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デジタル時代のシティズンシップとしてのデジタル・シティズンシップ

はじめに

2021年4月18日、シティズンシップ教育フォーラム主催シティズンシップ教育ミーティング2021「デジタル時代のシティズンシップを構想する」で報告した内容をご紹介いたします。報告の趣旨は、今回のミーティングのタイトルにあるように、デジタル・シティズンシップは「デジタル時代のシティズンシップ」であり、「情報モラル」の言い換えではないし、 ネット空間だけのシティズンシップでもないということです。デジタル・シティズンシップは「デジタル時代のシティズンシップ」なのです。

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グローバル・デジタル時代のシティズンシップ教育

デジタル・シティズンシップは情報モラルと同じか?

昨年暮れに『デジタル・シティズンシップ:コンピュータ1人1台時代の善き使い手をめざす学び』(大月書店)が発売されてから、デジタル・シティズンシップという用語が教育関係者を中心に広くと知られるようになりました。しかし、いくつか誤解もあります。まず、よく聞かれる2つの誤解についてお話をいたします。

一つ目の誤解は、デジタル・シティズンシップは情報モラルと変わらないものでないかという意見です。この見解を聞いたのは昨年12月に開催されたシティズンシップ教育学会でした。学会のシンポジウムではバーチャル・シティズンシップの可能性を提案されていたのですが、その理由の一つがデジタル・シティズンシップは情報モラルと変わらないものという見解でした。

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この見解の背景には、情報モラルの定義と国際教育テクノロジー学会(ISTE)のデジタル・シティズンシップの定義が似ていることがあります。文部科学省によれば、情報モラルとは「情報社会で適正な活動を行うための基になる考え方と態度」です。そしてISTEによれば、デジタル・シティズンシップとは「情報技術の利用に関する適切で責任ある行為規範」(Ribble, Mike (2015). Digital Citizenship in Schools Nine Elements All Students Should Know)です。

これだけ見ると、ISTEの定義は個人のモラルのように見えます。つまり、デジタル・シティズンシップは情報モラルと同じようなものだという見解に理由がないわけではありません。確かに出発点としては似ているのです。しかし、現在のデジタル・シティズンシップの概念は情報モラルよりもはるかに広いものです。

欧州評議会によるとデジタル・シティズンシップとは、「効果的なコミュニケーションと創造のスキルを用いて、デジタル環境に積極的、批判的、能力を持って関わり、テクノロジーの責任ある使用によって、人間の権利と尊厳を尊重した社会参加を実践する能力」(Council of Europe, Digital Citizenship and DIgital Citizenship Education)です。こちらの定義の方がより明瞭です。つまり、デジタル・シティズンシップはモラル(道徳)ではなく、「人間の権利と尊厳を尊重した社会参加を実践する能力」なのです。

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上に示した左側の図は情報モラルを説明したものです。情報モラルとは、日常モラルに情報技術の仕組みを組み合わせたものだということがわかります。日常モラルは節度や思慮、思いやりや礼儀、正義や規範であり、批判的思考も民主主義もなく、ルールも情報社会に限られたものです。右側は欧州評議会によるデジタル・シティズンシップを図式化したものですが、土台にあるのは民主主義的な文化のためのコンピテンスであり、価値観、態度、スキル、知識、批判的理解を意味します。

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上に示したのは欧州評議会によるデジタル・シティズンシップの10の領域です。この中にメディア情報リテラシーが含まれています。これはユネスコが主導するメディア情報リテラシー・プログラムのことです。情報モラルは情報活用能力の一部ですが、デジタル・シティズンシップの範囲はそれよりもずっと広いことがわかります。

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次にISTEによるデジタル・シティズンシップの9つの要素を見てみましょう。欧州評議会モデルと同様に、メディアリテラシーや情報リテラシー、デジタルリテラシーから成るデジタル・フルーエンシーが含まれています。

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文科省の主権者教育推進会議「今後の主権者教育の推進に向けて」最終報告では、主権者教育の充実のために「情報を収集・解釈する力や、情報の妥当性や信頼性を踏まえて公正に判断する力などのメディアリテラシーの育成」が必要だと指摘されています。日本でもオンライン偽情報問題が注目されつつあり、文科省からも主権者教育への広義のメディアリテラシー教育の導入が主張されるようになりました。こうした動向はデジタル・シティズンシップ教育と深い関わりがあります。

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シティズンシップ教育といえばジョン・デューイの『民主主義と教育』が挙げられますが、彼は『経験と教育』の中で批判的思考についても述べています。批判的思考はシティズンシップに欠かせない概念であり、デジタル・シティズンシップにもまた、メディアリテラシーや情報リテラシーの批判的思考が位置づきます。

