枕辺探偵事務所の鍛錬記録〜クリスマスイブのQRコード合戦〜

「おい、弥山ややま。事件だ」
 そう言って枕辺まくらべさんは、デスクチェアに座ったまま、汚い床を蹴った。
 キャスターがゴロゴロと音を立てて、冴えない名探偵を運んでくる。その右手には、何やら薄いものが握られている気がした。
「……ちょっと、きょうは予定があるので、事件は無しでいいですか?」
「ダメだ、ふざけんな。きのうの失態を忘れたわけじゃねえだろ? お前にはキビシ~イ鍛錬が必要だ」
 僕はうっと言葉に詰まる。確かにきのうはやらかした。尾行の途中で猫のしっぽを踏んづけてしまい、ターゲットに逃げられたのだ。
「……分かりました。で、その手に持っているのは何なんですか?」
 彼の手の中には、何も無い。しかし枕辺さんは、大仰な仕草で封筒を破り、紙を取り出すような素振りを見せる。
 前提をご存じない読者諸氏のために説明すると、僕こと弥山直樹なおきは、『枕辺探偵事務所』で助手として働いている。そして、業務終了後に、ありもしない事件を解決させられている。
 特殊な無賃労働を強いてくる上司の名は、枕辺とおる氏。
 怠惰を極めしぼっさぼさのルックスで、性格もかなりいい加減だが、なぜかどんな問題も解決してしまう名探偵である。
 そして、唯一の所員である僕を鍛錬するために、わざわざ架空の事件を考え、無茶振りしてくるのだ。そう、こんなふうに。
「すげーなー。この怪盗の予告状」
「はあッ!?」
「見ろよ、QRコードが印刷してあるだけだ」
「…………あの。せめて、せめて? 現代日本で実用的な鍛錬にしましょうよ」
「うるせえ。JKがTikTokで使ってたのと同じ手口だ。実用性ありありの増し増しだろうが」
 聞けば、文章や動画のURLを変換サイトに入力すると、QRコード化できるらしい。
 これを印刷して友達のロッカーの中に仕込んでおき、読み取ってみると、サプライズのバースデー動画なんかが再生されて感動……ということのようだ。
 枕辺さんが、カードを投げるような仕草をした。僕は慌てて、それをキャッチする素振りを見せる。
「資産家の家に届いた無地の封筒。開けてみると、中身はポストカードで、文字は何も書かれておらず、QRコードがどでんと印刷されているのみ」
「読み取ってみますか?」
 おう、と、極めて適当に返答されたので、何もない手のひらに向かって僕はスマホカメラをかざした。
 枕辺さんは僕の背中側に来て、手元を覗き込む。
「なんて書いてあるんですか?」
わりぃ、間違えた。殺人の告白だ」
 ……鍛錬のきついところ、その一。枕辺さんの気まぐれで、設定が変わってしまう。
「『おとといの深夜二時に、息子を殺した。ナントカ山に埋めた』っと書いてあるな」
「具体的に埋めた場所は関係ないんですね?」
「おう、近くの山だ。死んだのは二十五歳の男、資産家の次男。職業は『アーティスト』っつうことで……まあ、高等遊民だな」
 うわ、ざっくりしすぎた設定。これ、めんどくさいやつだ。
 枕辺さんの頭の中には、他人には難解すぎる理論があり、僕はそれを、気まぐれに開示される情報のみで解かなければならない。
「枕辺さん、あの……大変言いにくいんですけど。きょう、クリスマスイブですよね?」
「ああ、そうだな」
「僕は予定があると、最初に言いましたよね?」
「言ってたな」
「普通、二十三歳の男の部下がクリスマスイブに予定があると言いだしたら、なんかこう……察しません?」
 生返事に飽きたらしい枕辺さんは、面倒くさそうに「よっこらせ」と言って立ち上がり、備品部屋をごそごそと漁りだした。
 僕は、よれたスーツの背中に向かって叫ぶ。
「ツリーないですよ! 去年、依頼者のおばさんがヒステリー起こしてバキバキに折ったじゃないですか!」
 がさごそと手を止めない枕辺さんは、「おー」という気の抜けた相槌を寄越したのち、くるりと振り返った。
「メリークリスマス」
「……門松とトナカイのツノ兼ねるの、やめてもらっていいですか?」
 枕辺さんが、質素な竹飾りを両側頭部にくっつけたまま、のそのそとこちらへやってくる。
 思わず後ずさる。……と、彼は、くいくいとあごをしゃくった。
「ほれ、俺の胸ポケット」
 見ると、小さなメモ用紙が入っている。
「両手ふさがってっから。開けてくれ」
「もー、なんなんですか?」
 思わず眉間にしわを寄せながら開けると、紙の真ん中にぽつりと、QRコードが印刷されていた。
「読み取ってみ」
 という彼の表情は全くの真顔だが、こんな手の込んだ準備をされているとなると……いやが上でも、期待してしまうではないか。
 その、普段のお詫びとか? 感謝のメッセージとか?
 スマホをかざし読み取ると、アマゾンのページが開いた。
 そして目に飛び込んできたタイトルは、想像をはるかに超える、驚きのものだった。
「なにこれ!? 枕辺さんのほしいものリストじゃないですか!」
「……よく見ろ、探偵だろ」
「ええ? こんなダイレクトに上司にプレゼントを強要される探偵業者なんて廃業しちゃえば……、あっ」

メントス 48本パック
リアップ毛髪剤 3本セット
クエン酸激落ちスプレー 12本入り業務用
リラクゼーションミュージックCD

 商品の頭文字を繋げていく。
 僕はなぜか盛大に照れてしまい、無駄にもごもごしたのち、ぼそっとつぶやいた。
「縦読みなんて、平成の化石文化ですよ。しかもメリクリって表現自体、なんかおじさんくさいっていうか」
「上司の厚意は受け取っとけ。ほら、もう一枚あるから」
 手渡されたのは、運送会社の再配達票。
「僕のスマホで再配達依頼しろってことですか?」
「そ。めんどくせーからやって」
 そう言う枕辺さんは、門松を頭にくっつけたままだ。
 なんの荷物なのか分からないまま、QRコードを読み取る。
「あしたの午前着にして。俺、尾行の予定入ってるから」
 ぶっきらぼうに言うこれは、なんとなく、照れ隠しだなと思った。
 この荷物こそ、僕へのプレゼントなのだろう。
「サンタさん、ありがとうございます」
「なんだか分かんねえぞ? おっそろしいもん送られてくるかもだしな」
「まあ、なんでも、贈り物はありがたいです。楽しみにしてます」
 QRコードは、人の気持ちを短縮する。
 そんな役割があるらしい。

 果たして僕は、クリスマスの朝に、野良猫のエリザベスちゃん用のキャットフードを受け取った。
 単純に野良猫の身を心配したのか、僕が一番喜ぶものを察したのか、はたまた、エリザベスちゃんがここに居る限りは絶対に弥山は辞めないと知っているからなのか……。
 まあ、なんでもいいのだ。
 厚意の思惑が打算だったとしても、僕の心に残るのは、サプライズに手間をかけてくれた感謝と、不在票のQRコードを作るためだけに二度手間をかけてしまった、配達員さんへの申し訳なさだけだ。
 ありがとう、枕辺さん。すみません、配達員さん。
 僕は意気揚々と、エリザベスちゃんを探しに行く。
 贅沢チキン味と書かれた、ちょっとお高めのカリカリフードを持って。

(了)

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