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目に見えないものを信じてみる。

自分の両親は実に合理的だ。必要でないものは削り、どうしても必要なものだけ用意した。今でいうところのミニマリストのように徹底していたわけではないが、その傾向は強めだった。

例えば、旅行。行ったことがない、というほどではない。特に小さい頃は母方の親族と一緒に10人以上で大きな旅行をして、それはそれは楽しかった。父が勤める会社が保有する保養所も何度か行ったことがある。だけどそれ以外に「夏休みはここに行こうか!」となどとなった記憶はない。なんというか「たまには必要だよね」というレベルでは行ったが、ノリで行ったことはない。

そういう家庭で育った自分も当然そこそこ合理的な人間になる。男というのは合理的な判断をするタイプが多いことを考慮すると"特別"というほどではないが、それなりだ。特に"楽しい"、"美味しい"というような感情を持って育った妻と比べると、自分は合理的だな〜と感じる。それは本当に色んなところで感じるが、挙げだすとキリがないので止めておく。

一つ、自分が合理的である例えを挙げるとすると「目に見えないものを信じない」というのがある。もっと言うと「目に見えないものを無いこととする」というほうが近いかもしれない。人の気持ちというのも見えないが、それはさすがに"無駄"だとは思わない(でも若い頃はあまり気にしてなかったかな…)。

もっとわかりやすいもの。神様とか幽霊とかスピリチュアルという感じのものだ。どうしても信じられない。神様は少しわかるかな。いる、いないという次元の話じゃなく、信じるか信じないかだと思う。そして信じるのは自由で(世界中の多くの人が信じているよね)、それは良い・悪いの話ではない。神様(宗教)に関してはけっこう前から興味があるくらい。

幽霊とかスピリチュアルに関しては、そういう話を聞く度に「目に見えないことをいいことに好き放題言うな」とすら思っていた。「霊感がある子がさ、ここにいるとか言うの」とか「あなたは選ばれてここに来ています」とか。あなたの気持ち一つだろうと(笑)。そんなもの一切信じない!として若い頃は過ごしてきた。単純に必要がなかったのかもしれない。それらを受け入れるには、心に全く余裕がないか、心に余裕があるかのどちらかだと思う。

しかし。ここ最近の世の中の出来事などを目にするにつけ、それらが必要なのでは?と思うようになってきた。各地で起こっている戦争、経済の不安定さ、気候の不安定さ。日本においては大きな地震もあった(トルコとかでもあった)。また、SNSも成熟期を超えて崩壊に向かうような不安定さがある。これって我々一般人にとって何よりも身近なので軽く考えられないと思う。じっくり考えずに書いているので例えが若干薄っぺらいけど(笑)、とにかく色々と不安定な気がする。変化のスピードが早い。気持ちが落ち着かない。合理的に処理できなくなってきた。

状況に振り回されるから落ち着かないのだ。「え!こんなことが…そんな!」「こちらではこんなことも?どうなっちゃうの?」とやっているから不安定になる。何かを信じて、自分の軸をしっかり持つ必要がある。宗教は明確に信じるべき道筋が示されているのでわかりやすい。今から何か宗教を信じる、というのもなかなかハードルが高いので、スピリチュアルなんかどうだろう?と思ったのだ。ライトなやつ(笑)。「まず自分のことを愛そう、そうすると人を愛することができる」とかそういうスピリチュアルとも言えないような軽いもの(だけどとても重要)は、今こそ必要な気がしたのだ。自分の気持の軸をしっかりと持つということか。

ということで、自分は理論的に合理的な理由から目に見ないものを信じてみようと思う(笑)。まずは仏陀の教えの一つである「判断しない」というのを実践中だ。

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