微熱は悪魔の魔具である

 絶対に休めない日の朝に、風邪を引いたかもしれないと思ったとき、人は何をするだろうか。
 薬を飲む、冷却シートを貼る、ねぎを首に巻く……。
 色々あると思うけれど、僕は、『熱があると信じないように、何度も計る』だと思う。
 要するに、三十六度台が表示されるまで、何度も計り続けるのだ。
 完全に挟まないように少し浮かせてみたり、うちわで顔をあおいでから計ってみたり、あとは、犬のように舌を出して口から熱を出そうとしてみたり。
 しないだろうか?
 僕はする。ていうか、した。
 今朝僕は、ありとあらゆる方法で、平熱になるよう試みた。
 けれど、残念ながら、とてつもなく微妙な微熱だった。
 軽い風邪を引いたことは認めよう。
 そこで次に考えるのは、『病院に行って、もっと重篤なウイルスをもらってきてしまったらどうしよう』という問題だ。
 なんといっても、微妙な微熱。
 会社に報告するためには病院で診察を受けるのがベストだとは分かっているものの、家で市販薬を飲んで一日寝れば治る可能性が高いし、わざわざ病気の巣窟へ足を運んで、より強力なウイルスをもらってくる可能性と天秤にかけると……という、地獄の逡巡を味わうわけである。
 もしも、悪魔に人の心を試す役割があるのだとしたら、僕はこういう、他人に迷惑をかけるかどうかのギリギリのところに現れるのだと思う。
 悪魔は笑うのだ。
 軽い風邪を引いたお前は、病院に行くのか、と。

 結局僕は、数々の葛藤をズタボロにやり遂げたのち、『熱には熱の』というキャッチフレーズでおなじみの総合風邪薬を、ドラッグストアで買った。
 まるで、全国の事なかれ主義代表のような、中途半端な着地!
 ドラッグストアという、『ちょっとウイルスのリスクはあるけど、病院ほどじゃなさそう』というところで、微妙な微熱を出したまま買い物をした。
 せこせことお金を払う僕を見て、悪魔は、さぞ愉快だっただろう。
 僕は微熱に屈した。
 体温計との戦いにも敗れ、社会に迷惑をかけずに自己完結することもできず、ああ、なんで風邪薬を家にストックしていなかったのか。
 会社の先輩には申し訳ないことをした。
 準備に一ヶ月かけた大事なプレゼンを休んで、遠慮なく文句でもなんでもメールしてくれればいいのに、ひと言も何もない。
 うまくいったかどうかの報せすらない。
 休養する僕に気を遣わせないという、先輩の優しさが沁みる。

 微熱は、人の良識、善の心、打算の有無をあぶり出す魔具だ。
 悪魔は僕に、その切っ先を向けたのである。

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