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ユネスコのデジタル教育理論と政策

この記事は2024年1月20日に開催されたユネスコウィーク2024関連企画「ユネスコスクール全国大会」第5分科会「GIGA×ESD:デジタル時代のユネスコスクールを考える」の発表用に作成したものです。(ただし、同じでものではありません。)
登壇者は以下のとおりでした。(報告順)
大安喜一(ACCU)
武藤久慶(文部科学省)
坂本旬(法政大学)
米田謙三(早稲田摂陵高等学校)
酒井美佐緒(福岡市立百道浜小学校)
吉岡達也(聖ヨゼフ学園 日星高等学校)


GIGA×ESDとは 

GIGA×ESDの重要性

まず、GIGA×ESD、すなわちGIGAスクール構想とESDの接続の重要性についてお話ししたいと思います。ご存知のようにGIGAスクール構想のGIGAとは「Global and Innovation Gateway for All」の意味です。つまりGIGA×ESDとはGIGAスクール構想とESDを掛け合わせたESDのアップグレードを意味します。GIGAスクール構想を通して、ESDはグローバルでイノベイティブな新たな世界を切り拓くべきだと思います。

ユネスコは昨年の「グローバル教育モニタリングレポート」で世界的なデジタル教育の問題点を明らかにしました。その後、ユネスコは「Ed-Techの悲劇?:COVID-19期における教育テクノロジーと学校閉鎖」と題したレポートを発表しました。その中でユネスコは、「包摂的で公正かつ持続可能な未来を形成するための教育」に向けてデジタル教育の舵を切らなければならないと指摘しています。これはユネスコの考えるデジタル教育を端的に示していると思います。つまり、ESDのためのデジタル教育が求められるということです。

ユネスコのデジタル教育の政策については、今回の報告のために書き下ろした「ユネスコのデジタル・シティズンシップ教育政策の形成過程―デジタル時代のESDを再考する―」をお読みください。「法政大学キャリアデザイン学部紀要」第21号に掲載されています。

また、日本ESD学会「ESD研究」第6号には「グローバル・デジタル時代のESDの展開―デジタル・シティズンシップ教育とESDの接合をめざして―」が掲載される予定になっています。こちらもぜひ併せてお読みいただければと思います。

ユネスコのデジタル・シティズンシップ教育政策形成史

ユネスコのデジタル・シティズンシップ教育政策形成史

ユネスコのデジタル教育の理論は、デジタル・シティズンシップ教育と呼ばれます。その形成過程を簡単に説明いたします。ユネスコのICT教育政策は2000年ごろに始まりました。1998年にICT教育研究所が設立されます。そして2008年には「教員のためのICTコンピテンシー基準」初版が発表されます。この時期は教育へのICT活用を進めていた時期になります。デジタル・シティズンシップという用語はまだ登場していませんでした。

2011年に 「教員のためのICTコンピテンシー基準」第2版が出ます。ここで初めてデジタル・シティズンシップという用語が登場します。デジタルツールを使って市民社会に参加する能力という定義が用いられました。この定義がデジタル・シティズンシップのもっとも基本的なものです。そして、同じ年にメディア情報リテラシーカリキュラムの初版が発表されました。メディア情報リテラシーはICTの活用とは大きく異なる考え方を土台にしています。

2015年には、国連が「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を発表し、翌年ユネスコは 「教育2030行動フレームワーク」を発表します。そして同じ年に「アジア太平洋地域におけるICTの安全で効果的かつ責任ある利用を通じたデジタル・シティズンシップの構築」を発表します。この報告書でデジタル・シティズンシップ教育とSDGsが結びつくとともにユネスコ独自のデジタル・シティズンシップの定義が明らかにされました。中心になったのはユネスコバンコク事務所です。

2017年には新たなアジア太平洋地域におけるデジタル・シティズンシップ教育プロジェクトが始まります。2023年に「グローバル教育モニタリングレポート」と「Ed-Techの悲劇」とともに デジタル・シティズンシップ教育の新たなレポート「アジア太平洋地域におけるデジタル・シティズンシップ:教職員のイノベーションと児童生徒のレジリエンスのためのコンピテンシーの構築」が発表されます。これらはユネスコのデジタル教育について書かれたレポートです。また、OECDから「PISA2022」のレポートも出されました。いずれもこれまでのデジタル教育を見直し、新たな方向性を示すものとなっています。

ユネスコのデジタル・シティズンシップとは?

