痴呆を見つめる

「痴呆」を見つめる [第0話] あふれるベッドの傍で

「兄さん、ここから出しとくれ……」

別れ際、彼女のささやくようなか細い声がしばらくの間耳から離れず、思い出すといまだにつらい。何もしてあげることができなかったからだ。

昭和39(1964)年の秋、Mさん(女性、72歳)が入院したと聞いて訪ねたのは、新宿にほど近い甲州街道沿いのK病院だった。2階の病室をのぞくと、20ほどのベッドが隙間なしに並び、彼女はその1つに寝ていた。通路が狭く、枕元に立つこともできない。

Mさんと知りあったのはこの1年ほど前。私がカメラを肩に、都内のひとり暮らし老人を訪ね始めて間もなくだった。小さなアパートで暮らしていたMさんは、歯切れのいい語り口の明るい人だった。それだけに、この短期間の激変ぶりに驚いたが、さらに衝撃を受けたのは、この3か月後に亡くなったことだった。

当時、老人病院とはいわなかったが、このような社会的入院は年々増えつづけ、病院はそうした老人を「収容」する場となりつつあった。そして、中には“殺人工場”とよばれる病院まで出てくることになる。前年の7月、老人福祉法が施行されたものの、特養は国内に1つしかなかった。

生きることの意味——。それを私に突きつけてくれたのはMさんだったかもしれない。この半世紀、老いをめぐる環境は大きく変わった。が、本当にそうだろうか……。



老いたる貧しき者は施設か病院へ。老人福祉の実態は「救貧」であり、「老い」はまだ社会問題化していなかった(東京都板橋区の老人ホームにて)。



田邊順一 Tanabe Junichi

写真家。1937年、熊本県生まれ。高度成長期の農村・都市を撮りつづけるとともに、高齢者を「人間」として見つめた作品を数多く残してきた。著作に『老い——貧しき高齢化社会を生きる』(平凡社、1985)、『フォト・ドキュメント いのち抱きしめて』(日本評論社、2002)、『認知症の歴史を学びませんか』(中央法規出版、2011)、『そのままのあなたでいい——こころの居場所で出会った笑顔』(筒井書房、2013)がある。