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『AMEBIC アミービック』

きっかけは『みどりいせき』大田 ステファニー 歓人

金原ひとみの『AMEBIC』を読んだ。『みどりいせき』で第47回すばる文学賞と第37回三島由紀夫賞を受賞した大田 ステファニー 歓人と金原の対談が興味深く、彼が『AMEBIC』を座右の銘としていると言ったことがきっかけだった。

『みどりいせき』をKindleで試し読みしてみると、Xやストリートで吐かれているような擬音や省略、隠語やスラングがヴァイブとなってページに溢れている。言語化され、活字となったそれらを目で追ううちに未使用の脳味噌を活性化。その心地よさには文字通りの中毒性があった。

そうした意味では町田康や川上未映子の出現を彷彿させる新たな言語感覚を携える作家といえよう。そんな大田が絶賛するのが金原ひとみの『AMEBIC』だと、彼女との『みどりいせき』刊行記念対談で熱く語っている。

ひとみ姉さん(金原ひとみ)の『AMEBIC』は、書いているときのうちのインスピレーション本だったんです。お守りチックな感じで近くに置いて。自分の中では、やるからにはこのトリップ感を超えなくっちゃ、表現で戦っていこうって。

Web対談:すばる文学賞受賞作『みどりいせき』刊行記念対談 金原ひとみ×大田ステファニー歓人

『みどりいせき』もさることながら、彼のインスピレーションの元になった『AMEBIC』はどんな作品なのか?ということで『AMEBIC』を手にとった。


『AMEBIC アミービック』が発表されたのは約20年前、2003年『蛇にピアス』で芥川賞を受賞した翌年に『アッシュベイビー』、続いて同年に『AMEBIC』と、立て続けに作品を発表。非常にわちゃわちゃした状況下にあったことは想像できる。

摂食障害と内面的な葛藤、金原自身になぞらえた作品

作家として成功し、順風満帆でありながら精神的には不安定な状態にある。『AMEBIC』では、そんな、金原ひとみ自身になぞらえたとみられる小説家が主人公となっている。

十代の頃、精神的な疾患を抱えリストカットを繰り返していたという金原。彼女にとって「蛇にピアス」で描いたスプリットタンやボディピアスなど肉体改造は自身の内面と向き合い、新たな自己を発見するための手段だった。

そして、『AMEBIC』では摂食障害と内面的な葛藤、そして、自らが無意識のうちに書きなぐる「錯文」なる行為が新たな手段となっていた。

摂食障害気味の女性作家「私」のパソコンに日々残されている意味不明の文章=錯文。錯乱した状態の「私」が書き残しているらしいのだが…。関係を持った編集者の「彼」とその婚約者の「彼女」をめぐって、「私」の現実は分裂し歪んでいく。錯文の意味するものとは。
錯乱した「私」は正気の「私」に何を伝えたいのか。孤独と分裂の果てには何が待つのか。著者の大きな飛躍点となった

集英社文庫本の背表紙から

サイケデリックな想像力と疾走感。狂気の中に潜む禍々しい希望


作家としての成功がもたらした環境の変化、不条理に対してクールに向き合う葛藤、そして主人公自身が元来抱えている精神的危機。そこに、様々な知性の断片が絡み合う。

となると、病みツイの羅列、トラウマ礼賛、自己憐憫の嵐のような筋書き、文字列に陥りそうだがこの本は違った。投げやりな情緒の端々に共感の糸が繋がり、読み手を狂気へ誘う憑依力があった(そのあたりのコアな部分は別の機会に書きたい)。そして、サイケデリックな想像力と疾走感がある。その狂気の中には生命力と禍々しい希望があった。

金原 最初のころは、大人といわず同世代といわず、自分も含めた全てのものにとがりまくっていました。コントロールのきかない自分自身に振り回され、ブイーンと遠心力でまわっているような強烈な力をつねに感じていて。そんな苛立ちを言葉にかえることで少しずつ自分をたしなめられるようになり、薬を処方するように執筆への衝動に変換していったんです。

Webインタビュー:「絶望から他者理解へ」作家・金原ひとみの20年【デビュー20周年】

『錯文』を書きなぐり、摂食障害と内面的な葛藤に見舞われるなか、カフェで謎の女と出会う。このあたりから、蜷局を巻いた大蛇が動き出すようにガタンと面白くなり、アメーバのように分裂した不可解なトピックスが統合していく。そして、同書に潜む狂気が正体を見せ始める。壊れながら回復していく、そのプロセスがもたらす高揚感は号泣するカタルシスに似ている。

ふと気づいたのは、『錯文』はシュルリアリストであるアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)』の執筆の手法となった自動書記になぞられるものだということ。そして、妄想が現実と交錯する展開はフリップ・K・ディックの『ヴァリス』に通じる心理学的SFの系譜に位置付けられる。

この2つのベクトルを留意することで、「AMEBIC」が妙齢の女性のピカレスクから普遍的な深層心理にダイブする独自の読書体験を提供するものだと読んだ。

フランス文学やシュルリアリスム、深層心理のスペクトラムを持つ普遍的な作品


この本にはしおりはなく、本であることを否定するようなスタイリッシュな装幀だ。オレンジの地に黒文字でAMEBICと著者名だけが記されたカプセル剤のような装幀が特長的。装幀家は巨匠、菊地信義氏でAMEBICの文字が微かな揺らぎをもって刻まれており、情緒や情念をさっ引いた感覚のまま疾走する文体のなかに突き落とされる。

『AMEBIC』では、「皮のすりむけた肌を表現したオレンジ色一色。太い帯は、包帯」を表現している……

『みんなの生きるをデザインしよう』菊地信義より

その白い帯に刻まれているのはこんな言葉。

さあ私の太陽神よ舞い上がれ、安宿に泊まる私を照らせ。

『AMEBIC アミービック』帯のコピー

太陽神、安宿、そして錯乱?もしやと思って検索してみたら、案の定、彼女の選んだベスト10冊に『ランボー詩集』やバタイユの『眼球譚』が入っていた。ギャルみがありアカデミアンとはほど遠い風貌で、作風も変貌を遂げていている彼女だが、自分にとってはフランス文学やシュルリアリスム、深層心理のスペクトラムを持つ普遍的な作品として読めた。

大田 ステファニー 歓人が座右の書にする理由にも納得。フランス文学やシュルリアリスムを志向する自分の感覚に繋がる道筋も見えてきた。先にも書いたが、時を経ても再読し、『AMEBIC』の分裂と結合の様子に没入してみる。



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