ユネスコ:デジタル・シティズンシップの5領域

さて、「アジア太平洋におけるデジタル・シティズンシップ」におけるデジタル・シティズンシップの定義は教育に焦点を合わせたものです。つまり、「情報を効果的に見つけ、アクセスし、利用し、創造し、他の利用者やコンテンツに、積極的、批判的、慎重かつ倫理的な態度で関わり、安全かつ責任を持ってオンラインやICT環境を航行し、自分自身の権利を認識する能力」と定義されています。

デジタル・シティズンシップには5つの領域があります。1 つめはデジタルリテラシーです。これは情報に基づいた意思決定を行うために、デジタルツールや情報を探し、批判的に評価し、効果的に利用する能力のことです。メディア情報リテラシーもここに含まれます。

2つめはデジタル安全とレジリエンスです。これはデジタル空間における危害から、子どもたち自身や他者を守る能力です。

3つめはデジタル参加と主体性です。ICTを通じて社会と公平に関わり、積極的に影響を与える能力をいいます。

4つめはデジタル情緒的知能です。個人内および個人間のデジタル交流における感情を認識し、表現する能力です。

そして5つめはデジタルの創造と革新力です。ICTツールを活用したコンテンツ制作を通して、自己を表現し探究する能力です。

これら5つの要素がデジタル・シティズンシップです。ユネスコにとって、デジタル・シティズンシップ教育はデジタル教育の一部ではありません。デジタル・シティズンシップ教育こそがデジタル教育だと考えられています。

加盟国への10の勧告

デジタル・シティズンシップ教育に関する加盟国への勧告

ユネスコはこのレポートの中でユネスコ加盟国に10の勧告を行っています。
 
1つ目は「デジタル創造と革新力」に重点を置き、デジタル・シティズンシップ強化のため、継続的に取り組むこと。
2つ目はハイブリッド教育、すなわちオンラインと対面を融合させた教育を強化し、コンピュータやインターネットを学習に利用する際の障害を取り除くこと。
3つめは公平なICT接続とデバイスを提供するために、学校だけではなく、地域社会を含む総合的アプローチを採用すること。
4つめは教員養成課程から学校現場への赴任までの教員支援を重視すること。
5つめは教員養成に、デジタル創造と革新、グローバル課題、実践上の性差に重点を置いたデジタル・シティズンシップ形成を導入すること。
6つめは対面交流の重要性を見失うことのないように学習空間を創造すること。
7つめはデジタル・シティズンシップに関する国際的な共通カリキュラム基準を共同で開発すること。
8つめはデジタル・シティズンシップ・スキル育成のために、児童生徒が組織的に関与できるよう努力すること。9つめは様々な能力やスキルを持つ女子児童生徒と教員との協力や交流を深めること。
最後に、教員のデジタル・シティズンシップ能力が児童生徒の成果に与える影響に関する研究を進めることです。

GIGA×ESDを推進するために

GIGA×ESD=デジタル時代のSDGs

GIGA×ESDを推進するためには、GIGA×ESDこそがデジタル時代のSDGsに繋がると考える必要があります。学習指導要領の道徳の「指導計画の作成と内容の取扱い」には情報モラルに関する指導について次のように書かれています。

「科学技術の発展と生命倫理との関係や社会の持続可能な発展などの現代的な課題の取扱いにも留意し、身近な社会的課題を自分との関係において考え、その解決に向けて取り組もうとする意欲や態度を育てるよう努める。」

「中学校学習指導要領」p.327

これは大変大事なことですが、意欲や態度の育成だけではESDにはつながりません。そこで、情報モラルとESDの間に先ほど紹介したユネスコのデジタル・シティズンシップの5領域を置く必要があります。このように考えれば、情報モラルからESDへと切れ目なく繋がることになります。

ここで重要なのは、デジタル・シティズンシップ教育をこの間に入れる法的根拠です。2021年に成立したデジタル社会形成基本法は「デジタル社会におけるあらゆる活動に参画」を理念としています。これこそがデジタル・シティズンシップの考え方です。つまり、デジタル・シティズンシップを「デジタル社会参画能力」と呼ぶこともできるでしょう。

すでに総務省はこの考え方を元にして総務省の政策にデジタル・シティズンシップを導入しています。デジタル社会形成基本法は国の基本法なので、当然文科省の政策にも影響を及ぼすと考えられます。

