野球の歴史14 市民球団としての広島東洋カープ
どもども。みなさまおっぺい( 厂˙ω˙ )厂
声優兼オネェ系Vライバーのじゅんぺいです。
今日も記事を読んでいただきありがとうございます。
今週で野球のお話ラストだよ。
昨日の記事で、野球は地域の活性化にも役立っているというお話をしました。
その代表とも言えるチームが
広島に本拠地を置く「広島東洋カープ」なのではないでしょうか。
プロスポーツといえば、球場や練習場などの施設、
ユニフォームやボールなど、そのスポーツに必要なものを
全て買い揃えるスポンサー企業が必ず存在します。
大抵の場合はチーム名にスポンサー企業がついているところが多いよね。
ソフトバンクホークスとか、千葉ロッテマリーンズとかね。
広島の地に誕生した「広島東洋カープ」は
そういう親会社を持たない市民球団として活動していた時期が
ものすごく長いんです。
(正式に言うと、今でも市民球団としての昨日は残っています)
市民球団ということは、町のみんなで少しずつお金を出し合って
球団を支えようということですからね。
素敵ですよね。
樽募金
カープが誕生したのが1949年。
当時の広島は戦後復興の真っ最中で
「原爆で打ちひしがれた広島の街をなんとか復興させよう」ということで
創設された球団なんですって。
根本の部分に、広島県民の熱い熱い想いが詰め込まれているんですね。
とはいえ、お金がないと球団の維持もできない。
バッドやボール、ユニフォーム、そして監督や選手のお給料などなど
必要なものはたくさんあります。
そこでまずカープが考えたのが「後援会」を作ること
カープを応援したい人はここに加入して
会費を払って応援しようということですね。
さらに面白いのが、球場の入り口に「樽」を置いて
ファンがそこにお金を募金するという「樽募金」
クラファンって最近始まったものだと思っていたけど
実はこういうところですでに行われていたんですね。
Vの活動なんかまさに「応援していただくこと」が本当に大事。
こういうところはしっかりと見習いたい。
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