Xで書いた妄想物語まとめ27

3/29
「自由」というのが「不安定」の同義語の一種でしかないことを知った。
不安定に心細さを抱く人間は自由にも怯えるし、逆に、不安定を火遊びとしてその延長で自由を楽しめるような奴もいる。
あるいは、フリーフォールに手放しで乗れるか。

僕にはどうやら、自由を謳歌する適性はなかったようだ。

別に、自由を楽しめるかが人間性の優劣に関係するわけでもないし、不安定を回避するのが姑息な思考というわけでもない。
ただ、僕が芸術を享受するとき、それは決められた規則と制限された時間と他人に課されたタスクをこなした対価であってほしいと思う。

理由も無しに降ってきた暇なんて怖いよ。
空き時間のひとつひとつに、芸術に勤しむに足る根拠があり、それを理解することで、安心して好きな活動に打ち込める――そういう信じられるなにかがなければ、没頭できない。集中できない。
自由なんて、むずむずするもの。

宙ぶらりんの足元でなにが作れるのか、僕には全く想像のつかないのだった。

(了)

3/31
先月じゅんすたの鞄の底で、眼鏡が大破した状態で見つかりました。
じゅんすた府警によると、眼鏡は購入後6年以上経っており、2年ほど前からはテンプルの4本のネジのうち2本が無い状態で使用し続けていたようです。発見時は、フレームが割れてレンズがバラバラに落ちていました。
本日13:00ごろ、奥野じゅんすた容疑者は家族に付き添われてJINSへ行き、新しい眼鏡を購入しました。
視力検査を行ったところ、乱視が強くなっており、上から順番にひらがなを読み上げる場面では、そもそも文字が3文字なのか5文字なのかも判別できない状態でした。
じゅんすた府警は、他にも壊れたまま使用しているものが複数あると見て、捜査を続けています。

司会「なぜ容疑者は文字数が分からなかったのでしょうか」
専門家「乱視の人はものが二重三重に重なって見えるので、間隔の空いた小さな文字を読むのは困難だったと思われます」
司会「眼鏡ができるのは4/5ごろとのことです。以上お昼のニュースでした」

4/6 続報
眼鏡を破壊した罪に問われていたじゅんすた氏、一審の有罪判決(乱視が強すぎてレンズ取り寄せ)を受けて即日控訴(受け取りは4/5以降でございます)
本日二審で逆転無罪を勝ち取りました(新しい眼鏡ゲット)

本人コメント「度の合った眼鏡って、こんなにも世界がよく見えるんだなって…感動してます」

4/19
「生きづらさを抱えている人間が特別だなんて思うなよ。生まれつき繊細だとか、社会的に弱い立場だとか、貧乏だとか、そういう先天的なのを全部抜きにして、めちゃくちゃ金持ちで友達も多くて勉強も部活も順風満帆な俺でも、生きづらいんだからな!」
そう言い残して、親友は死んだ。
なにが彼の生きづらさだったのか、あの言葉は誰に向けて言ったことだったのか――あるいは僕に向けられていたのか――は、10年経ったいまでも分からない。
世間への呪詛だったのかもしれないけれど、これからも生きる予定の僕への最期の励ましだった気もする。救ってやれなくて申し訳なかったと思う半面、生きづらさを語ることが許されないほど恵まれて育ってきてしまった彼が、この生きづらい世界の土俵から降りられて本望だったのなら、半端に助けたりしなくてよかったのかなとも思う。
"生きやすい"と言い切れる人間が、この世にどれほどいるのか?
確かめるために、僕はまだ生きている。
(了)

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