探究学習と協働的な学び、デジタル教育の結合

探究学習と協働的な学び、デジタル教育の統合

デジタル端末が中心的に活用されるのは探究学習です。文科省が公表している「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に関する参考資料」には「個別最適な学び」の成果を「協働的な学び」に生かし、更にその成果を「個別最適な学び」に還元すること、「持続可能な社会の創り手となることができるよう」に育成していくことが求められていると書かれています。

つまり、まず個々人の興味関心を引き出し、他者と協働的な学びを進め、最後に再び個々人の振り返りに戻るプロセスにデジタルツールを導入することが必要なのです。PISA2022の報告書によると、日本の子どもたちはデジタルを活用した探究学習が苦手だという調査結果が紹介されています。

探究学習とは「異なる他者と新しい価値を作り出すこと」だとされています。自分たちとは異なる他者、例えば地域、他校、異文化との出会いと協力を学習に取り入れること、すなわち社会に開かれた教育課程にデジタル端末を活用することが求められます。

上の右側の図はホールスクールアプローチデザインシートですが、ここにデジタル教育の取り組みを書き込むことが必要になります。

GIGA×ESDホールスクールアプローチ

 GIGA× ESDホールスクールアプローチ・デザインシート

さて、GIGA×ESDのホールスクールアプローチ・デザインシートのモデルを作ってみました(上図)。左下にはネット環境などのICT設備が含まれます。また、オレンジの部分にはデジタル・シティズンシップを土台とした、デジタル端末を活用する教室内外の学びを書き入れます。

そして、紫の部分には、デジタルを活用した地域や世界との連携を書き込みます。そして具体的なアクションでは、情報発信やデジタルを用いた交流・協働活動を書き入れます。このようにしてGIGA×ESDを具体化していくことができます。

デジタル・シティズンシップと情報活用能力

デジタル・シティズンシップと情報活用能力

これまでの内容をまとめると、学習指導要領の前文に書かれているとおり、デジタル教育の目的は、持続可能な社会の創り手の育成でなくてはなりません。これは冒頭で紹介したユネスコの包摂的で公正かつ持続可能な未来を形成するための教育に向けてデジタル教育の舵を切らなければならないという主張とピタリと重なります。

情報モラルは「持続可能な社会の発展のために、身近な社会的課題を自分との関係において考え、その解決に向かう態度」です。現行の学習指導要領の枠組みでは、情報活用能力とデジタル・シティズンシップを接続するとよいでしょう。昨年出された「生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」ではファクトチェックや批判的思考が明記されています。これは学校教育法の教育目標の一つが「健全な批判力」すなわち批判的思考力の育成であることを思い出す必要があります。こうして、日本はGIGA×ESDによって、世界のデジタル教育の最前線に立つことができます。

そして、デジタル・シティズンシップにはアップスタンダー教育が含まれていることも重要です。ユネスコは昨年いじめの定義を改訂しました。

ユネスコによる「いじめ」定義の改訂

ユネスコによる「いじめ」定義の改訂

ユネスコはこれまでいじめを「長期にわたって繰り返され、力や力の不均衡を伴う望まれざる攻撃的な行動」と定義していました。しかし、昨年の秋、「社会的・制度的規範による力の不均衡によって引き起こされる攻撃的な社会プロセス」と定義を改訂しました。

いじめは物理的な暴力行為にとどまらず、ネットいじめや差別、ヘイトスピーチとも関係があります。そこで定義をより社会的なものに拡大しました。そして、ユネスコは教育全体で取り組むホールエデュケーションアプローチが必要だと指摘しています。そのうえで、次のように述べています。

「いじめは、個人的要因、文脈的要因、構造的要因と結びついた複雑な問題であり、協力が不可欠である。共に理解を深め、いじめの行為だけでなく、いじめを支える根本的なシステムやイデオロギーにも取り組むことができる。」「学習者に対して いじめを報告し、いじめを認識し対応することに自信を持ち、傍観者の介入を奨励しよう。そう、あなたにはいじめを止める力があるのだ。」

UNESCO(2023)Defining school bullying and its implications on education, teachers and learners

ここでいう傍観者の介入を可能にする教育がアップスタンダー教育です。GIGA×ESDはこのように、いじめ予防教育にも繋がる可能性を持った教育だと言えると思います。

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