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「届かない声」 パラサイト 半地下の家族 〜最地下編〜

ネタバレ無しの第一弾「地上編」はこちら

ネタバレ有りのテーマ考察「半地下編」はこちら

今回は各シーン、台詞、物体のメタファーについて
もちろんめっちゃめちゃネタバレします。
ところでこのポスター最高じゃないですか?どこかの国の宣伝ポスターらしいんですが、いや〜もう見事に映画そのものを表現している。

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まさにこの階段から

1、階段の登り降り

 この映画が余りにも良くできている事の一つに「格差」を「高さ」で表現しきっている事にある。高い所に住む金持ち、半地下に住む貧乏人、更にその下に住む絶望的な人々。あの家が最地下へ降りるまでには、1つ降りた物置、その奥の階段を2つ折れ曲がって下った先にある。簡単に行き来できる高さではないのだ。

更に金持ちの家から半地下の家へ帰るには、家から道路へ下り、道路を下り、道路から橋の下の土地へ何段も何段も下り、その中の半地下へと下る。低層一帯の住民が水没しても、丘の上の一家には「雨が降った」以上の感想は持っていない。知っていて無視しているのではない、地下の存在そのものに気づいていないという、強烈な格差を段差を「上る、下る」という動作で表現している。人物が下る時には悪い事が、上る動作の後には良い事が起こっている。

2、水石

 ミニョクがくれた水石が何のメタファーなのか、という論争は尽きない。しかしミニョク自身があれを「金運と合格運」をくれる物だと説明。お金と学歴(地位)への渇望だと思って間違いない。
 ギテクが「計画なんて持たない方がいい」と言った後も、ギウはあの石を離さない。ミニョクがくれたのはパク一家へ近づくチャンスであると同時に、向上したいという野心である。
 最後、金持ちになって家を買う妄想の中でギウはあの石を自然へ返す。そうなればいいな、だが現実は、もはや彼の手にあるのかどうかもわからない。。。
(そもそも凶器なので、被害者に返すとは考えにくい)

3、3匹の犬

 パク家の母親ヨンギョは犬をとても大事にする。犬を抱き抱えたシーンはあるが、子供と抱き合うシーンが一度もない。自分の手に負えない子供達より、簡単になつく犬を大事にしている様は不思議と象徴的。母親に甘えない幼い子供、勉強よりも恋愛に逃げたい高校生。親と心が通じ合えているようには見えない
 また、ギテクが屈辱を感じる場面の一つが「犬に俺よりも良いものを食べさせている」だった。犬種の違う犬を3匹も飼うお金持ちの象徴が、人々の心に影を落としている。

4、英語まじりと「アメリカ製」

 映画序盤に不自然に登場する英語の台詞。普通の韓国語に混ざって英語を使う人物が三人いる。パク夫婦とミニョクだ。彼らは皆、裕福で高学歴。水石がくれるものを持っている人達だ。彼らはアメリカという権威に弱く「アメリカ留学した」という嘘に簡単に引っかかる。大雨でテントが雨漏りしないか心配するも「アメリカ製だから大丈夫でしょう」と話す夫婦。彼らの興味は国内の貧困者などにはなく、海外・アメリカへと向いている。

5、インディアン

 「インディアン」はネイティブアメリカンへの差別用語なので、本当は使ってはいけない。映画見ながらヒヤヒヤしてた。ネイティブの人達が実際映画に文句を言ったかは知らない。
 「金と地位」を持ってネイティブから土地を奪った「持つべき者」アメリカ白人。ネイティブはその反逆者として扱われるが、終盤金持ちに反旗を翻したのは「インディアン」の格好をしたギテクだった。

 またキャンプから帰った後、何故ダソンは家から出てテントの中に居続けたのか?「鼻が効くから、地下・半地下の家族が争ったあの家から出たかった」という考察もあるようだけど、実際ダソンは「あの臭い」を嫌った事が一度もない。むしろ大好きなギジョンの臭いだ。
 彼が家から出て、ネイティブアメリカンのテントに篭ったのは「地上・地下」の争いの中にいたくなかったというメタファーだと考える。彼は最後まで半地下の家族を敵視しなかった。
 ただもう一つ思いつく、多分こっちが近いと思う、のは、「トラウマであるグンセの臭いがした」から。