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今年の1月6日に起こった米国議事堂襲撃事件はアメリカの市民に大きな衝撃を与えました。この背景にはネット上に陰謀論が拡散し、今回の事件を引き起こすきっかけの一つになったと言われています。『タイム』誌は「サイバー・シティズンシップ教育は国家的優先事項にならなければならない」と主張しています。ここでいう「サイバー・シティズンシップ」はデジタル・シティズンシップと同じ意味と言って良いでしょう。

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米国下院議会でもデジタル・シティズンシップ・タスクフォース「COVID-19におけるデジタル・シティズンシップ」が作られ、オンラインで見たものを批判的に考え、偽情報を見分ける方法を学ぶ、スマホを見る時間を管理する方法を学ぶ、効果的なオンライン学習をする、これら3つの要素が議論されています。

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アメリカ各州はデジタル・シティズンシップ教育を推進するために「DigCitCommit連合」を設立しました。新たなデジタル・シティズンシップ・コンピテンシーとして、インクルーシブ、情報力、活動参加、バランス、アラートの5つが挙げられています。このようにデジタル・シティズンシップは、情報モラルとは大きく異なるものです。

デジタル・シティズンシップはネットだけのシティズンシップか?

もう一つの誤解は、デジタル・シティズンシップはネットだけのシティズンシップではないかというものです。

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例えば、藤川大祐氏は『教師が知らない「子どものスマホ・SNS」新常識』(教育開発研究所、2021)の中で、デジタル・シティズンシップについて次のように述べています。

「デジタル」だけを分ける意味はなくなりつつあるようにも思われます。現代の社会において、すでにデジタルとアナログ、あるいはネットとリアルを分けるという考え方がもう古いものとなりつつあるように思われます。
 この状況にあって私たちが目指すべきは、デジタル技術がさまざまな場所で使われている市民社会に参画するための規範としての、「(新たな)シティズンシップ」の育成であるべきです。(p.102)

この考え方もまた大きな誤解です。欧州評議会は「デジタル・シティズンシップとデジタル・シティズンシップ教育」について次のように解説しています。 

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私たちのデジタル・シティズンシップの定義は、教育の役割に特に重点を置き、デジタル・シティズンシップの教育支援が行われるすべての状況に影響を与える生涯学習の継続的なプロセスを横断的かつシームレスに強調しています。したがって、デジタル・シティズンシップ教育という概念は、教育をシティズンシップのプロセスの契機と効果の両方を指すものとして捉えています。

つまり、デジタル・シティズンシップ教育は教育とシティズンシップのプロセスを切り離してはいけないのです。

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欧州評議会の『デジタル・シティズンシップ教育トレイナーズパック』には次のように書かれています。

デジタル・シティズンシップとは、デジタル技術を利用して社会に積極的に関与し、参加する能力です。

それは、対面式の討論、ボランティア活動、新聞への投書、公職への立候補、行進やデモなど、デジタル以外の民主主義的なシティズンシップと共存し、相互に影響し合う関係にあります。

デジタル・シティズンシップは、コンテンツの作成や公開、交流、学習、調査、ゲームなど、あらゆる種類のデジタル関連活動で表現することができます。社会的・政治的な目的を持って行われたり、社会的・政治的な影響を与えるようなデジタル活動は、シティズンシップ活動となります。(p.7)

ここに書かれているように、ネット空間という用語はまったく出てきません。ネット空間はリアル社会の一部であり、デジタル・シティズンシップは、デジタル技術を活用してリアルな社会に積極的に関与し、参加する能力とされているのです。そしてデジタル・シティズンシップはシティズンシップと共存し、相互に影響し合う関係であり、「社会的・政治的な目的を持って行われたり、社会的・政治的な影響を与えるようなデジタル活動は、シティズンシップ活動」だとはっきりと書かれています。

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上に掲載したのはISTEが作った「デジタル時代のシティズンシップ」のポスターです。シティズンシップとデジタル・シティズンシップが比較されており、シティズンシップの要素がデジタル・シティズンシップではどのように表現されるのかわかります。わかりやすいように表にしました。デジタル・シティズンシップはシティズンシップと深い関係があることがわかります。

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メディアリテラシー・ナウ代表のエリン・マクネイルは「公共政策分野におけるメディアリテラシーとデジタル・シティズンシップの連携」と題した文章の中で、次のように語っています。

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メディアリテラシーとデジタル・シティズンシップは教育政策においてどのような場合でもともに議論されるべきである。リテラシーはシティズンシップにとって、誰もが社会の一員として自らの権利と義務を知り、実践するために重要である。確かにほとんどの人はリテラシーが民主主義におけるシティズンシップにとって重要であることに同意するだろう。今日のグローバルなメディア世界とってメディアリテラシーは必須である。今日、リテラシーはデジタル・メディア世界の中に存在するがゆえに、グローバル・シティズンシップもまた同様にデジタル・シティズンシップである。
(2016.6.17)

