思った。

僕からすれば「突然怒った」ように感じるかもしれないが、ホロからすれば怒る理由があるわけで、それが突然だろうと関係ない。良い悪いではなく、怒る理由は接してる僕にあるはずだ。なら僕にできるのは、彼女の気持ちを想像して接することだけ。愛を持って。

受け入れる。できることで愛を伝える。

とどのつまり、彼女の気持ちは僕にはわからない。

僕(人間)は僕の価値基準を捨てられないし、彼女(猫)が見ている世界を感じることはできないから。

でも、想像することはできる。失敗と対話を繰り返しながら、想像を膨らませることもできる。

だから、想像した彼女の気持ちがより良い方向に向かうために行動すればいい。できることでしか愛を伝えられないんだから。

「外出を邪魔する」ように見えるホロ

そこまでしたって、彼女にとって最高の家族になれるかはわからない。だからせめて、愛することだけは止めずにいよう。

言葉が通じない分、表情や声音、ちょっとした仕草を受け取ろう。その信号を持って、自分の気持ちや行動を変えていこう。

受け取り伝えるすべての所作に、たっぷりの愛を沁み込ませながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?