きょうの非行@ガオーシティ(1) 月を上げ下げする綱を切ってみる

 地球の地下奥深くには、マントルを避けるように、丸い空間が作られている。
 ガオーシティ。本当はすごく暑いらしいけれど、鉄球の中を空洞にくり抜いたような形の街の内面には、冷却用の水道管が張り巡らされているので、快適だ。
 僕こと綿貫わたぬきカズオは、ハイスクールに通う十六歳だ。ちょっと悪いことをするのを生き甲斐にしている。
 非行の相棒は、クラスメイトの瀬尾せのお
 一見冴えない金髪もじゃもじゃだけど、頭が切れるので、結構使える。
 きょうは、月を上げ下げする綱を切ってみようということで、夜に集まることにしていた。

 トタンでできた工場群の裏道で、息を潜めて待つ。夜になりたての上空で、鈍い光を放つ月と、小さな星々が点灯し始めていた。
「瀬尾、こっち」
 僕が手招きすると、あたりをキョロキョロ見回していた小柄な影が駆け寄ってきた。
「遅いぞ、方向音痴め」
「だってこのあたりは同じ景色が続きすぎる」
 瀬尾はくちびるをとがらせながら、僕の隣にしゃがんだ。
 ガオーシティの空は、夕焼けから明け方しかない。
 燃えるようなオレンジ色で朝を迎え、徐々に複雑な紫色が混じり、宵の口を経て、漆黒の夜空になる。たっぷりとした深夜が続いたのち、空は白んでいき、明け方へ。そして夕焼けへとなじんでいく。それが一日。
「ずいぶんと重装備だな。リュックの中身はなんだ?」
「重石さ。ふたつ入ってる。あと、ワイヤー製の細いロープ」
「ええ? ロープカッターはなかったのか」
「そんなもので、月を上げ下げする綱が切れると思う? 夜が明けちゃうよ」
 リュックの肩ベルトの内側には、でかでかと『せのおメーヴィル』と書いてある。ミドルスクール時代のダサ緑リュックを使い続けているのは、こいつくらいのものだろう。
 瀬尾はよいしょと言いながら、生まれたての赤ちゃんくらいのサイズの石を取り出した。
「よく背負って来られたな。軟弱者のくせに」
「悪口言うなら手伝わないよ」
 そう言いながらずいっと見せてくるのだから、瀬尾も僕と同じくらい、根っからの非行好きなのだ。
「紐状のものってね、カッターなんかなくても切れるんだよ。足で踏んづけて、ちょっとひねってゴシゴシゴシってすれば、摩擦で簡単に切れるの」
 瀬尾の説明はこうだった。
 まず、紐を地面に伸ばしておく。両脚を少し開いて踏んで押さえる。この際、脚の間の部分がピンと張るようにする。
 次に、別の紐を脚の間にくぐらせて上に引っ張ると、真ん中部分の一点が持ち上げられる。あとは、通した紐の両側を持って素早く擦れば、摩擦で切れるというわけだ。
 うん。理屈は分かった。しかし。
「月を上げ下げする綱は、両手で包まないと握れないくらい太いんだぞ。どうやって踏みつける? 擦るのだって、乾布摩擦より速くやらないといけないだろ」
「重石は脚の代わりだよ。重石で綱を地面に固定する。それにほら、月タワー付近は、重力がちょっとおかしいじゃない。それを利用して擦る」
 よく見ると、瀬尾が重石と言って持ってきたのは、磁石岩のかけらだった。
 これは、岩山ひとつが丸ごと磁石になっている採石場から取れる、特別な石だ。地面に埋めると、街を覆う金属とくっついて、掘り返せなくなる。
 取り出し不可になるから、無許可に埋めてはいけないことになっている非売品だ――こういうものがゴロゴロ転がっているのだから、瀬尾父の財力と収集癖にはいつも舌を巻いてしまう。
「こんなものを持ち出すほうが、よっぽど非行だな。バレたら禁固刑だぞ」
「なに、一発どでかいのをやろうじゃないの」
「貸せ、軟弱者。僕が持った方が早い」
 重石をリュックに詰め直して背負い、月タワーを目指して歩き出す。
 月は、タワーの地下の格納庫にしまってあり、毎晩、滑車付きの塔の上へ引き上げられる。夜七時から一時間かけて、地上で綱を巻き取り、キコキコと上げてゆくのだ。
 上げ下げする作業員はふたりで、下で巻き取り機を操作するのと、塔の上で異常がないか見ているのと。自動だからほぼ見ているだけなのに、すごく給料がいいのだと聞いた。