6、コンドーム

 一度ずつしか描写されないのに、妙に記憶にこびりつく描写があった。
 半地下、地上、更には最地下の家で、それぞれチラリとコンドームが映される。しかも1つは「3つのコンドームが串刺し」というかなり意味ありげ。
 3と言えば、地上・半地下・最地下の3だ。どの階層も夫婦がいる。「どの階層でもみんな生きていて子供を作る」「皆中身は同じようなもんだ」というあたりだろうか??

7、モールス信号

 最地下から地上へ唯一連絡する手段が、あのモールス信号。
 地上の人には伝わらず、それがメッセージである事にも気づかれない。しかも、その反対へ連絡する手段は無い。必要も無いから、という虚しさ。結果最地下の男は金持ちドンイクへ「リスペクト」という伝わらない感謝のメッセージを送る為に使用していたという絶望感。 
 最後グンセはダソンへ「助けて」というメッセージを送るが、ダソンが何を思って受け取ったのかは描写されていない。
 モールス信号は最下層にいる人間からの伝わらない声のメタファー。それを拾おうとしたのは、若者2人だけだ。

8、ピザの箱

 ピザの箱の簡単な折り方をYoutubeで見つけてくるギウの現代的で賢い一方で、「4分の1役立たずだよ」と言われて映るギテクの顔。器用に家政婦になりすませた妻と違い、最後まで違和感を隠せないギテク。彼は今回「一度も有能な場面が無い」。詐欺をする時も全て台本を子供達に書いてもらっていた。唯一頼もしそうに思えた大雨の後、彼が出した台詞は諦める事だった。
 そんな持たざる上に諦めた者、彼は最後「最地下」へ潜る。妻が死んだ事で情熱が湧き上がり文字通り「地上に出てきた」グンセと引き換えに、彼は地下へ潜る。きっかけは同じように商売で失敗し落ちぶれた彼に自分を重ねた結果、その臭いをベンジョコオロギの様に扱ったドンイクへの衝動的な怒りだった。

9、ベンジョコオロギ

 中盤、妻から「ゴキブリのように」と比喩され、実際テーブルの下からゴキブリのように這って逃げたギテクだが、自分の半地下の家に住むベンジョコオロギを弾いたり、消毒で殺そうとしていたのは彼だった。半地下にいる者は、持たざる者の気持ちがわかるのではなく、更に下にいる者を酷く扱う。自分がそう扱われ怒りを表すが、それはかつて自分がした事と変わらない。ドンイクにとって、地下の人間は(ギテクにとっての)ベンジョコオロギだった。

最地下の2人は死に、半地下も死、逮捕、そして最下層へ。彼らが地上に出る夢は、どうやら夢のままで終わりそうだ。この「計画を持てない」人々に救いはあるのか?
町山智浩氏解説によれば、韓国では元々「3放世代」とよばれ恋愛、結婚、出産を諦めないといけない世代だと言われる状況だったが、最近は「7放世代」とまで呼ばれ、正規雇用、家、友人、夢まで諦めなくてはいけないと言われる程の状況にあるとの事。
極限まで来ているこの分断格差社会に未来はあるのか。この映画が、何かのきっかけを作るのか。

10、パラサイト

何がどうパラサイトなのか。監督がインタビューで答えているらしい。「貧しい者も金持ちに寄生している。しかし同時に金持ちも貧しい者に寄生しています。運転手や家政婦、彼らがいないと生活もままならないのですから」
この言葉をそのまま受け取るのなら、タイトル「パラサイト」は、「人はみんな寄生し合って生きている」共存して行こう、というメッセージになるが、果たしてどうだろうか?

何れにしても、本当に心をえぐる、嫌な映画でした。

やっぱり、二度と見たくない。。。

最後はいろんなバージョンのポスターを見てお別れです

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