マクネイルの指摘はメディアリテラシーの視点からのものですが、ここでメディアリテラシーが求められるのはシティズンシップそのものであることがわかります。

このようにデジタル・シティズンシップはネット空間だけのシティズンシップではありません。それは藤川氏が「デジタル技術がさまざまな場所で使われている市民社会に参画するための規範としての、『(新たな)シティズンシップ』」と呼んでいるものに近く(実際は規範ではなく能力)、まさに「デジタル時代のシティズンシップ」だということがわかります。

デジタル・シティズンシップ教育は系統的なシティズンシップ教育

コモンセンス・エデュケーションのデジタル・シティズンシップ教育は幼稚園から高校3年まで系統的なカリキュラムを作っています。

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デジタル・シティズンシップのカリキュラムには6つの領域があります。メディアバランスと良い生活、プライバシーとセキュリティ、デジタル足あととアイデンティティ、人間関係とコミュニケーション、ネットいじめとヘイトスピーチ、ニュースとメディアリテラシー、この6つです。

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上の図は幼稚園から高校3年生までの授業一覧です。下に、代表的な授業の内容が書いてあります。それぞれ6つの領域の授業が含まれています。幼稚園から小学校2年生までは、デジタル市民、メディアバランス、プライバシー、オンラインコミュニティなどを学びます。

小学校3年から5年生までは、スーパーデジタル市民、ジェンダーとステレオタイプ、ネットいじめやオンラインニュース、小学校6年から中学校2年までは、信頼できる情報、ソーシャルメディア、ヘイトスピーチ、フェアユースなど、中学校3年から高校2年まではデジタルライフ、ビックデータ、フェイクとデマ、ヘイトスピーチへの対抗などを学びます。

そして高校3年では、市民コミュニケーター、プライバシー監視、フィルターバブル、ヘイトスピーチと検閲などを学びます。これらの学習にはデジタル・アイデンティと批判的思考の原理が貫かれていると言って良いでしょう。

高校3年生で学ぶ「僕らは市民のコミュニケーター」はまさに若者のシティズンシップのビデオ教材です。このビデオは次のような解説がつけられています。

オンラインで礼儀をもってやり取りするにはどうすればよいでしょう?
個人的信念や政治について話す時、特にオンラインの時は、情熱的になりがちです。こうした強烈な時間は、しばしばしっぺ返しの悪口やもっとひどい事につながります。しかし、冷静に平然と対処すれば、共通認識と深い理解を得る機会になります。それぞれの考えを聞き、前向きな変化を提唱出来るように、意見の不一致を維持することを教えます。

デジタル技術が社会のインフラとなった現在、子どもたちはスマホを手にする前から市民社会の一員となるための準備をしなければなりません。スマホで情報を発信したり、オンラインコミュニティに参加することは、すでに公共圏としての市民社会に参加することを意味します。子どもたちはネット社会という限られた世界ではなく、市民社会そのものへ参加するのです。

つまりデジタル・シティズンシップ教育は未来の市民の育成ではなく、現在の市民の育成です。しばしばシティズンシップ教育は政治的リテラシーの育成を目的に、高校での学習として実施されることが多いのですが、デジタル・シティズンシップ教育は幼稚園から始めなければなりません。だからこそ、デジタル・シティズンシップとシティズンシップ教育は接合され、系統的に実施される必要があるのです。

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上の記事は「子供に人気 高校生"防災ユーチューバー"」というニュースですが、高校生たちがユーチューバーになって小学生に防災の重要性を教えるという取り組みを紹介しています。抑制的な情報モラル教育ならば、高校生がユーチューバーとして活躍する学習は考えられなかったことでしょう。この学校では、社会課題の解決のためにデジタル技術を活用する教科「デザイン思考」と学校図書館の取り組みがありました。こうした取り組みもデジタル・シティズンシップ教育だといえるでしょう。

まとめ

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まとめると、次のようになります。

第一に、デジタル・シティズンシップは「デジタル時代のシティズンシップ」であり、情報モラルの言い換えでもなければ、ネット空間だけのシティズンシップでもありません。特に重要なのはデジタル・シティズンシップにはメディア情報リテラシーが含まれることです。

第二に、デジタル・シティズンシップ教育は市民社会参加のための系統的教育
であり、スマホを使うことは公共圏に参加し、市民になることを意味します。だからこそ、スマホを持つ前から公共圏に参加する意味を教える必要があるのです。

第三に、デジタル・シティズンシップ教育とシティズンシップ教育の統合
をめざすべきだということです。幼稚園から大学まで、デジタル・シティズンシップとシティズンシップの統合し、体系的な教育が求められます。具体的には教科「道徳」や「情報モラル」教育をうまく活用しながら、高校の教科「公共」へと繋げていく必要があるでしょう。

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