「……作業員はいないみたいだな」
 上がりきってしまえば、見張りは要らないということだろうか。月の管理者はばかだ。市民の中には、綱を切ろうと考える者だっているかもしれないのに。
「さっさとやっちゃおう。カズオには、探してきて欲しいものがある」
 なるべく高い脚立と、五メートルくらいの棒状の板。できれば乗り心地のいいもの。……と瀬尾は言った。
 乗り心地。なんだか嫌な予感がする。
「言っておくけど、僕は乗り物酔いが激しいタイプだからな」
「もちろん知ってるよ。産院からずっと同じの幼馴染みだもの、ゲロの処理は任せてよ」
 返事をするのもばからしくなり、黙って歩き出した。
 月タワーの周りは、材木やら金属部品のかけらやらが転がっている。瀬尾がご所望の板は、すぐに見つかった。
 せっせと運んでいくと、瀬尾は巻き取り機の周りの地面を踏んで回っており、何かを確かめているようだった。
「何してるんだ?」
「重力が狂ってるところを探してるの。簡単に跳躍できそうな場所があればいいんだけど」
 僕の嫌な予感が的中しつつある。
「おい、瀬尾。お前が企んでいることは分かった。でも、僕はそんな野蛮な方法ではやらないぞ」
「なに。童心に帰ればいいじゃない」
「さっきお前のダサ緑リュックを背負って十分味わった。他の方法はないのか?」
「非行に痛みはつきものでしょ」
 瀬尾はトントンと地面を蹴り、ニンマリ笑った。
「みつけた」
 僕は腹を括った。ゲロを吐いてこそ、非行少年だ。いや、そんなわけないけど。
「重石を貸せ。さっさとやるぞ」
 僕は巻き取り機をほんの少しだけゆるめ、月の綱に余りを作った。瀬尾は、重石を埋めるための穴を掘っている。
 綱を丁寧に真っ直ぐにし、瀬尾が掘った二箇所の穴の上に渡す。そっと重石を乗せると、地面の上の綱がピンと張って固定された。
「さて、ここからは重労働だな。軟弱者はどいてろ」
 まず、瀬尾が持ってきたワイヤーロープを、綱の真ん中に通した。
 その上をまたぐように脚立を置き、板を中央で固定する。ミドルスクール時代のリュックは肩ベルトが調節できるので、縮めればがっちりと固定できた。
 あとは、ワイヤーロープの端っこを、それぞれ板の先端に巻きつけるだけ。
「はあ。とんでもないものができた」
 高さ二メートル半、地獄のシーソーの出来上がりだ。
「月の綱が切れるのと、お前のリュックが壊れるの、どっちが先だろうな」
「リュックの買い付け担当はマルカン先生だよ。壊れるわけない」
 巻いたワイヤーロープでできた座面に乗り、月を見上げた。もうこれきりで、しばらくガオーシティに月は上がらないかもしれない。
「さあ、非行タイムだ!」
 瀬尾が勢いよく地面を蹴った。
「いってえ!」
 生白チビが空に上がるのと同時に、僕の尻は地面に叩きつけられる。
 重力が狂った地面の上では、柔軟性ゼロ運動神経マイナス30の瀬尾の蹴りでも、いとも簡単に体が跳ね上がった。僕は負けじと地面を蹴り、瀬尾を叩き落とす。
「いったあああ〜〜〜〜!」
 瀬尾が上がり、僕が下がる。僕が上がり、瀬尾が下がる。月の綱とワイヤーロープが、ギシギシと音を立てながら擦れている。
「あ、あ! カズオ! 来る!」
「耐えろよ軟弱者!」
 僕がひときわ強く地面を蹴った瞬間、綱はぶちっと音を立てて切れた。
「うわああああ!」
 僕の体は空に投げ出され、瀬尾は派手に地面へ転げた。
 支えを失った月が、ずるりと下がる。綱を支えていた地面は、重石を残してひび割れ、ついに月が、派手な音を立てて塔の下に落ちた。
「わははははは!」
 瀬尾が大爆笑しながら逃げていく。僕は必死にリュックを回収し、その背中を追った。
「やったー、非行成功!」
「次は僕の考えるやつだからな! もうちょっと常識的な……うっ」
 こんなところにゲロを撒き散らしたら、DNA鑑定でバレるかもしれない。
「オエエエェェェェェ」
「ああああああ! おれのリュックがーーーーー!」
 エチケット袋だ。ちくしょう。

(了)

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