青野短モテ伝説、バレンタインデーの場合(江戸落語奇譚小噺)

 世はバレンタインデーである。
 俺こと桜木月彦――極度の人見知りだ――にとっては、二十年の人生において全く無縁のイベントであり、友チョコはおろか、母からもらうということすらなかったので、まあ、普通に忘れていた。
 本日が2/14なことに気づいたのは、昼過ぎ。
 きょうも青野家にバイトに行くことになっているが……家がチョコだらけになっているのではないかと想像した。
 学生時代、数々の『青野短モテ伝説』を作り上げたらしい彼は、間悪く(?)きょうは母校の萩葉大学に用事をしに行っている。
 大荷物になるのではないか。帰ってこられるのか。せめて駅まで迎えに行った方がいいのではないか……。
 そんなことを考えていたのだけれど、夕方に『家に帰りましたので、ご都合よいときにいらしてください』とLINEが入っていた。
 そして行ってみると、意外にも家にチョコはゼロ。
「あれ。チョコもらわなかったんですか」
 一般人に向けて言ったら失礼千万なセリフだが、対短さんであれば、これはただの素朴な疑問である。
「ええ、いただいていないです」
「えー……意外です。持ちきれなくて、箱に詰めて大学から宅配便で送ったとかでもなく?」
「まさか」
 短さんは顔の前でちょいちょいと手を振り、おかしそうに笑いながら言った。
「僕は、洋菓子を食べるとグロッキーになるので、受け取れないのですよ」
「あ、そうだ。お菊さんを探しにカフェに行ったとき、チョコカップケーキひと口で挫折してましたもんね」
 しかしここで疑問がまた増える。
 仮に女子学生たちが、短さんが洋菓子を食べないことを知っていったとしても……和菓子でもお花でもなんでもいいから、プレゼントを渡そうとするのでは?
 しかし部屋を見渡してみても、何かもらい物のような袋や包みは見当たらない。
「も、もしかして……全部断ったんですか?」
「まあ、そうですね。お気持ちだけで十分ですと申し上げました」
「よく引き下がりましたね」
「一応、対策がありまして」
 そう言って短さんがカバンから取り出したのは、10コ入りの袋キャンディ×20。
 全て空になっているようで、コンビニ袋のなかに小さく畳んである。
「お受け取りできない代わりに、飴玉を差し上げることにしています。せっかく考えて選んでくださったのに、ただお断りしてしまうのでは、申し訳ないですものね」
 俺は思わず、両手をパチンと額に当て、顔を覆った。
 なるほど。要するに、こう言うことか。

『青野さん。バレンタインのチョコなので、受け取ってください!』(ドキドキ)
『お気持ちだけで十分です。ありがとうございます』(お上品にペコリ)
『いえいえいえ! 青野さんのために選んだので!』(もう一押し!!)
『まあ、なんと。それはとてもうれしいです。では、ささやかなものですが、お礼としてこちらの飴玉を受け取っていただけますか?』(ニッコリ)
(キャーーーーーッ!! 青野さんから飴もらっちゃったっ!!)

「……確かにそれなら嫌な気持ちにはならないし、なんなら0.5秒くらいは手が触れるかもしれないですもんね」
「手?」
「いや、なんでもないです。すごい、うまい作戦だと思います。さすが落語の研究をしてるだけあります」
 短さんは、ささいなイタズラがバレた子供みたいに、クスクスと笑いながら言った。
「贈り物を受け取ってもらえないというのは、悲しいことだと思いますので。せめてこのくらいはと思って、毎年この時期は飴を持ち歩くことにしております」
 恐れ入った。こうやってこの人は、一生モテ伝説を増やしていくのだろう。
 コンビニ袋を縛ろうとしていた短さんが、小さく「あ」とつぶやいた。
「飴、ひとつ残ってますね。ぴこさん、召し上がります?」
「え……あ、はい。もらいます」
 謎に飴が手渡される。
 そういえば去年のバレンタインは、怪異のせいで母が自殺未遂をして、お先真っ暗になっていたっけ。
 大変だったけれど、あの事件があったからこそ、短さんと出会えたし、家族関係もよくなってきたわけで……。
「ぴこさん」
 俺の様子に気づいたらしい短さんが、優しく呼び掛けてきた。
 顔を上げると、天女のように美しく微笑んでいる。
「贈り物には、必ず物語があるのですよ。良いことも、悪いことも。いつの世でもね」
「そうですね」
 微妙な表情をしているであろう俺の肩を、短さんがポンと叩く。
「きょうはすき焼きです」
「え!? やった!」
「気分だけでも、バレンタインを。ね?」

 そのときはさっぱり意味が分からなかったが、三十分後、具材を並べながら真面目な顔で『チョコフォンデュの代わりです』と言い出したので……
 なんというか、妙なひとに雇われたなという、いつもの感想を抱いた。

(了)

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