6月のまばたき
お題「6月」「まばたき」 制限時間:20分
僕のはじめてのまばたきは、15歳の6月だった。
それまで一度も目を閉じたことがなかったらしい僕は――眠っているときなどは確認できないし――まぶたの皮膚に遊びがない魚のような作りなのではないかとか、眼球の表面に特殊な水膜ができているのではないかとか、まあ、ありとあらゆる検査をされていた。
子供のころからずっとだ。
奇異の目も、大人の思惑も、僕は全てを直視してきた。
なんと言っても、僕は目をつむることができないのだから!
はじめてのまばたきをした朝のことを、よく覚えている。
朝起きて、うんと背伸びをして、日課的に眉毛の下を擦ろうとしたら、突然目の前がパシッと暗くなったのである。
一瞬のことだったので、見間違いか、何かが横切ったのかと思った。
僕は恐る恐る、眉毛の下から目に向かって、右手の人差し指をスライドさせてみた。
第二関節と第三関節の間。極めて日常遣いの領域。
そこに、皮膚越しのなだらかな眼球の感触があった。
僕は驚いて手を離して、でももう一度味わいたくて――まぶたが何なのかを知りたくて――同じようになでてみた。
確かに目は皮膚に守られていた。
手を離し、何度も試みた、イメージ上のまばたきの動きをしてみる。
力を入れずとも、僕の目の上の皮膚は、パシパシと素早く視界を覆ってくれた。
僕は、とてつもない罪悪感に襲われた。
多分きっと――まだしたことはないけれど――誰かとはじめてキスした日の帰り道は、こんな感じだろうと思った。
『まばたきをしたことがない自分の喪失』と、『キスを経験したことがない自分の喪失』は、すごく似ているに違いないと思う。
人並みになったといううれしさと、いまさっき喪失したことを親には一切見せず、何食わぬ顔で夕食を食べること。
まばたきができてしまった自分が、大人の庇護下から投げ出されるのだとしたら?
はじめてのまばたきのあとも、僕は相変わらず、目をつむらなくてもいい性質のままだった。
まばたきをすることはできるけれど、しなくても問題はない。
僕は無意味に、まばたき済みであることを隠し続けた。
時間が経てば経つほど、罪悪感は増した。
もし不用意にまばたきしてしまって、いつからできたのだと問い詰められて、本当のことが言える自信がなかった。
のぞき込まれるのが怖い。
目の前に鉛筆を突き出される実験が怖い。
驚きの脳波を測らないでくれ。
人生の砂時計が落ち始めた。
僕が死ぬのは、誰かの前でまばたきをしてしまったときだ。
既に喪失済みの『はじめてのまばたき』を誰かに観測され、暴かれるのだとしたら、僕はその恥辱に耐えられないと思う。
これが、たったいま僕が、劇薬を盗んだ動機である。
公然のまばたきのあと、僕はこれを飲むだろう。
手の中の小瓶は、15歳の6月に繋がっている。
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